37.商談・2
翌朝、ケヴィン達と分かれた一行は、ヴィードランドに向って南下を開始した。
ヘンリクの息子のレオンとの約束までは後5日。
目指すは、国境の村の手前。
であるが、あまり早く行くと、水が不足するかも知れないため、彼らは川沿いに南下して、水を確保できる位置に天幕を張って、馬で周囲の荒れ地を探索しつつ、ヴィードランド側から川に来やすいルートを探す。
来るときは迷わないよう、とにかく北上を優先。通るルートは丘や窪地は迂回しても良いが直進であることが重要。と考えていたため、丘や谷を迂回する際も、東西に大きく移動しすぎないようにしていた。
丘や窪地を迂回しても、直進するなら、丘や窪地が多い場所に踏み込むこともある。
そうした箇所を大回りで迂回することで、もっと平坦なルートがないかと探したのだ。
幾つかの難所を大きく迂回する、比較的平坦で分かりやすいコースを見付けた彼らは、古い道標を破壊し、新しい道標を作る。
そうした作業を行ないつつ、川縁で2日を過ごし、水を補充して村に向って移動を開始する。
今回はあまり馬や馬車の負担を考えず、全員が馬車に乗っている。
今の御者はヘンリクで、荷台にはマーヤとリコ。
「これで、次に来るときは随分楽に来られるね。難所の大半を避けられるから迂回の頻度も減るし、移動距離も少し短くなるし、比較的平坦だから馬車や馬の負担も減るからね。良いルートが見付かって良かったよ」
「そうですね。帰りは荷も増えているでしょし」
そんな事を話すヘンリクとリコに、マーヤは待て、と割り込む。
不思議そうな表情のヘンリクとリコに、マーヤは
「帰りは荷が増えるってどういう意味? 今回は紙面が足りなくて何も頼んでないわよね」
と確認する。
「ああ、そういうこと? 確かに手紙では会議することしか書いてないね」
「そうよね? なんで荷物が増えるの?」
「リコ君、説明を」
「はい。ヘンリク様と私が王都を発ったのは40日と少し前の事です。あなた方なら更にその6日前。それだけの時間、補給もなしに荒れ地で生きることはまず不可能です。しかしあの手紙には安否と約束の事しか書いてありません」
手紙の文面がそれだけであることは全員が知っている。
だからマーヤは頷いた。
「急ぎ食料を、と書かれていないことから、我々の状況――水と食料にそこまで不自由していないこと――を相手は理解しています。こちらが危機的状況でないなら、レオン殿は売り物を持ってくる可能性が高いです」
「なぜ?」
「……そういうお人柄ですので」
答えにならないようなリコの答えだが、マーヤも見知った相手である。そうだったわね、と笑みを浮かべる。
「まあ、そんなわけで、帰りは荷物が増えると思うんだよね」
馭者台でヘンリクがそう締めると、馬車を引く馬が低く嘶いた。
◆◇◆◇◆
約束した場所は村から北に向った先にある丘の周辺。
彼らは前日の内にそこに到達し、村の付近の林から見えない位置に天幕を張っていた。
「来ないわねぇ」
「僕は、時間までは指定していないしね」
川から汲んだ樽の水を沸かす。
濾過したわけでもないのに、それなりに澄んでいて匂いもない。
その湯を使って、木の器と粗い網で茶を入れながらマーヤは首を傾げる。
「そう言えばあのふたり、お茶を嗜好品って言ってたわよね」
「森人の夫婦かい?」
「嗜好品なのかしら?」
「まあ、湯を沸かして白湯を飲めば済むのに、わざわざお茶にしたらそれは嗜好品だけどね」
マーヤの感覚では、お茶は嗜好品よりも生活必需品に近い。
川の水は匂わないから白湯でも問題無く飲めるが、ほんの一手間でお茶になる。
薬草茶と言っても、別に貴重なものは使っていない。
複数種類を集めるのは手間だが、使いやすいように移植してしまえばそれで済む話だ。実際、アントンはそうしている。
木のコップから立ち上るお茶の香りに目を細めながら、マーヤは不思議ね、と呟く。
「アントン君なんかは、お茶の木まで持ってきていたからね。文化の違いなのかも知れないけど、不思議と言えば確かに不思議だね。リコ君はどう思う?」
「彼らは長くあの場所に住んでいるようでした。水があれだけ綺麗で、お茶にせずとも飲めるから、お茶が必要ないのかも知れません」
アントンが濾過器の材料と共に、大量のお茶、お茶の木の苗を持ってくることにした理由は、川の水を飲む可能性を考慮したからだ。
なければないで、薬草茶で代用しただろうし、その材料すらなければ白湯や湯冷ましで我慢しただろう。
だが、もしも濾過して沸かしても匂いがあるような水であれば、お茶で誤魔化さねば飲むのがきつくなる。
その部分を指摘したリコは、その予想が正しい場合、その環境にあって彼らが褒めた薬草茶は、ヴィードランド向けの売り物になるのではないかと付け加えた。
◆◇◆◇◆
「父さん、元気そうだね。リコ様、マーヤ様もお変わりなくお元気そうで何よりです」
「うん。レオンも息災で何より」
「久し振り。また体格が良くなってるわね」
合流した彼らはヘンリクが用意した天幕の下で丸太を椅子にして、リコが淹れた薬草茶を片手に和やかに話を始めた。
レオンは、くすんだ赤い髪と、本当に商人なのかと疑われそうな程に鍛えた体の持ち主だった。
服装は商人のそれに近いが、正直、革鎧の方が似合いそうな体格である。
それは生来のものではなく、鍛え上げた成果であると、マーヤは知っていた。
精霊の加護がないコンプレックスによる反動のようなもので、同じく加護のないマーヤの末の息子のマルクと仲良く鍛えていたのだ。
「まあ、他に取り柄もないですし……それで、お話とは?」
「うん。商談かな。あ。ジークベルト、使える予算を確認したいんだけど」
「はい。こちらに」
ヘンリクに呼ばれたジークベルトは、資産の処分状況を書き記した紙を手渡す。
それを見てヘンリクは
「あれ? 予想よりかなり多いね」
「はい。あの後相場が少々荒れまして、そのお陰です」
「……助かるよ。これなら注文を少し増やせそうだね」
ヘンリクがニコニコと人の良さそうな笑みでそう言うと、レオンは溜息をついた。
「父さんがそういう笑顔の時は大抵悪いことを考えてるよね」
「ひどいな。僕はいつだって悪いことを考えてるよ? 冗談はさておき、それじゃ、まずは現状の説明と注文だね」
ヘンリクはそう言って、荒れ地に水と緑があること。そこに村を作りたいこと。人が少なくて困っていること。その補充に借金奴隷を集めたいこと。を伝える。
今回はまだ木の精霊の話はしない。
それはもっとフェーズが進んだ後にする話だ。
「借金奴隷って言われてもどうなんだろう? うちにも扱っている部門はあるけど」
レオンは困ったように視線をジークベルトに向ける。
「荒れ地というのはネックになりそうですね」
ジークベルトがそう答えると、
「だよなぁ」
とレオンが溜息をつく。
「その辺は、解放までの期間を1割短縮とかで」
借金奴隷は犯罪奴隷とは明確に異なる。
犯罪奴隷は生命、身体の危険がある場所での労働を強制されても拒否できない。
だが借金奴隷は社会通念上、そうした危険がある場合、その仕事を拒否できる。
ちなみに荒れ地を通過するだけならともかく、国のない方向の荒れ地に踏み出す行為は、社会通念上、生命、身体の危険があると見做される。
そうした時に使われるのが、拘束期間の短縮という餌である。
買い手からすれば、払った分から算出されるよりも短い期間で解放することになるが、厳しい環境での働き手を手に入れられる。
奴隷本人からすれば、普通なら自分の借金を払うのに10年掛る所が例えば9年で済んだりする。
そういう取引だ。
「まあ、取りあえず希望だけ伝えるよ。既に開拓地には柵があって水もある。食料生産も始まっている。ただ、老人と子供しかいないから人を集めたい。将来そこに住んでくれると嬉しいけど、気に入ったら、という条件付きで構わない。必要なのは当面、大工、農民、可能なら牧場経験者。若くて健康で真面目なら最初は性別は問わないけど、どちらかと言えば女性が多い方がありがたいね。なお、本件はもう暫くは秘密にしておきたい。荒れ地の水場なんて、国に奪われるのが見えてるからね。だから期間は10年以上を希望するよ。ああ、子供の奴隷とかなら手に職がなくても構わないけど」
「手に職があるか、ないなら子供。拘束期間10年。真面目っていうのは、親の借金とかを押しつけられたとか? 将来の事は自由で構わない、と」
「あ、あと、加護はなくても構わないから。こっちにまとめてあるよ」
と追加の条件と共に渡された紙を見てレオンは片方の眉をあげる。
ジークベルトは無表情だが、木のカップを持つ手が微かに震えた。
「少し条件が緩和されたけど、荒れ地で生活するなら水があった方が良くない?」
「まあ、そうなんだけど、水の加護持ちはヴィードランドでも引き取り手が多いからね」
「まあいいや、それで人数は……ああ、書いてある。10人か。それくらいなら問題ないかな。秘密にすることって条件もあるけど、これは、俺とジークベルトが対象?」
「そうだね。借金奴隷はそこまで縛れないからね。まあ村に入ったら、こっちに戻るには馬が必要になるから、問題はないよ。その他の物資についてはどうかな?」
先ほどより少しじっくりと書かれている内容を確認するレオン。
どれも普通に行商の際に売れる品なので、普段からその大半は馬車にある。
「あー、今日渡せるね。ジークベルトも色々用意しているし」
「伝書鳩は?」
「交換用の鳩を連れて参りました」
ジークベルトは馬車の方を振り向いて笑みを浮かべるのだった。
 




