22.前提条件変更に伴う計画見直し
「精霊様って、お話できたんですねぇ」
翌朝、槍の訓練を受けつつマーヤから話を聞いたクリスタは目を丸くしながら驚きを口にした。
「神殿の聖典にも過去に聖人が精霊と対話したというお話があるわね。だけど、少なくともここ百年でそういう話は聞かないわ」
「おじいさま、スゴい」
百年ぶりに精霊を言葉を交わしたのが自分の祖父である。
そのことに、クリスタは言い知れぬ高揚を覚えて目を輝かせる。
だが話しただけである。
アントンからすれば、「ワシ、何かやっちゃいましたか」案件である。
「でも、相手が本当に精霊様なのかも確認できてないのよね。疑り深い愚かなヒト種としては、精霊様が本当に精霊様なのか確認しないと不安なのよね」
事実であれば仮にも精霊である。
どこで聞かれているかも分からないため、マーヤは自分たちが愚かだから疑うのだと強調した。
「でも確認ってどうやってです?」
「あれよ」
マーヤはそばで畑を作っているアントンを指差した。
「畑……あれは麦の芽でしょうか……あれ? なんで?」
クリスタは自分の言葉の異常さに気付く。
アントンは幾つかの作物を荒れ地の土で育つかの実験をしており、クリスタも手伝っているので状況は知っている。
その中に芽吹いたばかりの麦はない。
では、あの麦はいつ蒔いた種なのだろうか。
ここに来てまだ二晩。
昨日はなかった筈のあの畑が仮に初日に作られていたとしても、僅か2日で種が芽吹くはずがない。
「作物は任せたわ。木の精霊の加護を得ているなら、成長促進が使える筈だから、その確認ね」
実際の所、成長促進を使うまでもなく、マーヤはその存在が木の精霊であるとほぼ確信していた。
なぜならば、アントンが実験のための畑を作る際に、生えている草を枯らすのを見たからだ。
しかし枯死だけなら他の魔法――例えば水魔法で水を奪い取る、火魔法で燃えない程度に加熱するなどすれば、時間は掛るが出来なくはない。
そのため慎重を期して、成長促進の魔法を確認しているのだが、既に芽が出ている以上、疑う余地はあまりない。
それはそれとして
「精霊様が現れたからでしょうか。なんか今朝は空気が違いますね」
「そうね。不思議だけど、神殿の中みたいな感じ?」
「そう、それですわ」
と、このようにクリスタも、昨晩現れた存在が悪いものではないと肌で感じていた。
◆◇◆◇◆
朝の鍛錬の後、クリスタはマーヤに水浴びが出来る場所が欲しい、と相談を持ちかけていた。
「汗をかいた後、手拭いで拭くだけでは服や体が臭くなります」
「水浴び場ね。獣の解体もするだろうし、確かに欲しいわね。でも作るのは簡単だけど、場所が問題なのよね」
風呂を作る訳ではないのだから構造はシンプルだ。
現在の主たる生活圏は丘の上なので、そこから視線が通らず、遭遇事故が起きないように、皆があまりアクセスしない位置に足場と目隠しを作るだけだ。
しかし、揚水水車がない以上、現時点の設置場所は川沿いに限られる。
丘のある草原部分が川に面した場所で一番川下にはトイレがある。
「何か」を落せば、後は勝手に流れていく水洗式である。
水浴び場所を作るにしても、トイレのそばにはしたくない。
それと同じ理由で川上には、アントンが作った濾過器がある。
川は歩いて渡れる程度に浅くて流れは速いため、川が逆流するような事がなければ、濾過器に「何か」が混じる危険性はない。
そのための位置取りである。
そして濾過器は生活用水を賄う施設なので、皆が頻繁に訪れる場所でもある。
だから候補からは外れる。
一番上流側には、当面は畑に繋がる水路を建設予定としている。
いずれはその水路を広げて水車を設置して、揚水する事まで計画している。
だからそこは使えない。
マーヤの説明を聞いたクリスタは少し考えてから提案する。
「水車が出来るのはかなり先ですよね? でしたら、それまでその予定地に濾過器を移動するのはどうでしょう?」
「そうね……揚水した水を濾過器に入れられるようにしておくのも悪くないわね。製材機の配置を少し見直してみましょうか」
水車の用途は、主に丸太から板を切り出す製材、鉱石を砕く砕石、穀物類を穀粉にする粉挽き、川の水を高い位置に移動させる揚水など他種多用だが、実際に作るとなると当面は一台が精々である。
だから、動力伝達経路を切替えて、揚水と製材、粉挽きの複数の用向きに対応できるようにする。
砕石などは製材が出来るようになり、板材などの入手難易度が下がった後の対応とする計画なのだ。
だが、いずれにせよ、まだ水車は作れない。
クリスタの言う方法だと、未来の水車小屋のそばに濾過器を置くことになるが、採石用から離して設置すれば問題は無さそうだ、とマーヤは判断した。
「でも、水車が出来たら水浴び場所は川から離れた場所に作りたくもあるのよね」
「揚水した水を引くんですか?」
「そうよ。トイレは仕方ないけど、水を使うときに川に近付く必要がないようにしたいのよ」
何かを流す必要があるトイレは流れが早い場所に作らなければ容易に詰まる。
だから作れる場所は限られる。
だが、それ以外の水を使う仕事にはそうした制約はない。
そして、例えば炊事、洗濯や水浴びなどをする時は、どうしても警戒が緩む。
特に水浴びは服を脱ぐため、武器防具も手放している。
だから可能であれば、そうした作業をする際に川に近付かないで済むようにしたいと思ったのだ。
この変化は木の精霊の言葉によるものが大きい。
自称木の精霊の言葉を鵜呑みにするなら、中型以上の獣や魔物はこの辺りの林や草原に入れない。
しかし林のない東の川とその向こうの荒れ地、その反対側の西の大穴と岩山の安全は確保されていない。
特に川は獣や魔物の通り道になったりもする。
川に出て水浴びをしてする場合、たまたま通りがかった危険な生き物に発見され、襲われるというような危険は排除しにくいのだ。
「なるほど……ですが、川に出ないで生活というと、どんな感じになるのでしょう?」
「まず前提条件として、南北の林が安全だと考えるなら、東西の壁の作成を優先するわよね」
「獣や魔物が入り込まないようにですね?」
「そう。でも壁で塞いじゃったら川の水が使えないわ。森人の家族がやってたように壁のドアから出て水を汲む方法もあるけど、いずれ水車を作るなら水車の主要設備は壁の内側にしたいわ……だから、それなりに深くて細い水路を掘って水を壁の中に引き込んでそれを使う。いつか水車を作る際はそこに設置する感じかしら」
壁の中に用水路で水を引き込むと聞き、クリスタは、害獣対策として一部の村でやっている方法だと理解した。
「水路が壁の中にあるなら水車がなくても畑の水やりとかが楽にできそうですね」
「水車が出来たらもっと楽になるわ」
「小さいのでもあると便利なんですけどね」
「短期間しか使えないような小さいのを作るほど板に余裕がないのよね……あら? でも……小型の水車なら手持ちの資材でももしかしたら?」
マーヤは水車に必要なものを頭の中で整理してみた。
まず板である。とヨーゼフが言っていた。
アントンもそれを否定しなかった。
確かに製材や製粉に使う水車なら馬力が必要だからその通りだとマーヤも思っていた。
板を手に入れるために馬車を解体して板にする必要がある。
という話にも納得していた。
だが最小構成の揚水専用なら、必要なのは軸を支える同じ高さの2つの台。
軸は動力伝達が不要なら必要なのは硬さだけ。長さは必要ない。台の必要強度もずっと小さい。
普通は2つの輪を板で作り、輪の間に水の流れを受ける水受け板を通す。
そして、輪の側面に枡を取り付ける訳だが、と考えてマーヤは馬車に目を向けた。
「クリスタちゃんの馬車には予備の車輪があったわよね?」
「はい。屋根と床下に載せてます」
「あら、ふたつもあるの?」
それなら、車輪を並べて板を渡せば水車はできる。
その程度の板なら、クリスタの馬車の屋根の上に積んである。
普通なら水を揚げるには枡が必要で、ここでも板を使う。
揚げた水を必要な場所まで流すための樋の部分も板で汲むのが普通だ。
「1年程度の利用って割り切るなら、枡と樋を竹で工夫すれば、板が少なくても揚水は出来そうね……動力伝達は強度が足りないから無理だけど。これはアントンとヨーゼフに相談してみようかしら」
◆◇◆◇◆
簡易水車の製造については、アントン、ヨーゼフは賛成、クリスタはよく分からないので保留となった。
だが、何をするにしても川側からの侵入防止のため、壁を作らねばならないし、安全な水利用を考えるなら、壁の内側に水路は必須である。
「……やることが山積みね」
「そうじゃな。昼前くらいにマーヤは南北の林の調査じゃったか?」
「ええ、獣や魔物を探すわ」
林に中型以上の獣がいないのか。いないなら、少し離れた林ではどうなのか。
それを確認するのがマーヤの任務だ。
「で、ワシは畑の拡張と実験。それに濾過器の移動。ヨーゼフは竹や葦の乾燥か?」
「乾燥もだけど、ヨーゼフはあたしと一緒に森に入って、石灰探しをして欲しいわ」
「壁を作るんなら、竹の乾燥が先じゃねえべか?」
「石や土はあたしじゃ分からないの、お願い」
マーヤにそう言われ、ヨーゼフは仕方ないと肩をすくめた。
「あの、私は何をしましょうか?」
名前が挙がらなかったクリスタが手を挙げる。
「まずは洗濯。終わったら、丘の北側に竹で物干しを作って、葦を干して。それとアントンの手伝い。たぶんアントンの手伝いで疲れ果てるわ」
「分かりました。おじいさま、何をするのか教えて下さいます?」
「うむ。木の精霊魔法の練習と、成長促進じゃ。ワシはほどほどにするが、クリスタは魔力が尽きるまで頑張って貰いたい。その時間でワシは濾過器の移動をする」
そう言われ、クリスタは顔を顰める。
魔力が尽きる感覚は人によって異なるが、クリスタのそれはクリスタにとっては極めて不快なものなのだ。
体が冷え、寒いのに汗が出て、ひたすら眠くなる。
その眠気は闇に飲まれるような感覚で、意識を手放したら二度と目覚めないのではないかと感じさせる。
そんな事にはならない、と理性では分かっていても、クリスタはそれが嫌いだった。
「尽きる寸前までではダメですか?」
「ン? 構わんが、大差はなかろう?」
「とにかく寸前まででお願いしますわ」




