3.与太話
荒れ地に水があるのを発見した。
かつてそういうガセネタがあった。
それが事実であれば良かったのに、とヨーゼフが与太話を持ち出すと、アントンとマーヤは顔を見合わせた。
「失念していたわ。アレがあったわね」
「ああ、ワシも追放と言われて、他国に行くことしか考えておらんかった」
「なんじゃ? あの与太話ば信じとるのかよ? 山師が荒れ地探険に出て、水と森を見付けたって言いつつ、飢えと渇きで死にかけて戻ってきたヤツじゃろ?」
「そう、それよ」
「わしも覚えてるけどよ? 鳴り物入りで国が大がかりな調査隊ば派遣して、結局片道三日の距離にはなあんも見付からなかったから、山師のガセネタってことで終わったべ? もし本当に水があったら、さすがにわしらにまで秘密にしたまんま開発なんてでぎねえべ?」
大勢を集めての仕事なら治安維持は必須。
開拓の目的を考えれば、農業、鉱物資源関連の専門家も必要になる。
追放布告まではアントン達3人がそれらのトップにいたのだから、ヨーゼフの主張は正しい。
アントンはヨーゼフの言葉を肯定しつつ、三日の範囲に水があると信じる根拠を述べる。
「その通りだ。だから当時は水は見付からなかった。ところがワシが農業指導してる村のひとつで、先々代の村長から面白い話を聞いたんだ。その村から出た調査隊は、ずっと荒れ地に面した林の辺りにいたってな」
「それこそガセじゃねぇのか? 仮にも国が派遣した調査隊がそんなことするもんかよ?」
今度はマーヤがヨーゼフに答える。
「この話、あたしは前にアントンから聞いてたのよ。で、ヨーゼフと同じように考えた。だから調べてみたのね」
「何をじゃ?」
「当時の報告書よ。そしたら他の調査隊はそれなりの地図を提出してたのに、その隊だけは地図がなかったのよ。丘陵地帯が続き、測量が困難であったため、地図の作成より奥に進むことを優先しました。ってね」
なるほど、と頷くヨーゼフ。
「目的が水探しなら、地図より国境を越えて進出ば優先する。おかしげなことじゃないべ?」
「当時の隊員達の報告書、全員が一字一句同じ報告書だったとしても?」
隊員の報告書は、上司の見落としや勘違いを防ぐために異なる視点で記されるべきものである。
だから、各自が自由に書くし、そうでなければ意味がない。
一字一句同じという時点で、何か隠しごとがあると自白しているようなものである。
「それなら可能性はありそうじゃが……わしはこの話、初耳じゃぞ? マーヤはなんで国に報告ばせなんだ?」
「サボってた調査隊の隊長は、フンメル公爵の次男よ? 報告したって握りつぶされるわ」
「あー、先代公爵家のお荷物って言われてたアレか……そうすっと、わしらは北の荒れ地に水があると信じて、そっちさ向うべか? ……水はわしがいれば精霊魔法で出せっから問題ねぇが、どれほどの食いもん、持って行けるべか?」
「あたしたちの追放は3等よ。だから一人あたり幌なし一頭立ての荷馬車一台分ね」
追放と言っても様々である。
特等ともなれば、肌着以外の持ち出しを禁じられ、追放の範囲は3親等まで。
1等で国外追放。持ち出しは靴と服と、自分たちで背負えるだけの荷物が許可され、追放の範囲は妻子まで。追放期間は無期限。
2等で国外追放。持ち出しは1頭立ての幌なし荷馬車1台。追放の範囲は妻子まで。追放期間は無期限。
3等で国外追放。持ち出しは1頭立ての幌なし荷馬車1台。追放の範囲は本人のみ。追放期間は無期限。
更に4、5、6と下がるにつれて、荷物は好きなだけ持ち出して良くなったり、追放期間は数ヶ月から数年のように期限が付いたり、王都や特定の町などに入ることを禁ずるように細かく変化していく。
だが、どの等級であってもその禁を破るのは、等しく重罪となる。
収監されている罪の如何によらず、脱獄は脱獄となるようなものである。
かなり厳しい条件の等級もあるが、僅かながらの抜け道はある。
たとえば特等であっても『友人』が道の先に控えていて、服と靴を渡したり、路銀や馬を渡したりするのは、王都の門番や追放の立会人の見えない場所で行なわれる分には見逃される。
ただしその場で咎められないだけで見られれば報告されるため、『友人』はいずれその行動の責任を求められる事になる。
それはさておき。
彼らの追放は3等である。
国外(国境の外)への追放。
持ち出しは1頭立ての幌なし荷馬車1台。
追放の範囲は本人のみ。
追放期間は無期限。
彼らに必要な物資は成人3人分の食料や消耗品、その他の道具類である。
3人で行動する事で、共用可能な品物――例えば斧や鍋のような道具――は各自で持たずに数を減らせる。
その分、消耗品などを持ち出せる。
ただし、無期限に対処するための消耗品や食料を考えれば、その程度ではまったく足りない。
現地で食料調達の方法を確立しなければ、飢えて死ぬだけである。
「ヨーゼフとマーヤとワシで、共有資材の分担を考えねばな」
荒れ地には水がない。
そして水がない環境には草木や動物もいない。
岩と砂ばかりで土もない。
必要なものの全てを運んでいかねばならないが、土までとなると無理がある。
「水は……ヨーゼフは水の精霊の加護持ちだったわよね? 精霊魔法はどのくらい使えるのかしら?」
「一日に風呂桶一杯って所じゃ……ただし、全力で使ったらわしは半日は動けんくなるよ?」
ヨーゼフの答えを聞いたマーヤの表情が明るくなる。
「一人一日4~5リットルほどとして3人なら15リットル?。馬の分は30リットルだから3頭で90。105リットルあれば良いとして……風呂桶は200リットルくらいかしら? 余裕で足りそうね」
「いや、冗談じゃろ? 毎日全力の半分とか、わし、倒れるべ?」
「まあ、最初の数日分の水は持ち込むから、出来るだけ無駄なく使いましょうね。荒れ地に行くのに水の精霊魔法使いがいて助かったわ」
精霊魔法は生まれた際に得られる精霊の加護で決まる。
加護のない者もいれば、加護はあるが魔法の才があまりない者もいる。
水の精霊の加護を得て、かつ水魔法を使えるヨーゼフがいるというのは、荒れ地に向うにあたって極めて心強い点である。
「そうじゃな。ワシは土、マーヤは火じゃから荒れ地じゃ役立たずじゃ。ヨーゼフ、済まんが荒れ地を抜けるまでは耐えてくれ」
「ま、まあそういうことなら仕方ねぇけんど、わしは夜の張り番は免除してもらうぞ? 寝る前にそんだけ精霊魔法を使うと、朝まで起きられんからな」
それでは、とマーヤが紙にメモを取る。
「水はヨーゼフに頑張って貰うとして、樽にも水は詰めて行きましょうね。で、あたし達の食料、馬の飼料だけど……何日分を想定するの?」
「……確か、山師は国境から二日半の位置に川があったと言っておったな?」
「ええ。だから調査期間は片道3日分と定められたのよ。山師は往路が二日半、復路は迷いに迷って5日らしいけど」
山師でありながら、荒れ地で方向を見失ったためである。
当時、川の正確な予測が出来なかったのはそのためと言われている。
山師が辿り着いた場所からも調査隊は旅立ったが、そこから片道三日の範囲に川は見付からなかった。
「ワシらも迷うじゃろうから、まあ発見までは5日程度は見ておくべきじゃろうな」
「軍の兵糧の基準だと、鍋ひとつ分の穀物と乾燥野菜。干し肉で5日分ってところよ。で、飼葉は25センチの立方体ひとつが、1頭の1日分だったわ。それを5日分?」
「いや、川を発見できてもそこに食える物があると決まったわけでもない。川を見付けた後もワシらと馬の当面の食い物は必要じゃ。水を見付けて畑を作って、収穫が早い物でひと月ほどじゃから、それまで食いつながにゃならん」
荒れ地が耕作に適した土地であるとは思えないため、本当なら更に一ヶ月。アントンとしてはその程度は見ておきたい。
が、限られた荷馬車の容積で他にも積まねばならないのだからそれは無理な話である。
「食い物なくば生きて行けぬが、食い物だけでもまた生きては行けん。一通り、他の荷を考えよう。隙間があれば食い物を積めばよかろう?」
「そうね……家なんかもないんだから、天幕。出来れば毛布。それととにかく布を沢山。ロープを沢山。糸と針。丈夫だけが取り柄の服と靴」
「工具も必要だべ? 一式に加えて予備。消耗品ば作るための簡単な鍛冶道具はわしが持ってくぞ」
「後は調理器具と食器……食器は割れにくくて軽いものだと木製かしらね。それとナイフにフォーク。ああ、武器も必要ね。剣と短剣、盾にガントレット。グリーブ。革鎧」
「ならワシは作物の種に農具じゃな。それと竹の地下茎や、家畜の餌になる植物の種も少し持って行こう」
「油も必要ね。植物油にラードの塊。それと岩塩。その他の調味料までは持って行けないからアントンに期待ね」
「ああ、開拓村で育てる定番は一通り種を持って行こう」
追放された後、戻ってきて捕まれば重罪となる。
戻れない片道の旅で、人跡未踏の地に赴くと考えると、必要な物はかなり多かった。
「で、空いた隙間に食料と飼葉ね。日持ちする嵩張らない物と考えると油と塩で固めた穀類、乾燥野菜、それと硬く焼き締めた黒パンが定番ね」
「黒パンか。わしはあれ、嫌いなんだげっとしゃあねえか」
食料についての基本方針は質より量である。
仕方ないだろう、と笑う一同に、アントンは
「……ところで、マーヤとヨーゼフは、家族はどうするのじゃろうか?」
と水を向ける。
「わしの所の倅らは鍛冶工房ばやってるから問題はないべな。まあ爵位の相続なんかする前で良かったべ」
「あたし……は……まあ、爵位を残せなかったのは残念だけど、子供達はみんな独立してるから自分たちで何とかするでしょうよ……そういうアントンは? クリスタちゃんはどうするの?」
「クリスタの嬢ちゃんか、そういやおったな」
「あー……どうしたものかと思っとるんじゃよ」
ヨーゼフもマーヤも残るのは子供夫婦と孫達である。
孫はともかく、子供達は成人して結婚もしているのだ。
親や爵位がなくても自分で稼いで生きて行く手段はある。
しかし、アントンの所は少々事情が違っていた。
娘夫婦は事故で既に亡く、残った孫のクリスタはまだ11歳の少女である。
アントンの従兄弟などはいるので、天涯孤独とまでは言わないが仲のよい親戚はいないため、アントンは残していくことに不安を感じていた。
「まあ、追放はワシだけじゃ。孫はどこかに預けていくしかないじゃろうなぁ……」
荒れ地の奥に水があってもなくても、子供には辛い環境である。
水があればまだ良いが、見付からなければかなり厳しいことになる。
「うちの息子達なら預かるかも知れないけど、クリスタちゃんてエッダの娘よね。息子はエッダが初恋だったから、色んな意味で危険かも知れないわね」
「うちの倅らは鍛冶職人に弟子入りしとるから無理じゃ。すまんなぁ」
「いや、ありがとう。気を使わせて申し訳ない」
アントンがそう答えるとマーヤはそう言えばと首を傾げた。
「答えたくなければ答えなくても構わないけど、クリスタちゃんて精霊の加護は? エッダは結構な回復魔法の使い手だったわよね?」
「……生命じゃ。回復の腕前はそれなりじゃな」
「……エッダと同じね。それ、置いていくと食いものにされるわ……連れて行きましょう」
「じゃが、荒れ地では教育もなく、友人も結婚相手もおらぬ」
「こっから嬢ちゃんは貴族の子弟じゃなく平民の子になるべ? なら残っても碌な教育は望めねぇ。それに平民じゃ、欲深な神官に攫われて精霊魔法を使う道具にされっかもしれんべ?」
精霊の加護を持つ者は3人に2人程度とそれなりに多い。
だが、生命の精霊の加護を持つ者は加護持ちの中でも比較的少なく、精霊魔法の才に長けた者となればその1割にも満たない。
だから精霊神殿は生命の加護持ちで精霊魔法の才のある者を探し、向き不向きを度外視して精霊魔法の教育を施し、必要とする者に教育した者を売る――期間を切って有料で派遣するので、奴隷売買ではないが、神殿からすれば有料で派遣できる奴隷である――ことで神殿の運営費などを賄っている。
マーヤとヨーゼフはそうした点を指摘する。
「……そうか……平民だとそういう危険もあるのじゃな……クリスタの精霊の加護について精霊神殿は知っておる……残すのは危険か」
「連れてっても危険だけど、あたし達が全力で守ればいいのよ。それに、奥地の水場に人がいないと決まったわけでもないでしょ?」
「……そうじゃな……じゃが、これはクリスタにきちんと話した上で決めることとする」
◆◇◆◇◆
「それでアントン。わしたはいつまでに王都を発てばいいんじゃ?」
「その村までは丸一日。村から荒れ地までは小一時間程じゃ。」
布告日を含めて3日以内に国外に出る必要がある。その時刻は日没と定められている。
そして布告日は本日。つまり、明後日の日没までに国境から出なければならない。
「そうすると明日の昼の鐘じゃな。急ぎたい所じゃが、馬車の用意だけで朝までかかろう? 今日の内に馬車を用意し、家族と別れを済ませ、明日の昼前に出発じゃ……マーヤ。お前さんのところが一番使用人が多い。余裕があれば、追放される事になる者の中で、ワシらのように間に合わなさそうな者たちには連絡を手配してくれんか?」
「引き受けたわ。あたし達が向う先については伝える?」
「聞かれたら答えても良いじゃろうが、ワシらが荒れ地に踏み込めるのはヨーゼフがいるからじゃ。水の補給の算段が付かぬなら、荒れ地は危険だとも伝えてくれ」