23.促成栽培
朝食の後、マーヤ達は北の森に入り、アントンは畑に成長の速い種を数種類植えて成長促進魔法を掛ける。
水を入れた盥に洗濯物を入れて足で踏むという洗濯を済ませたクリスタは、竹と縄で作った物干しに洗濯物を掛け、風で飛ばないようにロープをかけて固定する。
ついでに毛布も干す。
「終わったか?」
「はい。それでおじいさま、それは?」
クリスタはアントンの目の前の畝にある、小さな双葉に首を傾げた。
今朝、雑草を枯死させて焼いて作ったばかりの畑である。
雑草が残っている筈はない。
そもそも雑草ならアントンが抜いている。
小さな双葉を撫でるようにして、アントンは溜息をついた。
「今回は成長の早い種類を使っておる。いわゆる二十日大根じゃ……ワシが知る限り、発芽には4~5日は掛る」
「もう発芽してますわよね? 元々埋まっていた雑草の芽がたまたま発芽したとか?」
「ここらの雑草は麦の仲間で単子葉植物じゃろ? 芽は双葉にはならんよ」
種子の中の胚の時点で既に存在している葉――発芽したときに出る芽と言い換えても良いが――を子葉と呼ぶ。
地球の分類ではその子葉の枚数が2枚なら真正双子葉類、1枚なら単子葉類と呼ばれるが、この世界でも発芽時の葉の違いは知られており、アントンはその違いからこの辺りに自生していた植物とは異なると述べたのだ。
アントンほど系統立った知識になっていないクリスタも、種によって芽の形が違う事がある、程度は知っていたため、なるほどと頷く。
「そうしますと、木の精霊魔法の成長促進には4~5日分の成長を促す効果があるのでしょうか?」
「さて。色々試してみなければ分からんが、少なくともこの種にはそれだけの効果があったように見えるな。王都で見たものは、もう少し効果が弱かったのじゃが」
「他の可能性もあるのですか?」
アントンは少し考えてから、可能性だけなら様々じゃ、と言った。
「例えばじゃが……この周辺の土地は木の精霊に祝福された土地と言えるじゃろ? その影響を受けている可能性もあろう。また、4~5日分の成長促進効果は発芽の時だけの可能性もある。或いは他の種だと効果が変る可能性もある。何ならワシとクリスタでは結果が異なる可能性もある」
土地柄による違い。
――精霊に祝福された土地には水や緑が多い。
似た事に見えても効果が異なる場合がある。
――回復魔法は切り傷には高い効果があるが、酷い火傷を治すのは難しい。
使い手の技量による個人差の存在。
――魔法は訓練で強化できるが、それはつまり個人差があるということに他ならない。
それらを知っているクリスタは、そうですね、と頷く。
「でも確認が難しそうですわ」
「個人差はあるじゃろうから、全員の個人差を知っておきたい。一人に頼れば他の者の技量が育たぬから、実際には全員が交代で魔法を使うのが妥当じゃな……種類等についてはワシらで確認するとしよう。クリスタ。こちらの畝にも種が埋まっている。木の精霊に成長を祈ってくれんか?」
「どんな言葉を使いましたか?」
精霊魔法はイメージを形にするものだが、引き金として言葉を要する。その言葉は人それぞれで大凡の傾向はあるが、決まった呪文はない。
例えばアントンの土魔法なら『精霊よ、穿て』で石礫を放つが、その礫の形状などはある程度まではアントンのイメージに沿った物となる。
「ワシが使ったのは『精霊よ、疾く成せ』じゃ。王都で木の精霊魔法を見た事があるが、それはもう少し長く『木の精霊に希う。この種を芽と成したまえ』とかじゃったな」
「……おじいさまは種が芽吹くイメージで使われたのですね」
「ん? ああ、だから芽が出たということか?」
「それなら、これはどうでしょうか『精霊よ、疾く実りを成したまえ』……うあぁあぁ」
眠気に襲われたクリスタはがくりと膝をつく。
魔力が尽きたのだ。
クリスタは寒さに震えるが、その額や首筋には玉のような汗がびっしりと浮いていて、それが流れ始める。
汗で更に体温を失ったクリスタは、汗の冷たさと、体が冷えたことで相対的に上昇した外気の暑さに混乱する。
だが、体が感じるのは冷たさであり、ひどい寒さだ。
暑いのに寒い。
そんな相反する感覚の中、クリスタは意識が消えそうになり、慌てて頭を振って意識を保つ。
震えた際に汗で濡れた服が肌から剥がれる感触にクリスタは顔を顰めつつも、クリスタは無理矢理立ち上がろうとして、成らずにしゃがみ込む。
「失敗しましたわ」
クリスタは畑の畝を見て、そう言った。
「いや、成功じゃろ?」
アントンの視線の先に大きく育ち、育ちすぎて枯れた二十日大根があった。
「ここまで育てるつもりはなかったのです……実りを祈ったのは失敗でしたわ……気持ち悪いですわ……寝てきても良いでしょうか?」
「うむ……ひどい汗じゃ。汗を拭いて着替えて寝なさい。天気が崩れそうならワシが洗濯物を取り込んでおく」
フラフラと自分の馬車に向かうクリスタを見送り、アントンはクリスタが育てた二十日大根を確認する。
枯れて茶色になった二十日大根には幾つかの鞘がついていた。
アブラナの実とよく似たそれは二十日大根の実である。
アントンはその実を取り、乾燥した鞘を指で押し潰し、中に種が入っていることを確認した。
「実りか……確かに実がなり、種も出来ておる……こいつは人の手で受粉をさせずとも実がなる種類じゃが、あの短い時間でどうやって、という疑問はあるな……どれ」
ぐい、と枯れた茎を引っ張ると、ポロポロと葉が崩れ、根が姿を現す。
アントンはナイフでふたつに切って中を確認する。
「当然じゃがトウ立ちしとるようじゃ」
そして軽く泥を落して端を囓り、すぐに吐き出す。
「……うむ、食えたものではない……じゃが、適正な所まで育てるように制御すれば良いだけのことか……」
これだけの促成栽培である。
恐らく土地は痩せるだろう。
そう考えてアントンは二十日大根を抜いた付近の土を少し掘り返してみる。すると、少なくともかなり下の方まで乾ききっているのが分かる。
「十分な肥料と水を用意せねば、魔法の効果途中で栄養や水が足りずに枯れることもありそうじゃな」
これは時間を踏み倒して作物を得ることが出来る魔法である。とアントンは理解した。
時間以外は相応に必要になるため頼り切るのは危険であるが、それを理解して使う分には、色々な利点がある。
成長に掛る時間を短縮出来るのは、待つ必要がないという事で、それ自体が大きな利点だ。
また、病害虫に触れる前に成長させてしまえば、それらは脅威ではなくなる。
林の中の畑にとって、それは大きな福音となる。
ただ必要な魔力もそれなりで、大人のアントンたちでも、数を育てようとすればクリスタのように倒れ兼ねない。
「当面の食糧不足を凌ぐため、普通の畑と並行して加速用の畑も用意するべきか。食料の余裕が出来たら、普通の畑に切替えていくべきじゃろう。虫媒花の種がどうなるのかも気になる所じゃな」
精霊の加護は万人に与えられるものではないし、精霊魔法の才能を持つ者は更に少ない。
もしもこの先、この小さな集団に誰かが加わることがあったとして、その者が木の精霊魔法を扱える保証はない。
仮にそうなったとき、精霊魔法に頼り切りで普通の農業のやり方を知らなければ困ったことになる。
だから、当面、安定するまではともかくとして、出来るだけ普通のやり方も取り入れていかねばならない。
そんな事を考えながらアントンは周囲を見渡し、後々、水路を掘る場所を残しつつ、畑を作る予定の雑草を枯死させていくのだった。