36.商談・1
しばらくすると川向こうからケヴィンが顔を覗かせる。
トリシーが手を振ると、今回は槍を持たずに川を渡ってくる。
腰に短剣はあるが、ここが荒れ地である事を踏まえると、それはむしろ無防備と言っても差支えない姿だ。
「あなた。この人達が荷馬車の荷で物々交換できるものがないか見て欲しいって」
「ほう……妻を歓待してくれたこと、まこと、かたじけない。それで、物々交換? こちらから出せるような物は多くはないが」
「毛皮とかで良いと言ってくれましたよ? この方達からはお酒と作物が中心だとか」
「酒か。毛皮で良いのなら、こちらとしては良い取引になりそうだが、我々は他に交換出来そうな品は多くない」
そう答えつつもケヴィンは少しだけ迷っていた。
酒はケヴィンの好物だが、嗜好品は一定間隔で消費する。
毛皮は何枚も必要になるものではない。
今後も交換し続けることを考えると、いずれはヒト側の毛皮が飽和する。
長い目で見ると、あまり良い取引とは言えないのだ。
「いえ。ご近所ですから、その辺はまあそれなりに……そう言えば柵とか見た感じ、ここには長いようですね? その割にお召し物は綺麗で……」
マーヤは彼らの拠点の柵に視線を走らせる。
新しい部分と古い部分が入り交じっていることから、それなりに長く住んでいる事が見て取れる。
だが、彼らの服装はそこまで傷んではいない。
「もしかして、布とか織れませんか?」
「布か。妻が作るが時間が掛るな。交換に出す場合、時間見合いの値を付けて貰わねば難しいが?」
「それはもちろん。基本的に物作りは全て手間賃に換算するのが正しい在り方ですし」
アントンやヨーゼフが飲みながら散々言っていた事をそのまま真似てみたマーヤだったが、その言葉はケヴィンとトリシーには殊の外響いたようで、うんうんと頷いている。
(材料や道具を集めるのも手間の内。とか言ってるおかしな爺さんたちだけど、森人の感性も爺さんに近いのかしらね)
取りあえずニコニコと笑みを浮かべながら、そんな失礼な事を考えるマーヤだった。
まずは見て貰おうと、ヘンリクが提案し、リコが荷馬車から木箱を運び下ろす。
酒が入っている箱は、落すと危ないので、蓋を開けて木屑の中の壺を開けて中身をコップに入れて渡す。
「あー、リコ、あたしにも一杯頂戴」
仕事柄、警戒される状況で差し入れを行なう経験もあったマーヤは、リコが差し出したコップの中身を口に含み、ゆっくりと味わってから嚥下する。
「んー……火入れしてないから、酒精がどんどん強くなっていくわねぇ……あたしはこれくらいで火を入れる方が好みだけど」
「この香りは……そちらの林には果物も豊富なのでござろうか?」
「ありますねぇ。果樹は何種類も見付けてます。酒にしたり乾したりと色々試してますが、これは試作品の中でも上等な品ですね」
リコからコップを受け取ったケヴィンは、少し逡巡しつつもコップに口を付ける。
「……これは色々と混ぜておるのか?」
「リコ、あんたが詳しかったわよね?」
「そうですね。林には複数の果樹がそれぞれ、数本ずつありますが、酒を作るにはまったく足りません。なので、甘みの強い果物を摺り下ろし、その果汁と果肉に酵母を加えています。また、発酵前、途中にハーブを漬け込むことで、薬酒としての性質も持たせています。薬といっても滋養強壮に効果がある程度ですが。ああ、今は苗木を集めていますので、5年後くらいからは量を増やせるかも知れません。言うまでもなくこの荒れ地で酒は贅沢品の最たる物です。食べれば腹を満たせる果物を酒にしてしまうわけですから。ですが、息抜きの機会が無ければ人間は壊れます。これはそういう意味でも薬として機能するのです」
「ふむ。面白い考え方だ」
こくり、こくり、と一口ずつゆっくりと酒を飲むケヴィンの肘をトリシーが引っ張る。
「あなた、飲み過ぎないでくださいね?」
「おっとすまん。複数の果物が混ざり、香りと味が喧嘩せぬよう、ハーブが調和させておる。美味い酒だ。数年寝かせたらどうなるのか気になりもする」
コップをトリシーに渡したケヴィンは、荷馬車から降ろされた木箱を覗き込む。
なるほど、と頷き、次の木箱に目線を移しかけた彼は、数瞬後、目を見開いて木箱の中を食い入るように見つめる。
「これは麦? なぜ麦がある? 野生種でござろうか?」
「ああ、まだ二ヶ月ほどなのに、なぜ小麦が、ということよね? あたし達は木の精霊魔法が得意なのよ」
「ああ、成長促進の使い手が多いのだな」
曖昧に笑い、マーヤは他の作物について、アントンから仕入れた知識を使って売込んでいく。
「こっちの赤い芋は結構甘いわ。白い芋とは別物ね。なんなら、増やし方を教えるわよ」
「それでは商売にならんだろう?」
「荒れ地の一カ所でしか作っていない作物は、いつなくなってもおかしくないからね。こっちでも作ってくれれば、うちの畑がどうにかなっても種は残るから、お互いに悪い取引にはならないって、うちの農業担当が言ってたのよ」
「ふむ。聡い者がおるのだな」
森人の歴史の中では、畑に植えた作物が獣に食われ、貴重な種を失ったような話もある。
だから、一カ所に集中させず、信頼できる相手に預けることの意義を理解したケヴィンは、良い取り組みだと評価する。
「そういう事なら、酒の他だとこちらの赤芋、こちらの乾した果物、丸太も交換して貰えると助かるのだが」
「酒と芋と乾した果物と丸太? 構いませんけど、丸太はこっちでも林に入れば伐れますよね?」
「いや、太い木のある場所まで入ると、木の精霊がそわそわし出すから、控えておるのだ」
「あー、贄を届けに来たかと思って? それはまあ大変ですね……なら丸太も少々……って用途は?」
使い道によって、どういう丸太が望ましいのかは異なる。
そう気付いたマーヤの質問にケヴィンは椅子代わりの丸太をぺしぺし叩きながら
「うむ。この太さだと、燃料にするのは勿体ない。木工細工で色々作ることになろう」
と答える。
「なら、節や割れが少ない方が良いですね」
「その方が助かるな。そうだ。ヒトは木から板を作るのが得意だったな。板はあるだろうか?」
「あー、まだそこまでの仕事ができる水車は試作中なんですよ。揚水で精一杯ですねぇ。ごめんなさいねぇ」
困ったように答えるマーヤに、ケヴィンは
「いや、まだ来たばかりなのにこちらこそ無理を言った。済まぬ」
と頭を下げる。
「ああ、そうだ。こちらの麦。種としてひとつかみ差し上げます。これはうちの農業担当が作った、冷害に強い種類なんですよ」
マーヤがそう言うと、トリシーが興味を惹かれたように麦に触れる。
「寒さに強いのは嬉しいわ」
荒れ地は、他の土地よりも朝晩は冷えるため、冷害の影響も大きくなりがちである。
それに苦労していたトリシーが、嬉しそうに目を細める。
「まあ、良い事ばかりではなくて、普段の収量は他の麦の9割くらいなんです。ただ、ヴィードランドでの実績では、冷害で他の麦の収量が3割になる中で7割以上を維持したのよ」
「それは心強いわ。従来の麦も育てたいから、離れた場所に畑を作るべきかしら。あなた、お願いね?」
「おう」
「後は、トリシーさんが気に入ってくれた、このお茶だったわね」
「ああ、確かにこの薬草茶は良いな。しかし、開拓を始めたばかりだというのに嗜好品まで作っているのか。ヒトという種族はスゴいな」
ケヴィンに持ち上げられてマーヤは、うちはバカが多いからと笑う。
「ケヴィンさん。いずれ、僕たちの居住地は村を名乗れるくらいにヒトが増えるかもしれないんだけど、その際、こういう人材が欲しいなどの希望があったら教えて欲しいのだけど。こう、荒れ地で生きて行く上で必要な人材って意味で」
「選べるなら、まずは戦力となる者でござろうな。加えておヌシ達は老人ばかり。若者も必要になる。荒れ地でということなら、精霊魔法の使い手は戦い以外でもいれば心強かろう。鍛冶、大工、石工、医者も欲しいな」
「鍛冶なら出来る者がいるわ。この前あたしと一緒に来たヨーゼフって爺さんは、採掘から製鉄、鍛冶までこなすわ。ええと……」
マーヤは荷馬車から、手斧を取り出し、刃の部分を持ってケヴィンに差し出す。
ケヴィンは手斧の柄の部分を握ると、日の光が斜めに当たるように持ち上げて、各部を確認する。
「ふむ……これは良い腕だ。いずれ、短剣を息子に贈りたいのだが頼めないだろうか?」
「まだ、野鍛冶レベルの施設しかないけど伝えておくわ。息子さんの背格好だけでも教えて貰えるかしら?」
「ああ、背丈は――」
ケヴィンはエーリクの体格を伝え、どのような短剣にしたいのかを告げる。
「飾りはいらないの?」
「うむ。柄の部分は滑りにくいようにして欲しいが、装飾は金属が傷む原因になるゆえ」
「あー、手入れが悪いと、残った汚れから錆びたりするわね。んー、でもお子さんの意見も聞いてみるべきよ。男の子は格好良いものが好きなんだから。気に入った短剣なら、手入れもしっかりするでしょうし、手入れを怠ってダメにしちゃったとしても子供には必要な経験になるわよ。あたし達は明日ここを発ったら一度ヴィードランドのそばで知合いと商談をしてからまた戻ってくる予定なの。急ぐ必要はないけど、出来ればその時までに話をしておいてくれると助かるわ」
「……格好良いものか。ふむ。聞いておこう」
コロナワクチン接種。副反応が出た場合、次回、少し遅れるかもしれません。
今、これを書いている最中、意識を持って行かれそうなほどに眠いのは副反応なのでしょうか??