45.守護と、加護の在らんことを
本来は、全員に入国(入村)許可を与えてからの移動となる予定だったが、ヘンリクは借金奴隷10名のみに許可を与え、村長達には敢えて許可を与えないままに川沿いに上流に向う。
荒れ地に川を見た乗客は、驚きの声をあげていたが、それなりに広い川がずっと続いているのを見れば驚きも冷める。
敢えて川から少し離れた場所を北上し続け、5度の夜営の後、ヘンリクは彼らは『村』にほど近い場所で馬車を停めて休憩を宣言する。
借金奴隷10名に加え、ディータ達16名、計26名は、岩陰で用を足し、ようやく近くに見えてきた川に近付こうとする。が、ある地点でディータ達の足が止った。
10名は川に近付いて手を洗ったり顔を洗ったり足を洗ったりする。
それを後ろから眺めるディーター達は困惑していた。
「あ、あれ?」
端から見ると、自らそこで立ち止まっただけのように見えるが、本人達は前に進みたくても進めなくなっているのだ。
何が起きているのか分からず、困ったような表情であたりを見回すディータ達。
しばらくそれを観察したヘンリクは
「済まないねぇ、許可を出すのを忘れていたよ」
と笑みを浮かべてディーター達に近付くと、彼らに向けて片手を挙げ、
「アントンの代理人たるヘンリクが、この者ら16名を仮の村人として登録する」
と宣言した。
「今のは?」
「もう川に近付ける筈だよ」
ヘンリクの答えを聞いたディーターは、首を傾げながら一歩前に足を踏み出す。
今回は、勝手に足が止ることなく、彼らは川に向って歩み出すことが出来た。
(ふむ。個別に許可を与えなくても大丈夫なんだね。楽は楽だけど、悪用しやすそうな仕組みだから、みんなに相談かな?)
ディーター達が川で顔や手を洗うのを眺めたヘンリクは、全員が一息ついただろうと言うタイミングで声を張り上げる。
「注目! さきほど、ディーター達は川の手前で足が止まったけど、気付いた人はいるかい?」
ディーター達は頷くが、借金奴隷は首を傾げる。
それだけ止まり方が自然だったのだ。
「僕たちの村は木の精霊の加護を得ている。だから、僕らの許可なく、近付くことは出来ないんだ」
暫定的に借金奴隷のとりまとめに任命されたヴォルフという40才ほどの男性は、出発前にヘンリクが村人として登録すると宣言していたのを思い出し、あれはそういう意味だったのか、と頷く。
大半の借金奴隷が同じように納得する中、借金奴隷のひとりが発言の許可を求める。
「あの、俺はスヴェンです。そのような話を始めて聞きましたが、もしかしてこれから向う先は何か特別な場所なんですか?」
「んー、まあそう言えるかな? ここまで来たらもう教えるけど、木の精霊が僕らの土地を守ってくれているんだよ。信じられないのは当たり前だけど、村人として登録された人じゃないと入れないんだ。そういう意味じゃ特別な場所だね」
「木の精霊様が? それは土地の伝承などですか?」
「多分、説明しても信じてもらえないから、現地に着くまで待ってね」
◆◇◆◇◆
総勢6名の村とも言えないような村だと聞いていた彼らは、川に面して作られた壁を見て、思っていたよりも発展していることに驚く。
「川は歩いて渡ってね」
渡りやすい場所は作ってあるが、現時点では橋はない。
馬や馬車は、荷を軽くしてから渡すことになるため、重量物である人間は自力で渡らねばならない。
橋を作っていないのは、川の癖が把握できていないからで、いずれは作る予定である。
拠点に入った一行は、まず木の精霊を祀った祠の前で木の精霊に、村人となった感謝の祈りを捧げる。
そして、全員の名簿を作り、この村の主な施設の紹介と、生活をする上での注意点を伝える。
基本的に普通の村と大きく変る点は少ないが、木の精霊に対する感謝の祈りと日々捧げる事を求める点と、この村について他言を禁じる点が特異な点である。
「これから、君たちを1-1班と呼ぶ事にする。ディータ達は1-2班だね」
ヘンリクはそう言って、1-1班に対して予定通り小屋を割り振る。
10名に対して4人用の小屋が4つ用意されており、2つを男女別に分け、家族に小屋1つを割り当てる。
壁はまだ土壁を塗っていないが、これで10名分の寝床の割り当てが決まる。
「村長君には1-2班のとりまとめを頼むよ。1-2班には天幕を支給するから、暫くはそれで凌いでもらう事になる。で、こちらで土地を選定して、小屋を建てて良い場所を指定するから、小屋の建築の用意も頼むね」
「小屋は、1-1班のものと同じ感じですか?」
「面積、使用する部材、掛かる手間なんかは同じ程度にして欲しいけど、その範囲でなら自由にしていいよ。具体的に、何か要望とか出てるのかな?」
「家族単位で分けたいという話も出ていまして」
「あー、まあ任せるけど、小屋一軒あたりの最低人数は3人にしてね」
◆◇◆◇◆
そしてその日の夕食の後。
ヘンリクは祠の前に小さな祭壇を用意して1-1班、1-2班の全員を祭壇の前に並べた。
「君たちをこの土地を守る木の精霊に紹介するよ。とは言っても、精霊の姿を見ることになるのはもう少し先になるけどね」
「姿を見ることが出来るのですか?」
「まあ、その辺は何を聞いても信じられないだろうから、自分で確かめて見て。あ、紹介された後で、ある事が起きるけど、それは絶対に秘密にしてね?」
「それはいったい?」
「僕だって多分聞いただけなら信じなかったようなことだと。ちょっと待ってね。心配なら、君たちと一緒に僕とリコも並ぶから」
ヘンリクが目配せをすると、リコが木製の器を恭しく白い布を掛けた木箱に乗せ、そのままディーターの隣に並ぶ。
「じゃ、ここからはアントン君の出番だね……皆、目を閉じ、木の精霊の守護に感謝の念を。アントン君、略式の祝詞を」
「うむ……」
ヘンリクのいた場所にアントンが立ち、祭壇に向って手を合わせて深く頭を下げる。
「では、新たにこの土地に来た皆さん。精霊の守護に感謝と、加護を祈ってください。
我らに加護を与えたもうた木の精霊よ。
豊かな水の力によりて大地を緑に染め、風に揺れ、いずれは火を生み出す全ての精霊の子にして、木々、草花の主よ。
この地の新たな住人となった者たちが、御身に感謝の祈りを捧げます。
この者達の汚れを祓い、御身の守護と、加護の在らんことを、我が名アントンの名において、ここに祈念す」
そして、アントンは振り返ると、皆に向って目を開けるように声を掛ける。
木の器が光を放ち、辺りを柔らかな光が包む。
そして水が少しずつ減っていく。
「…………今のは、いったい?」
暫く言葉をなくしていたディーターは、深く深呼吸をして、そう尋ねた。
「信じがたいことじゃが、この土地で木の精霊に祈りを捧げる事で、木の精霊の加護を得ることが出来るのじゃよ……木の精霊の加護を得て、魔法の才があるならば木の精霊魔法を使えるようになるんじゃ」
「そんな馬鹿な」
「あり得ない」
思い思いにそのような感想を述べる皆に、ヘンリクは深い笑みを浮かべ、ディーターに声を掛ける。
「村長君は確か火の精霊の加護があって、魔法も使えるんだよね?」
「ええ、まあ、種火を作れる程度ですが」
「なら、この呪文を試してみてよ。足元の草が伸びるイメージで」
「伸びる? ええと、この草で良いんですか? なら……『精霊よ、疾く実りの前の姿を成したまえ』……!?」
村長が選んだのはエノコログサ。通称猫じゃらし。
まだ小さなそれは一気に伸び、穂を付ける直前ほどの姿となった。
「いや……あ、そうだ、誰かが木の精霊魔法を使ったんじゃ……」
「そうでないことは、ディーター自身が分かるよね? 手応え、あったでしょ?」
「……ですが、私は火の精霊の加護持ちですし、魔法の腕は並以下ですよ? こんなスゴい魔法が使えるはずが……」
「まあ、色々実験してみると良いよ。皆も試したければ試してみて。ああ、でも魔法の才がある人は、明日からは畑で使ってもらうことになるから、ほどほどにね」
ヘンリクの言葉に、全員が足元の草に向って魔法を試そうとする。
そこで、アントンが大きな声で待ったを掛けた。
「待て! 全員傾聴!」
そう言って、皆の視線を集めるとアントンは
「精霊の加護を得られたという自覚があってもなくても、取りあえずは精霊に感謝の祈りを! それと、明日から毎朝、無理のない範囲で構わないので祠に祈りを。祈りを捧げれば、力が使いやすくなるかも知れぬし、祈りを捧げねば、力が弱まるかも知れぬ。それを心しておくように」
と続け、精霊との約束を守るのだった。