26.合流
アントン達が国境を出た村で情報を仕入れたヘンリクとリコは、マーヤの残した符丁を辿りながら荒れ地に踏み込んでいった。
だが、彼らは丘のあたりでマーヤの方角を見失った。
符丁は残されていたのだが、丘の辺りでは方向転換が多く、符丁は方角を使ったものとなっていた。
だが、それなりに正確な方角が分からないと符丁は意味をなさない。
そして、彼らはヨーゼフの持つような方位磁石を持ち合わせていなかった。
だからヘンリク達は数回行きつ戻りつして方角を調べた。
そうやって彼らが、マーヤが川に出た場所を見付けたのは5日目の朝だった。
アントン達がそこに至るまで、丘に登ったり偵察をしたりしつつ、慎重にルートを選んでも4日だったことを考えると、掛りすぎである。
5日目の夕刻。
川沿いにマーヤの符丁を探す移動の途中でヘンリク達は森人に出会い、マーヤとヨーゼフが北に向った事を教えて貰い、その礼に発酵中の酒樽を渡してマーヤたちの後を追った。
森人からは、マーヤ達に物々交換の打診もあったため、近い内に産物のやり取りがあるかもしれない。
森人との出会いにより、ヘンリクとリコは好奇心を大いに刺激されたが、まだ目的地までの距離も分かっていない。
色々と話を聞きたいと後ろ髪を引かれながら彼らはアントン達の足取りを追った。
ここまでは予想外に時間が掛ったが、後は川沿いの移動であり、目印を見落さなければ迷う恐れはあまりない。
彼らは順調に北上し、荒れ地に入って9日目の朝にはアントン達の居住地を発見した。
川向こうには草原があり、向こう岸の川縁には柵があった。
粗い柵の中には細い用水路が引き込まれている。
柵の奥にももう一枚の柵が見えている。
作りは川縁の柵の方が丁寧で、奥の柵は取りあえず障害物を作りました。というものに見える。
草原の中央付近には中腹付近の段差が目立つ丘があり、丘の頂上にも柵が巡らされている。
他よりも丁寧に作られた柵と土壁の存在から、そこが防衛拠点だとヘンリクはあたりを付ける。
柵の隙間から馬の手綱を引いているふたりの姿を確認したマーヤは、クリスタに訓練を中断するように告げて、まずは人間だけ渡って来るようにと声をかける。
「深い所もあるから気を付けるのよ!」
そんな風に声を掛けられても、川に足を踏み入れるのはなかなかに勇気がいる。
「なかなか野趣溢れる拠点だね」
「そうですね。しかしこの短期間でよくここまで、と感心します」
そんな軽口を叩きながらも、ヘンリク達は杖を使って慎重に川を渡る。
「やあマーヤ君。久し振り、という程ではないけどみんな元気だったかい?」
「お陰様でね。今回はヘンリク達だけよね? クリスタちゃん、みんなを呼んできて」
訓練用の槍を片手に手持ち無沙汰にしていたクリスタに、全員を集めるように頼むと、クリスタは槍を担いで元気よく走っていく。
「……アントン君の孫娘だったね? 元気な子だね……さて、僕たちが足取りを追えるように符丁を残してくれたこと、感謝するよ。丘の所では少し迷ったけど、他は順調に来れたよ」
「北に向うって符丁を残して置いたでしょうに」
「曇りの日は北が分からなくてね。ちなみにまだ誰か来るかも知れないから、符丁は残してあるんだけど」
ヘンリクの返事に、マーヤはしまったという顔をした。
自分たちはヨーゼフがいたから必要に応じて方角を確認できていたし、軍でも方角を調べられる者は多いため、それを基準に印を残してしまったのだ。
「もう少し余裕が出来たら、一回戻って目印を置き直すわ」
「それにしても……アントン君達が王都を出てまだ半月……20日くらいだったかな? これはいったい?」
ヘンリクはそう言って丘の周辺をざっと眺める。
川を渡る前は、柵があって細かい所まで見えなかったが、そこはかなり拓けているように見えた。
南北にある林に挟まれた草原。
草原には小さな畑が何枚かあり、それぞれ異なる作物がそれなりに育っている。
中央には丘。
丘は中腹に道のような段差があり、その上に柵がある。道の横の壁の部分には不恰好に石が積まれている。
構造としては原始的な山城のような作りになっている。
登り口は川の側。
丘の上の柵の一部は土壁になっている。天井はないようだが、厩として使っているようで、登り口からだと馬の姿が見える。
箱馬車も丘の上にあることから、水害対策で貴重品を丘の上に持って行ったのだろうと判断する。
川縁には竹で作られた柵。土壁に改造しようとしているようにも見えるが、これも作りかけ。
柵の内側に細い水路が掘られており、おそらく生活用水はそこで汲んでいるのだろうとヘンリクは予想した。
柵の一部には目隠しがされており、そこはトイレだろうと見当を付ける。
そして草原の奥に見える岩山の方にも粗い作りだが竹の柵。
そこまでなら、随分頑張ったなで済む、の、だが。
「これは、とは?」
「いや、明らかにおかしいよね、あれとかさ」
ヘンリクが畑を指差す。
マーヤは暫く考えてから
「ああ」
と手を打った。
「みんなで頑張ったのよ」
「いやそうじゃなくてだね」
「つまりヘンリクはこう言いたいのよね。開拓だけなら分かるが、なんで畑に作物が出来てるんだ。って」
ヘンリクはほっとしたように頷いた。
「うん。あれ、芋と麦もあるけど、かなり育ってるよね? ここに来て10日かそこらだとしたら、あれはおかしいよ。実はここって前から開拓してたのかな?」
そう聞きつつもヘンリクはそれはないと思っていた。
畑以外の開拓状況を見ればまだまともな小屋もなく、柵も試行錯誤しつつ改良しているのが分かる。
そういう部分から、たまたま見付けた草原に柵を作ったばかりの状況が見て取れる。
その状況と、畑の状況には矛盾があった。
「違うわ……えっと……証拠も見せるから、まずは最後まで黙って聞いてね? ここに拠点を作ったら、この辺を縄張りにしている木の精霊にアントンが声を掛けられて、その時、ここにいた全員が加護を授かりました。で、木の精霊魔法には、植物の成長促進魔法があったから、みんなが交代でそれを使って作物を育てたのよ。2,3本だけなら、大人なら頑張れば一瞬で実りまで行けるけど、それに頼り切らないようにしようってことで、普通に成長させてる畑もあるのよね」
「……で、見せると言った証拠は?」
「あー、そうね……どれがいいかしら……」
マーヤは足元を見回し。背の低い麦に似た雑草を指差した。
「他より小さいでしょ? これを見ててね。『精霊よ、疾く成せ』」
マーヤはその雑草に花穂が出来るイメージで精霊魔法を使った。
すると、瞬き2回ほどの時間でそのイメージが現実のものとなった。
それを見たリコが息を飲み、絞り出すように言葉を放つ。
「……私は……貴族の名簿などを管理していましたので、皆さんの加護についても把握しておりますが……マーヤさんは確か火だったかと。木の精霊の加護ではなかったと記憶しています」
苦しそうなリコの声にヘンリクは、自分も呼吸を止めていたことに気付いて大きく深呼吸をする。
「……老齢になってから加護を得るだけでも希有なことなのに、加護がふたつですか……僕の知識の範囲では、精霊の加護はあるかないかのどちらか。ふたつ以上持つヒトはいない、と読んだ記憶があります。たしか精霊神殿で書かれた精霊学の書物でしたが」
精霊の加護は生まれ持つものであり、後天的に得られるものではない、というのが精霊神殿の公式見解である。
老人が新たに加護を得た。
複数の加護を得た者がいる。
これが事実なら、かつて例を見ない話で、下手をすれば神殿から、精霊の愛し子などの不可思議な称号を貰いかねない案件でもある。
「ちなみにアントンもヨーゼフも、あと、さっきのクリスタちゃんも全員加護2つ使える状態よ」
「僕としては興味深いと思うけど、過去の精霊神殿の学問の幾つかが無価値になるような話だね」
物事を研究する場合、自明の事柄を前提条件として定め、仮説を置いて研究をする。
そして精霊神殿で自明の事実とされることの中には
・精霊の加護は先天的なものである。
・後天的に加護を得る方法はない。
・ヒト種にとって加護は、1つか0のいずれかだけであり、2つ以上の加護を持つ者は存在しない。
等が含まれる。
それらを元にした仮説に関する多くの論文――ある意味神殿の支配階級とでも言うべき知識階級の財産――が無価値になりかねない情報であると理解したヘンリクは、このことは絶対に知られない方が良いだろうと呟く。
学問の場に置いてさえ、常に真実が尊ばれるわけではない。
権威に阿るのは学問の場でも同じなのだ。
ただ、論文などでマーヤの事例に触れないだけならば実害はないに等しい。
だが仮に、無視ではなく、事例をそのものを消し去るなどという手段に出られると面倒な事になる。
だから、
「この先、そういう人が増えない限りは、新しい精霊の加護を得たなんて言わない方がいいよ」
とだけ告げる。
マーヤもそうした事を考えていたのか、苦笑しながら
「みんなにも伝えておくわ」
と答えるのだった。




