29.国に必要なもの・1
「……じゃが、目標としては面白いな。国を作ることをワシらの目標にするのはどうだろう?」
「でもおじいさま。この土地はまだ村とも呼べませんわよ?」
「ならば、まず村を目指そう。いずれにせよ、ワシらの生活環境を調えていく必要はあるんじゃ。その上で、いつかは他国が戦争を仕掛けるのを躊躇うほどの力を得て国を名乗れるようにするというのは無理じゃろうか?」
なるほど。と頷くクリスタ。
マーヤもいきなり国は無理だという点について理解の色を示した。
だが、冷静な者もいた。
「国を目指してまず村っちゅう方針はええけど、無理があんべ?」
ヨーゼフが冷静に指摘する。
「問題って何よ?」
「マーヤはさっき、『国に必要なのは統治者と民と土地』って言ったべ? 土地はここに在る。統治者は俺らが頑張りゃええ。んだげっと、民ばどうやって増やす?」
ここにいるのは、クリスタ以外は全員が老人である。
そしてクリスタはまだ結婚適齢期ではないし、相手もいない。
近隣の村から転入してくるなどもあり得ない。
自然増は見込めないのだ。
強いて言うならヘンリク達のようにアントン達を追ってくる者がいれば微増はするだろう。
しかし、追放される者は貴族家当主であり、若者はほとんどいない。
「宣伝……はダメよね、この土地を守れる力がない内にそんなことしたら、どっかの国に奪われるだけだし」
手付かずの豊かな土地があれば自分の物にする。
誰かが住んでいても、弱い者が土地を持っていたら奪い取る。
個人が行なえば単なる無法だが、国家が行なえばそれは外交である。
侵略はこの世界の国家が持つ、ごく普通の『権利』だった。
近い所なら土地ごと国を奪い、遠い場所(往復に数ヶ月以上が必要な場所)なら経済的に支配して財産を奪い続ける。
方法は軍事が主だが、経済的、政治的介入も含まれる。
こうした国を覇権主義国家、植民地主義国家と呼ぶが、この世界でこれは強い国が持つ当然の権利だった。
だから人を集めるために宣伝をすれば土地を奪われる。
よって、普通の方法で宣伝はできない。
「僕としては短慮で失敗するのは反対かな。もう少しじっくり腰を据えてやって行きたいんだけど」
「おや、ヘンリク様には何か考えがおありですか?」
「リコ君も気付いてるでしょ? だからまずは1ヶ月から半年、ここで生活環境を整えるのが大事かな」
リコは一ヶ月と聞いて、なるほど、と頷いた。
「なるほど。そういう事ですか……私達が1ヶ月生延びるだけで、ここには水と食料があるという証明になりますね」
「そ。加えて、こっちから産物なんかを持って行って交換をして貰えば、生活の拠点があると伝わるでしょ?」
「待って待って」
と説明を始めるヘンリクに、マーヤが止める。
「何か質問でもあるかな?」
「あるわよ。それって結局は宣伝じゃない。そもそも、誰にそれを伝えるの? 次にどうやって伝えるの? それと伝えてどうするの?」
「『誰に』は、僕の家族だね。『どうやって』は手持ちだと何回も使える手じゃないけど伝書鳩を用意してあるんだよ。『どうするのか』は皆と相談した上でだけど、まずは息子を国境のこっち側に呼ぶ。僕たちがそこに行って会って話をする。可能なら借金奴隷を買ってきてもらって、移民させるとかが良いかなって思ってるけど」
ヴィードランドは長らく戦争をしていないため、戦争奴隷は存在しない。
いるのは犯罪奴隷と借金奴隷である。
罪を犯した平民の内、死刑や手足の切断に至らない者は国が管理する鉱山などで労役に就くが、それが犯罪奴隷である。
日本に於ける懲役刑の刑務作業に近いが、遙かにキツく危険だ。
なお、犯罪奴隷が一般の目に触れることはほとんどない。
労役の施設は、現代で言う刑務所の代替品であり、看守に相当する者が出入りを管理しているからである。
よって、犯罪奴隷を買う、ということは出来ない。
借金などの支払い不履行、いわゆる踏み倒しをした者は、その弁済のために労役に就くが、これを借金奴隷と呼ぶ。
返済のための強制労働であり、開拓、畑仕事、林業補助などの仕事に回されることが多い。仕事はキツいが、鉱山よりは安全である。
ヴィードランドの借金の踏み倒しは日本と大きく異なる点がある。
日本では、借りた時点からの計画的踏み倒しでなければ夜逃げをしても詐欺罪が適用されないことが多い。
その場合、逃げた者には債務不履行という民事責任はあるが、刑事責任は存在しない。
対するヴィードランドでは借金を踏み倒して夜逃げをした者が捕まれば詐欺罪が適用される。
詐欺罪が適用されるとそれは犯罪者と見做されるため犯罪奴隷となる。
つまり、借金奴隷は「払おうと努力したが力及ばず、借金奴隷になっても返済をしようとした者」ということになる。
もちろん、借金奴隷の中には賭博に手を出して返しきれない借金を背負った者もいるため、全員が全員を信用できる訳ではない。
しかし、自分で借金を作ったわけではない者――親の借金を引き継いだなど――は、要領は悪いが真面目な働き手と考えられていた。
だから彼らの借金を肩代わりすることで、彼らを奴隷の身分から解放し、金額に見合う期間の雇用契約を結ぶ仕組みが存在した。
それを使って、労役機関が10年ほどの借金奴隷を集めるのはどうか、とヘンリクは提案した。
「でも、借金奴隷ばかりの村ってどうなの?」
マーヤがそう呟くとヘンリクは
「それはマーヤ君の『気持ち』だよね? 具体的な弊害か、代案があるならともかく、そうでないなら感情を満足させることより実利を選ぶべきじゃないかな?」
「確かに気持ちの問題が強いけど、借金奴隷ばかりの国だなんて他国から舐められないかしら?」
「追放された犯罪者が興した国ってことになるのに、今さら? それに交渉でも戦いでも、相手が舐めて掛ってきている方が有利を取れるよね?」
そう言われてマーヤは、自身がヴィードランドに於ける前科者になるのかと、軽いショックを受けた。
それを横目にアントンがヘンリクに声を掛ける。
「短期間で住民を増やす方法としては使えそうじゃが、ワシも疑問があるのじゃが?」
「アントン君も? どうぞ」
「そもそもワシら、借金奴隷を大勢、解放できる程の金は持ってきてはおらんじゃろ?」
多少の金はあるが、荒れ地生活を想定していたため現金の持ち合わせは少ない。
宝石など、高く売れそうなものはあるが、それらを使っても、解放できる借金奴隷はせいぜい数人だ。
「ああ、僕の財産は息子達に任せてきたから、今頃換金されてる筈だよ。それを使えば20人くらいは問題ないよ?」
「20人か……国には到底足りんよな?」
「だからゆっくりやるんだよ。最初は村の体裁を整える程度だね」
「その先も考えておるような口調じゃな?」
アントンの問いに、ヘンリクは笑みを浮かべた。
「考えというよりも、予想を元にした希望だね。予想を元にしてるから、外れることもあるよ?」
「もったいを付けるでない」
「まあいいか。現時点では問題は起きていないけど、特にアントン君達を追放して、その業績を否定したことで、今後、ヴィードランドの国力は低下すると予想している」
「まあ、さっき聞いた通りならそうなるじゃろうな。特にマーヤとヨーゼフの所の話は国内外への影響がでかい」
「俺も皆が、綺麗な水ば使えるように努力ばしてきた」
「それを否定した先の問題は」
と、ヘンリクは予想に基づく予想を開陳した。
それは
・貴族派は否定したことを元に戻すことはできない。
・否定した結果、遠からず、食糧問題や水の問題が発生する。
というものであり、アントン達は
「まあ、そうなるじゃろうな」
と頷いた。
否定した事を元に戻すのは、追放が間違いだったと認める行為であり、そうなれば奪ったモノを失うだけではなく、元に戻すために自分が持っていた財産をも失うことになりかねない。
更になぜそのような判断をしたのかを調べられれば、それこそ追放されるにふさわしい罪と見做される可能性すらある。
そして、農業、治水、水質維持の取り組みを否定したままであれば、いずれ問題が顕在化する。
ただし、今までアントン達がしっかりと仕事をしていたため、目に見える問題になるには少々時間が掛る。
特に治水と農業に関しては、気候の影響という変動要素があるため、時期はまったく読めない。
「それでどうなるのですか?」
とクリスタがヘンリクに続きを促す。
「ヴィードランドは他国との各種条約と同盟で自国を守ってる国なんだ。条約は、農作物と水資源の安定供給を約束したものが大半だから、それが出来なくなればヴィードランドが約束を破ったことになる」
分からない、という顔をするクリスタにマーヤは補足した。
「ヴィードランドに他の国が攻めて来ないのは、周辺国に綺麗な水を無償で流すと約束しているからなのよ。他にも農作物の安定供給とかもあるわね。
もしも一方的に条約を破棄してヴィードランドに進攻するような嘘つきが水資源を独占してしまったら、以降は水が手に入らなくなるかも知れないから、諸外国は条約破棄をしてヴィードランドに攻め入るような嘘つきがあれば、自国の水資源確保のために全力でこれを叩くの。だけど、その約束を破ったのがヴィードランド自身なら?」
「他国が条約を破棄する大義名分が出来ちゃいま、す? ……え? 大変なことですよね?」
「そうよ。子供でも分かる事なのに、貴族派の連中ときたら」
「仕方ないよ。外交官以外は条約とかあまり気にしないから」
他国からすれば、ヴィードランドに生命線を握られている状態がずっと続いている。
大きな問題が生じていないからこそ、他国はヴィードランドがヴィードランド自身を統治することを認めていた。それを形にしたのが条約だ。
本当は、どの国もヴィードランドを統治すべきは自国であると考えている。
為政者の視点からすれば、自国民の生命線を握るのは自分であるべきなのだ。
しかしヴィードランド以外のどこかに任せるよりは、実績のあるヴィードランドに任せておけば現状は維持される。
自国がヴィードランドを獲ろうとすれば、自国がそうするように、周辺国がヴィードランドを守る。
だから、その状態が続いている。
「まあ、条約破棄が即座に行なわれるとは限らないわよね。周辺国の綱引きもあるでしょうし」
周辺国の妨害がなければヴィードランドを落すのは容易い。
その場合、占領後の配分が問題となる。
水資源の確保が目的である場合、出来るだけ上流を押さえなければ意味がない。
上流に堰を作られれば、下流の川は干上がるからだ。
だが上流過ぎてもいけない。
複数の川がまとまって大河を形成するため、一番上流だと小さな泉になってしまうからだ。
また自国に繋がる川を確保しなければならない。
それに失敗すれば、ヴィードランド内に飛び地のような川を抱えただけで、自国に水が流れてこないからだ。
だから、周辺国がヴィードランドに攻めてくる前に、そうした調整が行なわれる筈である。
マーヤはそう予想していた。
が、リコは笑った。
「マーヤ君は随分と人が良いですね。万が一の事態に備え、そうした話し合いは随分と昔に終わってる、というのが外交筋の見解ですし、僕もそれは妥当だと思っています」
「あら、そうなの?」
「思考実験的なものとされていますが、そういう準備や研究がされていて、ヴィードランドが隙を見せれば、条約破棄を躊躇う理由はありませんよ」
「あの、それで条約が破棄されたらどうなるのでしょうか?」
クリスタが首を傾げる。
その疑問にはリコが答える。
「ヴィードランドに不利な新しい条約の締結が推進されると私達は予想しています。古い条約はヴィードランドが破ったため破棄された。攻め込まれたくなければ受け入れろ。という体裁ですね。もしくは即日開戦という線もありますが……周辺国との最終合意や同盟締結も必要でしょうからいきなり戦争になることは稀でしょう」
戦争には不確定要素が付きものだし、戦って被害がゼロという事を期待するのは愚か者である。
特にヴィードランドの占領で得られるモノを考えれば、機会があれば諸外国に先んじてより多くを奪うべき――と、全ての諸外国も考えるだろうことは予想に難くなく、その状況で戦争を仕掛ければ、いつ側面や後背からの攻撃を受けるやもしれない。
事前の協議は条約や同盟ではない。
本当に戦争が始まってしまえば、単なる事前の協議など意味をなさない。
戦争になって得をするか損をするかは終わってみなければ分からない。
そういうギャンブルなのだ。
だから、余程の場合を除き、いきなり戦争という事にはならないだろうというのがヘンリクとリコの予想だった。
「まあそんな訳で条約が破棄されればヴィードランドは、今までのような国家運営はできなくなる、というのが僕とリコ君の予想なんだ」
「借金奴隷を連れてきて人口を増やすという案は検討に値するけど、今の話とどうつながるのよ?」
「短慮で失敗するのは反対かな。もう少しじっくり腰を据えてやって行きたいって言ったでしょ? 加護がある以上、今さら拠点を変えるつもりはないんでしょ? なら、最初に10人くらい若い男女を連れてきて、順調に推移できたら増やすんだ。国が混乱すれば借金奴隷は増えるだろうから、時期としてはその辺が狙い目かな」
「増えても安くなったりはしない……わよね?」
買おうと思ったことすらなかったマーヤは、確認するようにそう尋ねる。
と、ヘンリクは頷いた。
「解放は借金返済のためだから、値引きはないよ。ただ、母数が増えて、世の中が物騒になれば、行方不明が出ても大事にはなりにくいよね」
追跡調査などが入ることはないが、それでも大勢が消えることになる。
ならば、キャラバンが襲われたのかも知れない、という記録を残しておきたい。
不正に記録を改竄することはできないが、世の中が物騒なら、「一ヶ月前に到着する予定だった荷馬車が来ていない」と通報すれば、「強盗にでもやられたのだろう」と判断され、そのように記録されるはずだ、とヘンリクは人の良さそうな笑顔で宣うのだった。