25.ヘンリクとリコ
アントン達が出立した後の王都では。
大衆の声に耳を傾けると、幾つもの改革が行なわれた事を評価する声が多数だった。
実のところ、改革の詳細を知る者は少ない。
大衆にとって大事なのは、新王が分かりやすい改革を為したという事で、事情を知らない者ほど『改革を行なった』というただそれだけを高く評価した。
そうした声はやや現場に近付くと「大事なのは改革をすることではなく、結果を出すことである」と変化し、結果の出ていない改革を評価する者は減る。
そもそも、たかが数人の人間が数日いなくなった現状で何かが変るはずはない。
重要な歯車であっても、休んだり寝たりもするのだから当然である。
それに、各部署への布告やらはあったが、それが反映されるまで、まだしばらくの時間が掛る。
変化はこれからゆっくり始まるのだ。
それが良い変化であるか否かを判断するには今少しの時間が必要だった。
だから、現時点に於いて、王都には大きな変化はなく、ごく一部を除いて平和な日々が続いていた。
その除かれてしまった、平和ではないごく一部。
追放される第二陣は、最初からアントン達を追い掛ける計画を立てていた。
急げば期間内に国境に届くかも知れない彼らが、アントン達を追い掛ける事としたのは、主にその好奇心と、冷静な判断の結果だった。
学問に関する諸々の重鎮だったヘンリク・アラヤ伯爵。
主に内政に関わる各種書類と人員の管理を行なっていたリコ・レコラ子爵。
彼らも追放を受ける身ではあるが、だからこそ自分の仕事の総決算として、なぜ新王即位を機にこのような事件が発生したのかを調べたのだ。
それは、貴族としての権利を失った彼らにしてみれば、かなり面倒な仕事である。
そのため調査に時間を要し、結果、アントン達を追う事が確定したわけだが、彼らの計画に、それは織り込み済だった。
彼らはアントンが孫を連れて行った事から、比較的勝算が高い賭けであると判断していたのだ。
彼らはアントン達と比べると普通に貴族らしい貴族と言えるが、アントン達と同様、真面目に仕事に取り組むタイプだった。
ルールを作るのは自分たちだと理解し、それなりに実力もある彼らにとって、ルールは破るものではなく変えるものなのだ。
そして、作ったルールは守るし、守らせる。その上で元々あるルールは気に入らなければ変えるし、そうでないなら守るし守らせる。
そのような彼らが、悪事に手を染めるはずがない、という多くの声はしかし、今回もまた王の耳には届かなかった。
アントン達から連絡を受けた彼らは、そのタイミングで国外に出ることよりも、情報収集を兼ねた仕事の引継ぎを優先した。
引継ぎと言っても、アントン達同様、王宮に入れない平民の身分である。
彼らの屋敷に人を集めて、今までの方針と目的を再度説明した上で、必要な作業と優先順位、関連する人物についての情報を残すのが精一杯である。
それを対価として彼らは、様々な情報を収集したのだ。
中には平民の引継ぎなど不要、という者もあったため、予定していた半分も引き継げなかったが、情報の収集は思いの外捗った。
彼らも、彼らの部下達のいずれも、知識を尊ぶ仕事をしていた。
だから、今回の大改革には驚き、可能な限りの調査を行なった。
その調査結果を持って、彼らはアントン達の後を追って旅立ったのだ。
「リコ君、この国はどうなるんだろうね?」
「存じません。自分達はそれを心配する立場ではなくなりましたし」
ニコニコと笑みを浮かべる、いかにも好々爺という言葉がよく似合う、白い長髪のローブを着た男性がヘンリク。
モノクルを掛け、一見すると執事のような姿をした、老境に差し掛かかろうかという銀髪オールバックの男性がリコ。
ふたりは王都を出た所で、荷馬車の馭者台から降り、荷馬車には乗らず、手綱を引いて歩いていた。
「それにしても……こうやって歩くことは苦痛ではありませんが、どんな意味があるのですか?」
「荷を積んだ馬車など、乗っても人が歩くほどの速度でしか進めないよ。それなら、地面に近い所にいた方が、見落としがないよね?」
「マーヤさんが街道に残した道標ですね? 街道にそのようなものがあれば撤去されそうに思うのですが」
「マーヤ君が残しているのは符丁だよ。ああ、あれがそうかな?」
ヘンリクが指差した先には、大きな岩があった。
が、よく見ればヘンリクの指は岩の少し横を指している。
泥だか馬糞だかで汚れた大きめの石が幾つか。
それが岩のそばにごろりと転がっている。
更にそのそばには同じく汚れた小石が幾つか。
それを見て、あったあった、と喜ぶヘンリクに、リコはマーヤの職歴を思い出した。
「……軍の符丁ですか。自分はこれを読み解けるほどは知らないのですが、なんとあるのでしょうか?」
「大きい方の石が「行け。変更なし」。意訳するなら『予定に変更はないからこのまま進め』って事かな? そばの小石はマーヤ君のサインみたいなものだね」
「この石が蹴飛ばすのも躊躇うほどに汚れているのは……ああ、皆が触れないようにですね」
「そうらしいね。普通は読んだら崩すんだけど……うん、僕達以外にも追い掛ける人がいるかも知れないし、残しておこうか」
調査を優先したヘンリク達には無理だったが、これ以降の追放は、おそらく隣国まで辿り着ける程度の日程となる筈である。
すべての追放期日に問題があれば、それは絶対に問題提起されるからだ。
荒れ地で生活するという無茶をしなくても済む者なら、大抵の者は隣国に向う筈ではないか?
そう考えたリコは、それなのになぜ残すのかと尋ねた。
「ん? リコ君、その辺を知らないでこっちを選んだの? リコ君は他国から、ヴィードランドに追放されてきた人とか、知ってるかい?」
「……そう言えば寡聞にして聞き及んだ事がありません」
「国外追放って言うのは、本来は荒れ地への追放刑の事で、実質的な死刑なんだよ。ただ、あからさまにそう言うと角が立つから、国外追放って言ってるだけ」
「そう……なのですか? ですが、そのような話は聞いたことがございませんが」
国内法についてそれなりに知識のあるリコが不思議そうに尋ねると、ヘンリクは楽しそうに笑った。
「言ったろ? 角が立つって。明文化された話じゃないから本には書いてないよ。でもリコ君なら知ってるんじゃないかな? どの国でも他国の追放者が来た時、高額な税金を課すんだけど」
「ええと? ……あ、もしかすると? 出身国の同意がある場合、他国の犯罪者を入国させる際に特殊な入国税を課すという話を聞いたことがあるのを思い出しました。なるほど、他国の犯罪者とは追放者を指していたのですね」
「それそれ。追放者って、結局のところ犯罪者だからね。国外追放者とか言われても、どの国も引き受けたがらないんだよ」
周辺国との国境が公海上にしかないような島国を除けば、「国外追放による出国=いずれかの国への入国」を意味する。
だが、追放者が間者であったり、凶悪犯罪者であったりすれば、それを受け入れるのは外患誘致に等しい。
だから、周囲が公海であるような場合を覗き、国外追放などという刑罰はあり得ない。
島国であっても、そんな手間を掛けるくらいなら死刑にした方が費用が掛らない。
だが、この世界は荒れ地の中に国家が点在しており、荒れ地は公海に等しい扱いとなっている。
そして貴族の死刑の死刑は忌むべきものとされていた。
だからこそ国外追放という刑罰が成立する。
そうでなければ
ヴィードランド:「お前を国外追放刑に処す」
周辺国:「迷惑だ。断る。送ってくんな」
という事になりかねない。
もちろん他国を目指す者はその辺りは百も承知で、十分な入国税を払って受け入れて貰う用意をしている筈だ。
と説明をした上で、ヘンリクは、だけどね、と続ける。
「だけどね、受け入れて貰えたとしても、ヴィードランドと周辺国との関係は、十年もしたら悪化するだろうからね。行っても肩身が狭いだろうし、下手をすれば間諜だと疑われるよ。そこまで読んでる人は、アントン君を追うんじゃないかな」
「……関係悪化ですか……我々の追放が遠因で、ですね?」
「僕たちを追放した彼らも、別に関係悪化や戦争までは望んでいないと思うんだけどね。アントン君達を追放したのは愚かとしか言えないね」
ヘンリクの調査結果では、アントン達を追放に追い込んだのは、主に貴族派の一部だった。
目的は、国王派の権益を奪うこと。要は金儲けである。
やり口は単純なものだった。
新しい王の側近やその部下に自分たちの息が掛った者を押し込んで、狙った獲物の業績から数字上、問題に見えそうな部分だけを抜き出して提示させ、新しい王の判断を歪めた。
側近の一部はそれを知らずに、優秀な部下の集めた分かりやすい情報――部下の都合の良いように歪められた情報――を元に王子に様々な進言を行なっている。
知っている側近は親族の影響で貴族派になった者たちである。
前者の側近に情報や提案をさせ、否定的な意見を述べたりしつつも、最終的に狙った所に結論を持って行く。
例えばアントンは、冷害に強い麦を作って、それを農民に育てさせた。
やや実入りが悪いが、例年で1割減。9割の収量となる品種である。
しかし、50年に1度と言われる規模の冷害に於いて、その品種にしていない畑で収量が3割まで落ちている中でも、新品種の畑は例年の7割を保つことが出来た。
だが、新王は単に収穫が毎年1割も減るような品種改悪が行なわれた。と報告を受けた。
その時の功績でアントンは先王から褒美を賜っているにも関わらず、である。
ヨーゼフもマーヤも、そしてヘンリクもリコも、皆、真面目に仕事に取り組んで結果を出していた。
だが、その一部の数字だけを抜き出し、実績に問題がある、と王に囁くのが貴族派のやったことだった。
追放刑を受けた者の中には、右肩上がりで領内の景気を向上させていた領主もいる。
その領主の罪は、「領内のスラム人口が増え、治安の低下が続いている。にも関わらず領の税収は増えている」という情報に基づくものだった。
景気が良くなって人口が増えればスラムの人口も増えるし、人・物・金の流れが増えれば犯罪も増える。景気が良く商業活動が活発になれば税収が増えるのも自然な流れだ。
知っている者からすれば、ただそれだけ。当たり前の話だ。
だが、全体の人口変動や景気浮揚については数値を出さず、あくまで一般論として「景気が悪くなるとスラムの人口が増える」という話を別のタイミングで聞かされた聞いた王は、無意識の内にそれらを関連付けてしまった。
「領内のスラム人口が増え、治安の低下が続いている」
を
「スラム人口が増えるほどに領内の景気を悪化させたにも関わらず税を増やしたからだろう」
という想像で補完するように仕向けられた王は、それに乗せられてしまった。
本来、そうしたデータの読み間違いや誘導を正すのは側近の役目だが、ヘンリクの調べては、その側近が率先して王にそうしたデマを吹き込んでいる。
ただ、リコが調べた限り、彼らは国の重鎮の持つ権益が欲しかっただけだ。
虚偽の情報で王を惑わせた罪はあるが、そこに国を損なう意識はない。ヘンリクとリコはそのように結論づけていた。
大した悪意なくやっているから、ほとんど罪悪感もなく、様々な方面に手を伸ばして金儲けに奔走している。
だが、それは戦争に繋がる道であると二人は考えていた。
だから、周辺国との関係は、十年もしたら悪化すると予想していた。
「我が国を守る盾を自ら破壊しておいて、戦争を望んでいないと言うのは無理があるのでは?」
「んー、多分彼らはアントン君、ヨーゼフ君、マーヤ君をヴィードランドの盾だと見做していなかったんだろうねぇ」
ヴィードランドの軍隊は少ない。
多くの国と条約を結んでおり、水と食料を安価に提供する代わりに、攻め込まれたら別の国が守ってくれるという戦略が基本にあるからだ。
近隣諸国は、自国がヴィードランドを占領したら、他国に対する水や食料の値を適正なものにして大儲け出来ると思っている。
だからこそ、他国がヴィードランドを占領して、水や食料の値を適正なものにしようとすることを絶対に許さない。
そうした背景があるからこそ、ヴィードランドの軍は引きつつ橋を壊して避難民と国を守る戦術を主戦術とする。
他国が侵略するとすれば、その目的は畑と水なので、それらは損壊されない。
避難出来なかった者がいれば殺されるだろうが、それは必要な犠牲に計上される。
そのための訓練を行なった軍隊は既にある。
盾は軍隊でありそのトップではない。
だからマーヤは必要ない。
アントンもヨーゼフも単に物作りが上手いだけの老人である。
優れた官僚がいるのなら、それらに任せれば仕事は回る。
貴族派の者たちはそう考えているらしい、とヘンリク達は考えていた。
「貴族派は、もう少し彼らの功績の意味を理解すべきだったよね」
「彼らの功績を否定し、彼らのしたことをなかった事にしなければ嘘がばれます。彼らの功績の否定が証拠隠滅に必要だったとは言え、馬鹿な事をしたものですね」
マーヤが自領の民に賦役として行なわせていた軍事訓練――その実、人件費を抑えた治水工事――は廃止の指示が出された。
その上、治水事業は予算の無駄使いと主張する者も多く、今後、国家は治水から手を引く流れになっている。
水質汚染と燃料や鉱石運搬の費用を抑えるため、ヨーゼフが先王の許可を得た上で、山奥に排水汚染の少ない昔ながらの炉を作らせたのを廃止させて、大量の水を使う新型炉が王都の近くに作られる計画も動き始めている、
これにより、完成した鉄を王都に運ぶ際の輸送コストが低減するが、燃料・鉱石の輸送コストが激増し、また、下流の各国に流れる水が汚染される見込みである。
アントンの作った種はすべて破棄されたし、従来の農法を無視し、大きな畑で一種類の作物を作る方式に切替えるよう布告が出された。
これにより、冷害にでもなれば被害が拡大するし、百年単位で土地に合わせて最適化してきた農法を外からの圧力で変えさせる事でどのような被害が出るか予想ができない状況である。
これにより、数年の内に水と食料に問題が生じる可能性が高まっている。
水と食料はヴィードランドの安全保障の核となる部分であり、これらに傷が付けば条約にも傷が付く。
条約を破棄してヴィードランドに戦争を仕掛けたいと思っている国は存外多い。
が、他の条約参加国が条約破棄をすることを許さない相互監視も条約に含まれているため、一方的に条約を破棄して攻め込めば周辺国から総攻撃を受けることになる。
だからそれは出来ない。やるなら、文句のつけようのない大義名分が必要になるのだ。
だが万が一、ヴィードランド自身が条約に傷を付ければ、それは条約破棄の理由になり得る。
もしもヴィードランドによる条約不履行によって被害を受ければ、戦争の理由として大義名分もできてしまう。
その先については発生した問題や状況しだいな部分があるため、ヘンリクも読み切れてはいない。
「ま、数年でどうにかなるものではないと思うけどね」
だが、ヘンリクのその言葉は、数年経った後はどうなるか分からないという意味でもある。
それまでに王が問題に気付いて手を打てば、問題が生じても言い訳は立つかも知れない。
多少関係が悪くなった後でも、速やかに問題の解消が出来れば問題は終息する。
だが、ヘンリク達はそれは難しいだろうと思っていた。
「十年もつかどうかですね」
それが二人の共通した見解だった。
「王の側近の多くが貴族派か、貴族派の出した情報を信じてるオバカさんですからねぇ」
「本当に救いがありませんね」
リコと顔を合わせて力なく笑い、ヘンリクはそれにしても、と話題を変えた。
「それにしても、僕達に水の精霊の加護がないのは本当に残念だね」
「ええ、それがあれば、持ち運ぶ水の量を減らして本を積めたのですけどね」
彼らの荷馬車の積載物の半分ほどは、水で薄めたワインと発酵中のワインである。
少しでも水の保ちを良くするため、かつ発酵させることで他の菌による腐敗を防止するための工夫だが、知らない人からは酒の商人に見えるかも知れない。
そんな事を思ってリコはくすりと笑う。
「追いつけますでしょうか?」
「ん。マーヤ君が目印をサボってなければね」
仮にも軍が使う符丁である。
設置したのがマーヤなので、比較的信頼できる情報源となる。
「……しかし、ヘンリク様はご家族をお連れになると思っていました」
「もう様はやめようよ。家族は連れてきていないけど、鳩は連れてきてるから」
「文を運ぶ鳩ですか?」
「ん。郊外にある牧場で育てた伝書鳩だね。無事に合流出来て、生活が安定しそうなら呼ぶつもりなんだ。その時、リコの家族にも声をかけさせようか?」
リコは遠慮しますと首を横に振った。
「うちの子供達はみんな独立して、諸外国と商売をやってますので、万が一の時はそちらに逃げられますので」
「ああ、国内にしかパイプがない僕と違って、キミの所はそういうのがあるんだね」
「結局、貴族を継ぐという子供が出てきませんでしたから、本当なら困るべきなのでしょうか、今回に限っては嬉しい誤算ですね」




