5.出立
王都の門の中で、ふたりはヨーゼフ、マーヤの馬車と合流する。
門の手前で待っていたのは、追放刑が恙なく遂行され、王都を出る所まで事を確認するための役人と、皆の弟子達、それに加えて友人、知人も少しだが見送りに来ていた。
だが、ただでさえ目を付けられる事になる子供達は来ていない。
なお、本日追放されるのはアッカーマン家を含め、3家となる。
農業の研究によって国に尽くした元アッカーマン子爵。
鉱山の開発と製鉄技術の向上を目指していた元ハーゲン子爵。
治水と治安の責任者であった元シューマッハ女伯爵。
元と付くのは爵位と共に家名を失っているためである。
彼らはすべて、国家に対する詐欺行為を糾弾されていた。
糾弾の詳細を聞けば、それらは過去に彼らが提出した報告書に基づいて行なわれており、少なくとも訴えの文章そのものに嘘はなかった。
だが、なぜ彼らがそうしたのか、誰がそれを命じ、許可したのか、どこを見るべきなのか、何と比較すべきなのか、など肝心な部分が間違っている。
当たり前の話だが、物事は理由や条件、視点を変えただけでその意味を変える。
Aが王宮の塀を壊して石材を持ち去った。
このように伝えれば、Aは犯罪者である。
だが言い方を変えるだけでAのやったことは犯罪ではなくなる。
Aが役人に依頼され、工事のために邪魔になる王宮の塀を壊して石材を撤去した。
Aの行動に違いはないが、これなら合法の公務である。
彼らを訴える文章は、そういった意味で悪意に満ちていた。
しかし事情を知らない者からすれば、公文書を元にした訴えである。疑う理由はない。
そして、彼らには釈明の機会は与えられなかった。
訴えの内容が一方的であると声を挙げてくれた者たちもいたが、正しい方法で訴え出たそれらの声は、なぜか王に届くことはなかった。
「師匠……自分は悔しいです。こんなにも一方的に……行いの理由を伝えられれば、このような事になる筈がないのに」
「……ワシのやり方も不味かったのだ。報告書をしっかり読んだ者なら理解してくれようが、こうなったと言うことはワシの報告書を読んだ者は少なかったのだろう。もっと行動の意味を皆に伝えるべきだったのだ……そうだ、屋敷にあった研究資料や種はワシが持ち出すが、ワシはもう王宮には入れぬ。王宮に残すすべては君に任せよう。願わくば、これからもこの国の農業を導いてくれ」
「……師匠……」
僅かに浮かべた涙を拭ったヘクターは、ただそう言って絶句した。
既に王宮に併設された諸々の施設は取り壊され、アントンが作り出し、王宮に保存させていた種は全て廃棄されていたのだ。
ヘクターは、それを言葉にできずにただ小さく頷いた。
「……ワシは北に向かう。ヨーゼフもマーヤも同道するそうだ。安住の地が見付かることを祈っていておくれ」
「……今までのご指導……ありがとうございました!」
ただそれだけを、絞り出すように言葉にしてヘクターは深く頭を下げ、しばらくそのまま動けずにいた。
ヨーゼフとマーヤの弟子たちも見送りに来ている。
さすがに残す子や孫は連れてきてはいない。
「師匠! 俺、頑張って王都一番の鍛冶師になるっす!」
「ちいせぇ! わしん弟子なら、この大陸一番ば目指さんか!」
などとヨーゼフに拳骨を貰う弟子は、これが最後の拳骨だと涙を流す。
「お前たち。軍は民の安心の維持の要よ。忘れるんじゃないわよ!」
「はっ! ヴィードランドの平和は自分たちが守ります!」
「お願いね。だけど、もしも上の方針が怪しいと思ったらお前たち自身の安心を優先しなさいな。お前達が安心できなきゃ、民の安心なんて守れっこないからね。これがあたしからの最後の命令よ。皆と共に安心に生きられるように努力しなさい」
「……了解しました! ご武運を!」
弟子達との別れを済ませ、友人達とも別れの挨拶をする。
その中に、少し後に追放予定のヘンリク――元アラヤ伯爵がいた。
白髪に長い白ヒゲ。
汚れても構わないように灰色のローブを身にまとった彼は、学問の司だった者である。
「北の荒れ地だったっけ? 正気なのかい?」
「確証はないわ。でも勝算はあるわ。何より、あたし達にはそれ以外に生延びる方法がないもの」
「ワシらには水の精霊の加護持ちがいるからな。水さえ手に入るならまあなんとか生延びられよう」
「まあ僕と、たぶんリコ君が追い掛けることになると思うから、目印を残してくれると助かるかな」
「わしらと共に出りゃ良かったんにの?」
「調べ物があるんだよ。マーヤ君は、目印、よろしくね」
「アレで良いのよね?」
「ソレで良いよ」
そんなこんなで最後の挨拶が終わると、まずは王都から出たことを見届ける役人が声をかける。
「そろそろ良いかね?」
「ああ。待たせてしもうたな」
「質問だが、そっちの馬車は何かね?」
「孫娘のクリスタだ。途中の村までワシらと共に行く。見ての通り、孫娘本人が馬車を操っておるから、違反はないぞ?」
アントンの返事を聞き、役人はクリスタに声を掛けた。
「お嬢さん、そこだと通りをふさいでしまう。馬車を道路脇に寄せられるかね?」
「あ、そうですわね。失礼しましたわ」
クリスタは手綱を引き、馬車を少しだけ路肩に寄せる。
馬車を道なりに進ませるだけなら、かしこい馬なら馬任せに出来る。
だが、そうした細かい操作は、慣れていないと難しい。
危なげなくクリスタが、馬車を路肩に寄せるのを見た役人はなるほど、と頷いた。
「さて、次は国境を越える際に近くの村や街の長かその代理にこれを渡して国境を越えるのを見届けて貰うように。後ほど納税の際に確認される」
立派な木箱に入った書類を確認し、アントンは頷いた。
「うむ。承知した。では、世話になった」
片手を挙げ、アントンは馬の手綱を引く。
馬の小さな嘶きと共に馬車が動き出し、がらり、という音が彼らを見送った。
◆◇◆◇◆
途中、マーヤ、ヨーゼフの馬車から重たい物をクリスタの馬車に移動したりしつつ、一行はノンビリと馬車を進める。
とは言え馬を急がせないだけであり、休憩は少なめである。
クリスタ以外は馬車に乗らずに馬を引いているので、ノンビリ歩くほどの速度である。
日の入り少し前まで街道を進み、街道沿いの水場が整えられた広場で休む。
馬車を停め、馬は杭につなぐ。
毎日のように行商人の馬車などが泊まる泊地である。
正直やや臭い。
が、老人3人は仕事柄慣れており、クリスタもアントンについて回っていた経験から、その程度で文句を言ったりはしない。
4台の馬車を並べて風を遮ると、マーヤは焚火を用意し、ヨーゼフは馬に飼葉と樽の水を与える。
アントンは雨が降ったときに待避出来るように少し離れた場所に大きめの天幕を作って軽く水を掛け、その下に鍋や食器を出して木箱に並べる。
クリスタは箱馬車の下から鶏の籠をおろし、足輪に付けた紐が籠に結ばれていることを確認してから鶏を放す。
鶏たちは紐が許す範囲を歩き回って地面をつついて回る。
「みんな弁当はあるのか?」
アントンが尋ねると、二人が振り向いて答える。
「あるぞい」
「あるわよ」
「なら、お湯は茶の分だけで良いか?」
「折角だからスープを作ってよ。簡単なので良いから」
「そうじゃ。新鮮な食いものはこの先の村でも仕入れられる。ここで食っても問題なかんべ?」
そうか、と頷いてアントンは新鮮な野菜を千切って洗い、肉を細かく刻んで調味料と共に鍋に入れる。
そこに水を注ぎ、金属の水筒のような形をした湯沸かしにも水を入れ、マーヤが用意した焚火用の三脚を振り返ると、薪の用意は調っているのに、まだ火の気配はなかった。
「なんじゃ、焚火で手こずっておるのか?」
「違うわよ。あたしなら火の精霊魔法があるのよ? 手こずるわけないじゃない。そうじゃなくてね……クリスタちゃん、こっちいらっしゃい」
「はい、マーヤおばさま」
「コレを使って火を付けてみて」
マーヤは火口箱――火打ち石と火打ち金、細かい枯れ草や綿、付け木などを入れた、火付けの道具をクリスタに手渡す。
「火種なら持ってますけど?」
「準備が良いわね……でもそうじゃなくてね。あたしがいれば火精霊魔法を使えるけど、あたしが死んだ後、あなたが火を使えるようにしておきたいのよ」
「なるほど……火口箱は自分のを使っても宜しいでしょうか?」
「自分のがあるの?」
「はい。農村とか回るとき、こうやって夜営することもありましたので……でも、普通の貴族の子女は持ってませんよね」
クリスタは食器の入っていた木箱から、両掌ほどの木箱と、石綿で作られた袋を持ってくると、焚火の薪の組み方を確認する。
「えっと、これ、少し弄っても良いでしょうか?」
「良いけど?」
「それじゃ……薪は乾燥してるし、随分細く割ってあるんですね。表面に刻みもあるし……これなら燃えやすそうですけど、私はこんな感じでやってます」
クリスタは細い枝の下の枯れ草の塊に指二本ほどの太さの穴を開け、細い枝の上に、長目の細い枝を乗せる。
「こんな感じでしょうか……蝋燭を使っても良いですか?」
「なくても出来る?」
「ちょっと時間が掛りますけど」
「なら、蝋燭はなしで」
マーヤに頷いたクリスタは、火口箱を開いて火打ち金と火打ち石を取り出し、火口となる炭状になった綿が詰まった部分の蓋を取り外す。
「では始めます」
火打ち石をぶつけると、鋼でできた火打ち金から火花が落ちる。
5回ほどぶつけたところで、火花が火口に落ち、オレンジ色の火種が出来る。
小さな種火に軽く息を吹きかけると、種火から小さな炎が上がり周囲にジワジワ燃え広がり始める。クリスタは、火口箱から付け木――先端に硫黄を塗布した極めて薄い木片――を取り出し、その先端を種火に押し当てながら再び息を吹きかけて種火から炎を上げさせる。
待つこと数秒で硫黄を塗った付け木が燃え上がり、クリスタはその付け木の炎を先ほど穴を開けた枯れ草の中に差し込んで、枯れ草の表面に息を吹きかける。
すぐに枯れ草に火が移り、樹皮と細い枝にも火が移る。
予め、刻みが入れられていた細い薪の刻み目に燃え移った火は、それなりに大きな炎になる。
「良さそう……ですわね。あ……」
クリスタは慌てて火口に蓋を押し当てて火種を消す。
「驚いたわ……手際が良いわねぇ。下手したらうちの新兵よりも上手だわ」
「恐れ入ります。軍には、貴族の次男三男の方も多いと聞きますので、不慣れなだけだと思いますわ」
「でもそれ付け木がなくなったらどうするの?」
火口なら、綿や布、枯れ草を炭にすれば良いだけなので、比較的簡単に補充ができる。
しかし、付け木は硫黄を塗布した消耗品である。
使い切ったらどうするのか、とマーヤが尋ねると
「硫黄なら小さい壺で持ってきていますので、普段から火種を絶やさないようにしていれば、何十年かは持ちますわ。それに」
クリスタは楽しそうに笑った。
「わたくしは追放されたわけではありませんもの。必要なら村に買いに行きますわ。お金や宝石も、僅かながらございます」
「……ああ、そうよね。あなたはその気になれば戻れるのよね、なら安心だわ。余計な事をしたわね」
「いえ、マーヤおばさまには剣や槍を習いたいのでこれからもよろしくお願い致します」
マーヤは良いのか? と困ったような顔をアントンに向ける。
「教えてやってくれ」
「いいの? 賊が出たときに武器を持ってなければ、この娘は命までは取られないわよ? でも武器をそれなりに構えられるなら、その時点で倒すべき障害と見做されるわ」
「相手が獣であるなら、自衛の方法がなければ食い殺されますわ。それに武器を持たずに賊相手に生延びてしまったら、自害することになりますもの。同じですわ」
理解し、覚悟の上で学びたいと言うクリスタにマーヤは肩をすくめた。
「仕方ないわね。あたし達の体力がなくなった後、一番元気なのはクリスタちゃんなわけだし。いいわ。教えてあげる。たしかアントンと一緒に農作業をしてたのよね? アントン、火は任せるわよ」
「おう……頼んでおいて何だが、この旅の間はほどほどにな」
「分かってるわよ」