54.水害
生活必需品以外の生産の初手は大鍋だった。
ただしこれは、必需品ではないが輸出する品というわけでもなかった。
この先、農業を基軸に何かをするのなら、大鍋は必須となると予想されたためである。
なにしろ、ヴィードランドは遠い。農作物を売るなら加工しなければ届けられない。
だから、ヨーゼフが頑張った。
草原の東にある岩の大穴の底で集めた鉱石を、水車動力の搗鉱機で砕き、荒れ地に仮設した炉で溶かす。
錫は低温で簡単に融けだし、融けた錫に触れることで銅も融点が下がって融けて混ざって青銅になる。
剣などを作るなら、更にヒ素を添加することで、湯流れ――融けた金属が流れやすさ――が良くなり、冷却後の硬度も増すのだが、今回は鍋に使うためヒ素は用いない。
ヒ素を混ぜた青銅が錆びると、その錆はヒ素由来の毒性を持つためである。
なお、銅と錫から作った青銅の緑青はほぼ無毒である。
それはさておき、ヨーゼフが10日ほどをかけて作った大鍋は、直径が40センチ。深さが60センチ程の寸胴鍋だった。
鍋の重量は7キロほどで、蓋は木製。
鍋を作ったのは、砂糖を作るためである。
砂糖ダイコンを大量に育て、人力と水車の力で細断し、開拓の過程で出た木の根等を燃料にしたお湯に入れ、しばらく煮てから絞り、搾った汁を更に煮詰めて、適時、0.1%ほどの石灰を加え、沈殿と上澄みに分かれたら、琥珀色の上澄みを集める。
こうした抽出過程で長時間、煮込む必要があるため、大鍋が必要になったのだ。
なお、砂糖はシロップ状で完成とし、結晶化するのは採算が合わないため見送られた。
シロップ作成と並行して行なわれたのが、薬草の植付けである。
それまでも数種類を株ごと移植して少量を育てていたが、その規模を拡張し、しっかり乾燥させて薬と言える状態にまで加工し始めたのだ。
村の人数では消費しきれるものではないが、中にはヴィードランドでは稀少とされる薬草もあり、これらは対外的に売り物に出来るとヘンリクは考えていた。
「アントン君。そろそろ雨季だけど、畑は大丈夫かな?」
「川の増水が心配じゃが、危なそうなら用水路や揚水は止められるように作ってある。水量によっては水車も停止するから大丈夫じゃろ?」
秋から冬にかけて、ヴィードランドでは雨季となる。
森人のケヴィンいわく、このあたりでも、時期はヴィードランドよりもやや遅いが雨季と呼べる時期があるそうだ。
とは言え、荒れ地にはあまり降らず、降っても水分は数時間で砂礫に飲まれるという。
それでも、荒れ地に埋まった種はその水で成長し、枯れるまでの短い時間で次世代となる種を作る。
「ケヴィンの話では荒れ地側は羽虫がスゴいらしいけど、そっちの対策は終ってる?」
「一応、殺虫剤の用意はしているが、場合によっては、火を使うかもしれんな」
雨季に活性化するのは植物だけではない。
大量の羽虫がどこからともなく湧きだし、荒れ地に沢山の蚊柱のようなものを作り出す。
ケヴィンの話では、荒れ地の羽虫はなぜか川の西には来ないらしいが、ケヴィンの住む辺りとここではかなりの距離があるため、同じになるかは分からない。
だからアントン達は念のため、それらへの対策の用意もしていた。
「砂糖ダイコンは虫が付きやすいって言うしね。任せっぱなしになって申し訳ないけど対策はお願いするよ。何かあったら言ってね?」
「まあ、村人達には農業の専門家も多い。彼らに色々教えて貰ったから、多分大丈夫じゃろう? じゃが、何かあったら頼らせてもらおう」
◆◇◆◇◆
アントン達の追放からほぼ半年が経過していた。
ヴィードランドでは、例年よりも天の恵みが多い雨季が終わった。
その間ヴィードランドでは、アントン達のやり方を廃止する方向で様々な改革が行なわれ、農民達の不満を聞いた領主達は王宮に意見をあげ、王宮ではそうした意見を握りつぶすといういたちごっこが続いていた。
だが、それにも限界がある。
御前会議が始まれば、王の前に各地の貴族が集まり、言葉を交わすことになる。
王の御前会議で、現在の問題についての質疑が行なわれれば、貴族派の者たちは言い逃れが出来なくなる。
当然、貴族派はそれを妨害しようとするだろうが、毎年定例の御前会議を行なわずに済む方法などありはしない。
唯一の手段は簒奪だが、そんな事をすれば各国が条約の見直しを迫り、下手をすれば国が滅びる事態となる。
貴族派の目的が私腹を肥やす事なら、簒奪は悪手となるのだから、王の身に危害が加えられる心配は少ない。
「さて。そろそろか」
王宮に連絡を取り、状況を調べ、御前会議までは雌伏の時を過ごすと決めていたローベルト・アウラー子爵は、その期間で調べた様々な資料を用意し、馬車に乗り込んだ。
ローベルトの友人達も同じような事を調べており、会議の場ではローベルトの資料は単なる厚みを増すためのものになるかも知れない。
だが、それにも意味はある。
資料の厚さは、そのまま、同じ意見の層の厚みを示すからだ。
何にせよ、一度御前会議に提出されれば、その資料を無かったことにはできない。
ローランドは馬車の中で、予想される質疑応答パターンについて頭の中で再確認するのだった。
◆◇◆◇◆
ローベルトはある意味で幸運だった。
彼の治める領内においては致命的な問題は発生しなかったのだから。
しかし、雨季が終ったヴィードランドでは各地で問題が頻発していた。
例えば。
ヴィードランド南方のバッハ伯爵領では
「ゲラーマンの北の街道で橋が崩れました! 崩れた橋が川を堰き止め、溢れた水が周辺を押し流しています! 流された民もいるとの事!」
「またか! 可能な限り具体的な被害状況を調べるのだ! ったく! 例年より雨が多かったとは言え、この程度の雨、今までだって降っただろうに!」
ロルフ・バッハ伯爵は、各地で頻発する水害対応に追われていた。
それぞれの被害状況を聞き取り、個別に対策を検討させるが、全てが後手に回っていた。
最初の被害に対して、可能な限り速やかに対応した。
思えばそれが間違いだった。
次の被害対策もまた、速やかに。
そしてその次の次あたりで対処するための人員が尽きた。
被害報告は、大凡3日ほどの間、散発的に続いた。
現在、ロルフ麾下で動かせる人員はほとんど残っておらず、ただ被害報告とその対処案だけが積み上がっていく。
この状況で領地から離れるわけにはいかない。
ロルフは少ない人員をやりくりし、定例の御前会議への出席は難しいと王宮に文を送らせた。
「なあフランツ。なぜ、今年に限ってこんなに水害があるのだろうか?」
「……これは、貴族派の動きを調べた際にお伝えした事ですが……王宮は、水害は恵みをもたらすものとして、治水から手を引いております。可能性としてはその影響もあるかと」
「それは知っておる。だから、うちでは領民を使って独自に治水工事をしていた筈だ。なぜ、うちで被害が出たのだろうか?」
王国の治水の放棄についての報告内容を確認したロルフは、国がやらないのならと自領で治水工事を行なっていた。
「王国の行なっていた治水には2種類ありました。治水工事だと明言した上で行なうものと、それ以外です」
「ああ、国が主導していた治水は中止の通達があったから領で引き継いだが、それ以外については中止の通達はなかった筈だ」
「ですが、今回の件で治水の不備について確認したところ、それらも停止されていたようなのです……もっと早く気付くべきでした」
慚愧の念に堪えないという表情でフランツは唇を噛む。
「待て。それらというのは、軍が訓練の一環で行なっていた川沿いの森の木々の伐採や、浚渫した土砂を使った土塁作成の事か? そちらの停止については国から通達はなかったぞ?」
「はい……推測になりますが……国はそれらを治水工事の一環と考えていなかったのでしょう。追放されたマーヤ・シューマッハ元伯爵は軍事訓練の一環として、それらの工事を行なっていたようですし」
「……訓練? なぜだ?」
「不明です。ですが、おそらく治水では予算が付かなかったからでは? そうでもなければ、そんな手間の掛かる事をする理由がありません。そしてマーヤ・シューマッハ元伯爵がいなくなってその工事が行なわれなくなったのではないかと」
フランツの言葉に、ロルフは血の気が引くのを感じた。
「……ただでさえ、治水の放棄は国家運営の放棄だというのに、そこまで愚かだったのか」
「国家、運営、の放棄ですか?」
「ああ、国の成り立ちを考えれば分かろう? 身を守るために個人が寄り集まって集団を作り、『守る者』と『作る者』に分かれたのが貴族と平民の最初だ。守る中には水の確保も含まれる。個人ではまず不可能な治水工事は、国家事業で行なうのが普通だし、仮に可能だとしても個人が勝手に川の流れを変える事を許せば下流の民が死ぬ。だから本来、治水は水利権を調整できる国以外が許可無く行なってはならないことだし、国家が民に対して持ちうる最大の切り札でもあるのだ。しかし彼らはそれを投げ捨てた。のみならず、我々への引継ぎも不十分で被害まで出た。治水を疎かにして民に被害が出るなら。民を守れないのなら、『守る者』に価値などない……全部自分でやれと言うなら、我々は何のために国に税を納めているのだ? 我々は税で自身の価値を示してきた。だが、それに対して国家が自身の価値を示せないのなら、それはもう不要を超えて害悪でしかない」
ロルフはそう言った後、大きな溜息をついた。
「…………と考える者が増えれば、国が滅びかねぬ」
「なるほど……ああ、今回のゲラーマンの件はそれに加えて……あ、いえ、これはまだ未確認情報でした」
何かを言いかけ、フランツは言葉を濁す。
「言いかけて止めるな。気持ち悪いだろうが」
「……まだ村からの一報のみで、騎士による現地確認すら出来ておりません。根拠のない妄想のようなものです」
目を逸らすフランツの肩に手を置き、ロルフはその目を覗き込むようにする。
「想像でも良い。何かあるなら話せ。間違いでも咎めたりはせぬし、想像に過ぎぬという事も忘れぬ」
「……村人が川が堰き止められて橋が壊れた原因を報告してきています。それによれば、どうやら上流から大量のゴミが流れてきたためらしいのです」
「ふむ?」
ゴミがどうかしたか、と言いたげなロルフの表情に、フランツは慌てて付け足す。
「その、大木や木材なども流れてきております。橋が壊れたのは、橋に引っ掛かった大木や木材などが川を堰き止めたためかと」
「大木……だけではなく、木材もだと?」
「はい。橋が流されたゲラーマンは我がバッハ伯爵領の最北の村です。その北というと、リーヌス伯爵領になります。おそらくですが、リーヌス伯爵領か、更にその上流で水害が発生し、そのゴミが流れてきて、今回の件につながったのではないかと。リーヌス伯爵は貴族派ですし……」
「貴族派の土地なら、治水は行なっていない可能性もある。か」
川は繋がっている。
上流で被害が出れば、下流にもその影響が流れ着く。
もしもフランツの予想が正しければ、少なくともゲラーマンの村の被害は人災となる。
「証拠になるようなものがあれば良いのだが、まずは人命救助を優先だ」
「はい。被害のひどい場所を優先して対応します」
なんだか、今年は(も?)暑すぎますね。
温暖化、そろそろ致命的な状況に推移したりするのでしょうか?
前世紀末に世紀末思想丸出しで書かれたジュブナイルSFなんかだと、温暖化はジワジワ変化して、ある一点を超えたら、変化が爆発的に加速する(メタンハイドレードが気化しまくって、温暖化が一気に進み、氷河が溶け、海に流れ込む淡水の量が増え、海面温度の上昇と塩分濃度の急変によって海流が変化し、気流も変化する。結果、人類が経験したことのない気候変動が頻発。更にエスカレートして、地上には住めなくなる、とか)みたいなのが多かったように思います。
そういうのは色々読みましたけど、ジワジワ部分に関しては、現在はそれらよりも不味い状況ってのがなかなか笑えません。
東京で38度とか、毎年見るようになっちゃいました。
老害っぽいセリフですけど。
昔は良かった(関東の夏の最高気温はせいぜい34度とかだったし)。
暑い日が続いております。
皆様、体調など崩されませぬようにご自愛くださいませ。




