30.国に必要なもの・2
「気の長い計画ね。あたし達が生きてる間に建国できるのかしら?」
「でも、急ぎすぎれば目立つからね。それは宣伝するのと一緒だよ」
「そう……ね。村としての活動が活発になればどうしても人目につきそうね」
「それでだけど、この土地をどう守るのか、どういう方向性で村を作り、国を作るのかを考えておくべきだと思うんだよね。マーヤの専門分野でしょ?」
マーヤが言ったように『国に必要なのは統治者と民と土地』である。
これ自体は間違いではない。
しかし、それで十分と言えるかと言えば、建国には十分だが、維持をするには足りない。
手付かずの豊かな土地があれば自分の物にする。
誰かが住んでいても、弱い者が土地を持っていたら奪い取る。
それがこの世界の正しい国家の在り方だ。
弱者は滅びる。
国を作って、それを維持するには、最低でも自衛の力、可能なら弱者と見られないだけの力が必要になるのだ。
つまりは経済力、軍事力等が必要であり、実のところ、それらがなければ国を作っても奪われるだけだ。
ヴィードランド周辺は、国家間に荒れ地という緩衝地帯がある。
場所によって異なるが、平均すれば徒歩で半日程度の距離である。
それに対して、この土地と最寄りのヴィードランドとの間には徒歩で三日分の緩衝地帯がある。
この距離は、個人に取っては長いが、軍に取っては至近と言える。
川までの間は水が手に入らないが、川に到着すれば水の補給が出来るのだ。
道を整えれば移動速度もあがる。
何より迷わないのなら、片道分の水を用意すれば済むのだから、食糧や武器の輸送も捗る。
川沿いの土地を制圧し、多少なりとも入植すれば、そこはヴィードランドの土地になる。
先住民として森人とマーヤ達がいるが、それは国に吸収しても良いし交渉が決裂するならどこの国にも属さない無法者として処理すれば良い。
「専門って言われても人も物もないもの。出来ることは何もないわ。対人戦を想定するなら、戦わないのが正解ね」
マーヤの答えは極めて妥当なものだったが、ヘンリクは楽しそうに笑みを漏らした。
「それは現時点の話だね。ここの最大戦力を上手に使えれば、或いは周辺を圧倒できるかもしれないよ?」
「……知ってるわ。あんたのソレは、必要な情報は全部出したから自分で答えを探しなさいって時の顔よ……最大戦力ってあたしが気付いてない事があるの? あたし達は暇じゃないんだから、生徒に教えるようにしないで頂戴」
「ん。そうだね。この土地で最大戦力は木の精霊だよ。この土地は、林も草原も木の精霊に守られているんだよね? 同じように対人でも挨拶した人間以外は禁足地になるようにしてもらうとか出来ないかな?」
「どうやってよ」
「だって、アントン君は話をしたって言うじゃないか。だから少し条件を足して、この周辺の植物がある土地に、僕らの許可なく人間が入ることはできない。とかお願いしてみればいいんだよ」
「いいんだよって」
軽くそう言ってのけるヘンリクにマーヤはどうしたものかとアントンに視線を向ける。
こっちを見るな。
と言わんばかりにそっぽを向くアントン。
こういう時のヘンリクは落ち着くまで放置するに限ると知っているのだ。
「だって、ヨーゼフ君は、満月の頃に対価として水を差し出すんだろ? なら、その時にでも頼んでみれば良いのさ」
「相手は精霊よ? そういう取引が或いは非礼にあたるかもしれないとは思わないの?」
「最初に加護をやるから水を寄越せって言ってきたのはあっちなんだろ? ならこちらは精霊様のなした事を真似しただけ。問題ないさ」
「んだけっどよぉ、それ、誰が話するんだべか?」
水を差し出す方法については、手渡しも微妙だし、そこらに置くのも憚られる。という事で、木箱に布を掛けただけの祭壇もどきを作り、そこに器を置いてヨーゼフが水を注ぐ。というやり方が考えられていた。
精霊に接触することなく、気付いたら器が空になっていた、というようなお手軽な方法である。
対話を前提としたやり方は考えられていない。
「まあ、アントン君かな。可能なら僕とリコ君も出るけどさ」
最初に声を掛けられたアントンは、言ってみれば神託の巫女――男性なので神託の巫覡だろうか――のようなものである。
「ワシがか? 何を言えば良いのじゃ?」
「ええと、マーヤ君。意見があったら遠慮なく言ってね。まず加護と対価の調整が出来るかどうかを聞くんだよ。是、なら、仲間と相談して次回までに条件を幾つか考えてくる。と答える。否、なら諦めるしかないけどね」
「ふむ。ちなみに、ヘンリクが考えている条件はどんなものなんじゃろうか?」
「範囲の拡大、対象の追加、それに伴う供物の増量かな」
「詳しく聞かせて?」
マーヤの言葉にヘンリクは頷く。
「まず範囲の拡大だけど、今の条件の他に、川の両岸、水のある場所から30mほどを範囲とする」
「随分と広範囲になるし、それだと荒れ地も含まれるわよ? 木の精霊の権能に含まれるかしら?」
「ふむ、川の両岸、水のある場所から30mほどを範囲とし、そこに植物がある場合、としようか。で、対象の追加は借金奴隷を守ること。それに加えて、さっきの範囲内の、外から来た人間の禁足」
「……待って、見えてきたわ……水のある場所を中心に植物がある場所への禁足……ひどいことを考えるわね」
ヘンリクの言う内容が実現した時に何が起るのかに理解が及び、吹き出すマーヤ。
「あの、どういう事でしょうか?」
静かに聞いていたクリスタが、我慢しきれずそう尋ねる。
「ああ、うん。ヘンリク、説明してあげて」
「マーヤ君の理解度も確認したいし、マーヤ君から説明してあげるといいよ」
はぁ、と溜息を吐くとマーヤはクリスタに向き直る。
「あたしの理解した範囲だけどね。川の両岸、水のある場所から30mほどに植物がある場合、あたし達が許可した者以外は立ち入れなくなるようにして貰いたいって話なのよ。ほら、この草原や南北に魔物が入れないような感じね」
「はい、その辺までは何となく分かりました」
木の精霊は草原と周囲の林を魔物や中型以上の獣の禁足地にしてくれた。
具体的な方法は分かっていないが、アントン達以外の人間を禁足状態にできるなら接近戦は出来なくなる。
また、仮にアントン達を排除できたとしても、それだけだ。
兵士達は林や草原には入れない。
「出来るかどうかすら分からないんだけど、ヘンリクの要求が通った場合、ここに来た者――例えば軍隊ね。軍隊は川の水は飲めるけど、薪は手に入れられないの。どうなると思う?」
「ええと……飲み水を作るだけの薪がなければ、生水を飲みます……ね……うわぁ……」
川のそばまで来て、向こう岸の灌木を見て、これで燃料を使える、思う存分に水が飲める、と期待したところで、植物のある場所は禁足地なので燃料の採取が出来ない。
そして、湯冷ましを作るための薪を用意出来ないのなら、生水を飲むしかなくなる。
かつて、濾過しただけの生水にあたった事があるクリスタは顔色をなくした。
「大変な事になるわよね。それでももしかしたら、水草のない岸に頑張って用水路を掘って、畑を作るかも知れないわね? どうなると思う? 畑にも植物はあるわよ?」
「植物……畑に立ち入れなくなるのでしょうか?」
苦労して荒れ地に水を引き、土のない土地に植物が根付いた時点で、そこは禁足地となる。
つまり、畑を作る目的が植物を育てる事である以上、畑を作っても無意味。
そこに思い至ったクリスタは苦いものでも食べたような顔をする。
僅かなりとは言え、農民の苦労を知っているクリスタからすれば、それはあんまりな所業に思えるのだった。
「そうなのよ。これに対抗するには、用水路を40m伸ばしたりして、川から離れた場所に畑を作れば良いのだけど、30mって条件を知らずに用水路を無意味にそんなに伸ばす人はいないでしょ?」
「……そうですね。畑を作るなら、まずは水のそばでしょうし。そこでダメだったからと、いきなり40mも離そうと言うことにはならないように思います」
「ヘンリクの考えているのはそういう陰険な計画なのよ」
「マーヤ君は僕に対して失礼だね。最小コストで最大の利を得ようとしているだけじゃないか。それに、君の最後の見解だけど、40mの用水路は無理だと思うよ。砂礫に水を流したって吸い込まれるだけだからね。この辺の条件はこれから詰めるとして、まずは精霊に条件の変更とかが出来るかを聞いてみるべきだと思うんだ。まあ、ダメで元々って所もあるけどね」
ヘンリクはこういう人なのよ、とマーヤは溜息を吐きつつ、クリスタの頭を撫でて荒んだ心を癒やすのだった。
ちなみに。
ヘンリクの考えがうまく行ったとしても、国家の防衛という最もアウトソーシングしてはいけない仕事を精霊頼みにしてしまうことになる。
それに不安はないのかと言えば、彼らにはそうした不安はなかった。
この世界には昔から精霊の加護があり、それがあるのが当たり前なのだ
精霊の加護は自然現象に近い感覚で受け入れられている。
だから、加護がなくなるという事を心配する者は少ない。
今までずっと大丈夫だったから、これからも大丈夫という一種の正常性バイアスとも言えるが、精霊の加護が失われると恐れるのは、彼らにとって天地が崩れ落ち、空が落ちてくる事を心配するに等しいのだ。
◆◇◆◇◆
「まあ、木の精霊の防衛手段については、お願い出来るかどうか分からないけど、当面は代案もないし、それで行きましょうか。無理ならこことは別に更に北に開拓地を作って、距離を防壁に……ああ、ダメね。この土地を開拓して基地にすれば、多少の距離じゃ追いつかれちゃうわ。やっぱり、木の精霊に縋るしかなさそうね」
「そうだね。相手は普通に戦えば絶対に勝てないだけの戦力を用意出来るんだから、僕らには奇策しかないよね」
これはマーヤ君の方が詳しいだろうけど、とヘンリクは長い白髭をしごきながら続けた。
「でも、奇策は奇策。それだけで戦略的勝利をもぎ取れるかは微妙なんだよね」
「そうね」
「僕としては、ヴィードランドとの外交は不要だけど、他の水が豊富な国と、その国から水を貰っている国を対象とした外交が必要だと思うんだ」
「それが出来れば簡単なんだけど、乗ってくれるかしら?」
「今すぐには無理だろうけど、ヴィードランドがやらかした後なら状況が変るからね」
アントン達の建国が広く知られた場合、最も強く反対するのはヴィードランドである。
地理的に最も近いと言うことと、国民全てがヴィードランドからの移民であることなどが理由になる。
また、数年後、ヴィードランドで問題が発生すれば、『荒れ地で川を発見・開拓』というカードは民の不満解消に使える。
ヴィードランド以外の国はと言えば、基本的には利害がないため不干渉。
だが、ヴィードランドに物申したい国は多い。
中でもヴィードランド以外の水が豊富な国がその筆頭となる。
ヴィードランドの水や食料は破格で売られている。
実際には、そこに安全保障に関わるアレコレもあり、それらを乗せればそこまで破格ではないのだが、小麦がこの量で幾ら、という部分だけ抜き出せば破格に見えてしまうのもまた事実なのだ。
普段はあまり声を大にして言えない。
言えばヴィードランドから水や食料を買っている国への攻撃となる。
だが、ヴィードランドが水の管理や作物生産に失敗した後でなら、「十分な費用が賄えていないからだ。持つ国の責任を果たすため、価格見直しの上、資源の管理をしっかりと」などと口を挟んでも攻撃にはならない。
そういう状況で、ヴィードランドの力を更に削げる要素があるのなら、乗ってもらえる可能性が高い。
水が豊かな国がそうすれば、その水を買っている下流の国も、右に倣えとなる。
「簡単に言っとるけんど、ややこすい話になっがらな? 大丈夫なんだべか?」
「王に譲歩可能な範囲を決めてもらえば、外交に関しては僕とリコ君が担当するよ」
「私は内政が得意なのですが、達者な口が必要ならば、適材適所ですからね。頑張りますが、条件は決めておいてくださいね」
「なんじゃ、ヘンリクが王で、リコが宰相かと思っとったんじゃが」
「王はアントン君ですね。さもなければ、クリスタ女王陛下か」
お茶を飲んでいたクリスタは突然の爆弾発言にレディにあるまじき音を立てて吹き出す。
「な! わ! な?!」
「クリスタちゃん。言葉になってないわよ『何言ってるんですか! 私が女王だなんて! 何言ってるんですか?!』って所かしら?」
こくこくと頷くクリスタを面白そうに眺めるヘンリクは、アントンにどうする? と水を向ける。
「ワシが? 何故じゃ。ヘンリクの方が適任じゃろうに」
「王はともかくとして、外交官として僕が適格なのは事実だろ? 外交官は相手国に出向くからね。僕が王をやると、外交が滞っちゃうんだよ。それに、精霊に声を掛けられたアントンなら、精霊神殿も無碍には出来ないよ。聖典の聖人と同じだからね」
「そんな事を言っても信じる者などおらんだろうに」
「今はね。でも木の精霊の防衛が出来たと仮定して、それについて知られた後なら信じるよね?」
精霊の存在を信じない者はいない。
ただ、精霊に声を掛けられたと言っても信用されないだけだ。
だから、精霊でなければ出来ないような事をして国を守ってみせれば、それを疑う者はいなくなる。
「だとすれば、誰がやっても同じじゃろうが、ましてクリスタは関係ない筈じゃ」
「同じじゃないさ。声を聞いたアントン君が聖人で、クリスタちゃんは聖人の孫娘だからね。意味はなくとも他の者よりも説得力があるのさ。あと、複数の加護を得た者が複数いることを隠し、守ることも目的に含まれるね。複数の加護を得たと知られても、それが王なら、他国は好きに出来ないだろ?」
杞人、天を憂う。
杞は天地が崩れ、空が落ちてくるのではないかと心配した人。
杞憂の語源ですね。
ちなみに、前半部分が有名ですが、省略されがちな後半(長廬子が出てくるところ)は割と味があって好きです。
天が落ちてくることは否定出来ないとする辺りは、論理的だね、とSF心をくすぐられますw
 




