4.クリスタの決心
「わたくしもおじいさまについて行きますわ」
アントンから説明を受けたクリスタは即答した。
「よく考えたのかね? 荒れ地の奥には人がいないかもしれぬ。そうすると、クリスタはこの先、同年代の友人をもてず、結婚も出来ないかもしれないのだぞ? それにワシもマーヤ達も、クリスタより先に死ぬ。そこまで考えたのかね?」
「考えましたわ。肝心なのは、わたくしは追放されてないという事ですわ」
「まあそうじゃが、それが肝心なのかね?」
アントンの問いにクリスタはコロコロと笑う。
「わたくしは戻っても罪になりませんから、どうしようもないなら一人で戻って来ることもできますわ。でももしも平民の立場で残れば間違いなく神殿に捕まって使いつぶされますから、ここは逃げるべきと思いますの」
「しかし、戻った時に知り合いがおらぬでは身動きが取れないのではないかね?」
「水が見付かれば、開拓した土地を他国に売り込めばある程度のお金にはなるでしょ?」
あっさり他国に売ると言うクリスタに、アントンは目を剥いた。
「ヴィードランドに近い土地を他国に売るのかね?」
「ヴィードランドでは水のある土地の価値は低いですもの。水が乏しい国に売った方が高く売れますわ。ちなみにわたくし、ヴィードランドの国土と民は愛していますが、おじいさま達を話も聞かずに追放しようという国に愛国の情などは持てませんわ」
アントンはそうか、と頷いた。
残った場合の問題があるからこそ、クリスタを連れていくという案が出たのだ。クリスタがそれを理解しており、対策まで考えていると分かった以上、否定する理由はない。
それにクリスタの回答は、アントンの予想よりもずっと先を見据えたものだった。
「わかった。なら一緒に行こう。そうなるとクリスタにはひとつ頼みがあるんだが」
「何でも仰ってくださいまし」
「追放されるのは3名。3名はそれぞれが一頭立ての荷馬車1台を持って行ける。が、それでは色々と不足も生じる」
全てが足りないが、食料自給が可能になるまでの食料と飼葉の不足が問題になりそうなのだ、と言うアントンにクリスタは頷いた。
「自給可能になるまで最短でも一ヶ月くらいでしょうから、食料だけでもギリギリでしょうか?」
「そうじゃ。じゃが、クリスタは追放されるわけではない。だから、農村の指導の際に使っていた二頭立ての箱馬車に色々詰めてワシらと併走しても、何の問題もないわけじゃ」
「『黒箱号』ですわね? おじいさまの指導の旅について、一緒に農村を回っていた経験が役立ちますわね」
貴族令嬢としてそれはどうなのかと眉をひそめられつつも、クリスタはひとりになるのが嫌で、アントンが泊まりがけの仕事に出る際にはついて回っていた。
結果、クリスタは土いじりも馬車の操作も馬の世話もそれなりに出来るようになったし、馬車を部屋に見立てた夜営の経験もある。
ちなみに黒箱号はそうした夜営のために乗合馬車を購入し、クリスタの寝室として改造した箱馬車の名である。
「うむ。本当に何が幸いするか分からんな……荒れ地には当然家などもなかろうから、馬車はクリスタの家にもなるじゃろ?」
「前に夜営をしたときのようにですね?」
「そうじゃ。あの馬車は屋根も壁もあるし、かなり重量を載せられる。クリスタの部屋が狭くなるが、生活に必要な諸々を詰め込み、他の馬車の馬の負担を軽くしたい」
「何を持って行くのかは決まってますの? その、わたくしの馬車以外も含めてですが」
クリスタに問われ、アントンはマーヤ達と話した内容を伝える。
「飼葉、携帯食料、黒パン、穀類、乾燥食料、酒、塩、植物油に獣脂、木製の食器、鍋類。天幕の類いやロープ。丈夫な衣類と靴、布。薪も必要じゃな。それに針と糸、斧や鉈などの工具や農具。加えて、マーヤは武器防具、ヨーゼフは野鍛冶が出来る程度の諸々、ワシは農具に種などじゃろうか。一応樽にも水を入れていくが、それがなくなったらヨーゼフの精霊魔法頼りじゃ」
「そうしますと、わたくしの馬車には村へ農業指導に行く際の二人分程度の荷物。そこに消耗品となる布やロープを使い切れないほど。綿も少しあると便利そうですわ。で、食料や飼葉を大量に、ですわね……あ、馬車に樽は付いていますが、別途、壺や小さな樽もないと不便ですわ……後は非常時用にランタン。刃物の類いはマーヤ様がお持ちでしょうし、ヨーゼフ様がいれば修理も出来るでしょうから、最低限として……水が見付かったら使えるかもしれませんから釣りの道具等も持ちましょうか」
「うむ。釣りの道具は忘れとったな。竿と糸と針と網といった所か……ああ、クリスタはまだ成長期じゃから、丈夫な衣服や靴を、サイズ違いで幾つか用意しなければな」
成長ですか、とクリスタは手を伸ばして袖の長さを確認する。
「下着類も忘れるでないぞ?」
「とりあえず、メリッサ達に手配できないか相談してみますわ……あ、おじいさま。宝石やドレスですが、宝石は見た目の良い高く売れそうな物を数点と、お母様の形見を持って行くつもりです。ドレスは大きめのワンピースタイプを数点だけ。他は全部使用人達に配ろうと思うのですが」
「そうじゃな。明日の昼までに用意するとなると、夜を徹しての準備に皆の手を借りる事になるやもしれんし、残った物は自由に、と伝えるとしよう……ワシは後は本を数冊とエッダたちの肖像画を持って行きたいのじゃが……」
「肖像画はおじいさまのお部屋に飾ってある小さいものにしてくださいましね?」
「絵は嵩張るからのぉ……さて、それでは準備を始めるとするか」
アントンは、ベルを鳴らして使用人達を呼び集めるのだった。
◆◇◆◇◆
家令のオイゲンは、それならば消耗品は一通り、大量に用意すべきでしょうと意見を述べ、メイドのメリッサは、そういうときこそ嗜好品も持つべきだと主張した。
それら意見を取り入れ、まとめた情報をマーヤとヨーゼフにも伝えるように指示しつつ、準備が始まった。
穀類や乾燥野菜をラードで固めた携帯食はそれほど手持ちがないので、買い集めつつ厨房でメイド達が新たに作成する。
嗜好品は、焼き菓子の類いや木の実、乾燥果物などを大量に買い込む。
川の水を飲むこともあり得るので、濾過器に必要な諸々。それに大量のお茶と、お茶の木の苗も積む。
「重くなりますが」
と言いながら、オイゲンは木の板や馬車の予備のパーツを屋根の上に乗せる。
「急なことですので肌着以外は古着しか手に入りませんでした。出来るだけ丈夫なものという事でしたので、見た目より丈夫さを重視して選んでいます……あ、靴は新品がありましたので、皮の物と布の物を買って参りました。修理用の素材なども譲って貰いました」
「ちょっとした金具もないと不便ですので、蝶番と釘をご用意しました」
「毛織りの毛布です。この辺りはそれほど寒くはありませんが北の方に行くのなら念のため。不要となった場合は敷物としてお使いください」
「せめてお化粧道具の一式はお持ちください」
こんな調子で荷物はどんどん増えていく。
小麦を育てても、粉に出来なければ食事に不自由すると、それなりの重量だが比較的小さな石臼なども乗せられる。
仮眠を取りつつ、明け方まで荷物の取捨選択と積み込みは続いた。
結果、クリスタの馬車は行商人のような有様となった。
「おじいさま、これで良いのでしょうか?」
「みんなお前のことを思ってくれておるのじゃ。荷も、ワシらの希望を優先してくれておるから問題はない。思ったよりもやや多くなったが、どれも理由を聞けば納得できるしの」
ちなみに、馬車の下部の物入れには、若鶏4羽と餌が入った籠まで入っている。
ふたりは、朝焼けに染まる空を見ながら、ため息を吐き、昼前まで王都での最後の眠りにつくのだった。
◆◇◆◇◆
屋敷では最後となる食事をとり、アントンとクリスタは、玄関の馬車寄せでそれぞれの馬車の馭者台に乗り込む。
クリスタは乗馬服を身にまとい、髪は小さくまとめている。
アントンはと言えば質実剛健を地で行く厚手の綿の作業服である。
「ここでお別れじゃ。屋敷に残った物はオイゲンが皆に分配して構わない。これまでの皆の働きに心から感謝する」
「みんな、準備ありがと。元気でね」
アントンとクリスタの言葉に、メイド達はハンカチを目に押しあて、声を失う。
オイゲンが一歩前に出て、深々と頭を下げる。
「我々も、良い方にお仕えできて幸せでした……その、せめて門まではお見送りを」
「ここで良い。ワシらの追放はややおかしな点がある。誰かが手を引いている場合、見送りに来た者が目を付けられる可能性もあるからな」
「かしこまりました……それではご健勝とご多幸をお祈り申し上げます」
「うむ。皆もな。クリスタ、行くぞ」
「はい、おじいさま」