21.邂逅
ヨーゼフは土壁を作るための素材となる竹を細く割り、葦を刈って細かく刻み、それらの水分を飛ばすという地味な作業を開始する。
マーヤとクリスタは壁を作る場所をシャベルでザクザクと掘って印を付けて回り、そこに炭を砕いたものと砂礫をまぜた物を撒いて、簡易的な基礎とする。
土台までは手が回らないため、礎石を並べ、そこに束ねた竹を載せるお手軽手抜きスタイルである。
一方アントンは、川岸にふたつの樽を設置して片方に水を入れると竹筒の濾過器を通過した水がもう片方の樽に溜まるような仕組みを作る。
最初の数回は、川の水より汚い水が出てきたが、数回使って落ち着くと、綺麗な水が出てくるようになる。
だが、綺麗に見えてもそのまま飲むことは出来ない。
一端沸騰させて白湯として飲むか、湯冷ましにして飲まねば腹を壊す。
しかし、見た目は綺麗で、酷い匂いもない水は、沸かすことを前提とした炊事や、口にしない洗濯などでは重宝する。
荒れ地で一番の問題をそれなりにクリアしたアントンは、ほっと安堵の息を吐いた。
そして夜。
クリスタが用意した夕食を食べ、眠りに就く。
ヨーゼフには壁の材料の乾燥という仕事で精霊魔法をかなり使って貰っているため、夜番はまたしてもアントンとマーヤである。
本日、先番となったアントンは、夜空を見上げ、たまに周囲に視線を走らせる。
丘の上は風がよく通り、夜になると寒い。
適時、焚火に薪を追加しては、暖を取りつつ濾過した水を湧かす。
そして湧かした湯は飲料水用の壺に入れ、翌日の飲料水として利用する。
周囲を警戒し、視線を巡らせていたアントンは南の森に視線を固定した。
何かが光ったように見えたのだ。
(獣の目か?)
目の光の全てが危険な獣のものとは限らない。
昼行性でなければ大抵の動物の目は光を反射する。肉食であるか否かは関係ない。
だが、肉食獣ではないと決まったわけでもない、とアントンは槍を手に丘の南端から林を注視する。
ひときわ強い風が吹き、林の木々が梢を揺らし、葉か虫か鳥か、何かが林の上空に舞い上がる。
ほんの刹那、それらに目を取られたアントンは、視線を戻して、自分の足元を見て驚愕に目を瞠った。
「……な?!」
アントンの足元。
柵の外側。丘にドーナツ状に作られた道の部分。
そこに、輪郭がはっきり見えない、白い人影があった。
『森人か?』
その人影は、性別年齢などを一切読み取れない不思議な声音でそう尋ねた。
(先ほどまでは何もいなかった……どこにいたにせよ、あの一瞬でここに来る方法などない)
ソレが何であるにせよ、常識的な者ではない。アントンはそう判断した。
『今一度問う。森人か?』
だから、重ねてそう問われたアントンは、正直に答えることにした。
「ヒトだ……ここはあなたの縄張りか? 知らずに無礼を働いていたなら謝罪をしたい」
『森人では……ない?』
残念そうにそう呟く白い人影。
ここに至り、アントンはその人影が焚火の炎に照らされても人影にしか見えないこと、影がないことにようやく気付いた。
残念そうなその人影に、アントンは
「ワシはヒトだ……まずかったか?」
と尋ねてみた。
『そうかヒトか……贄は森人のみ……ヒトから贄を得る約定はない』
「贄?」
『まあ良い……ヒトならここに住むなり死して木々を肥やすなり好きにせよ』
「あ、あなたの名を聞いても無礼とはならぬだろうか? ワシの名はアントンじゃ」
白い人影は、ふわりと宙に浮かび、アントンと頭の高さを合わせる。
目を合わせているのだろうが、アントンからすれば、目は見えない。
浮かんだことで分かったが、体は思っていたよりも小さい。クリスタと同じ程度だろうか。
全体の輪郭が曖昧で、髪は大きく広がっているようにも見えるし、体付きや服の有無も分からない。
ただ、クリスタと同じ程度の背丈だと思ったからか、その輪郭がどことなくクリスタに似てきたように感じるアントンだった。
『ほう、名乗るか……アントン……覚えたぞ。我は木の精霊。名はない……ああ、森人どもはなぜかククノチと呼ぶか』
「ククノチ様……ワシらがこの土地に住むことを認めてくれたこと、感謝します。その感謝の表れとして何か奉納すべきじゃろうか?」
『ヒトなら別に……ん? いや待て、ヌシらの中に水の精霊の加護を得し者がおるな……ならば、次に月が丸くなる頃にこの器に産みだした水を注げ。それをもってヌシらの居を許し加護を与えよう』
木製の丸い器がアントンの目の前に浮かぶ。
アントンはそれを受け取り、少し困ったような表情を見せる。
「その者は高齢なのじゃが……奉納はその者が健康な間だけでも良いじゃろうか?」
『何、続けて奉納をすると申すか……ならばその者が健康である間のみで構わぬ。が、それでは釣り合わぬな。ならば、周囲の林を好きにするがよい。加えて、この辺りの林と草原を野生の中型以上の獣や魔物の禁足地にしてやろう』
一回だけで良かったのか。余計なことを言ってしまった。と後悔するアントンだったが、続く言葉にむしろ良い取引であると考えを改めた。
南北の林を中型以上の獣や魔物が抜けなければ、この丘がそうした存在の脅威に晒されにくくなる。
言わば、林が防壁となったに等しい。
それが精霊の力によるものであるなら、自分たちが作る壁などとは比較にならない防衛力だ。
「感謝します……皆も喜びます」
アントンが頭を上げると、そこに精霊の姿はなかった。
◆◇◆◇◆
「精霊ねぇ……本物?」
交代のタイミングでアントンはマーヤに木の精霊、ククノチについて説明をした。
「ヨーゼフが健康な間だけ、満月の頃にこれに水の精霊魔法で水を注げと。対価に南北の林は自由にしても良いし、この辺りの林と草原を中型以上の獣と魔物の禁足地にしてくれるそうじゃ」
「……どう見ても、ただの木の器よね?」
「そうじゃな……じゃが、底の部分に何やら複雑な模様があったぞ」
言われて底を調べるマーヤだったが、『何やら複雑な模様がある』としか分からなかった。
「本当に木の精霊の加護を得ているのならありがたいのだけど……木の精霊魔法って、何が出来るのかしら?」
精霊の加護を得ることでヒトは精霊魔法を使えるようになる。
もちろん精霊魔法の適性がなければ使えないが、彼らは全員精霊魔法の適正があった。
だが精霊によって得られる魔法は異なるし、世界への現出方法も異なる。
水の精霊魔法なら虚空から水を生みだすが、生命の精霊魔法は何もない場所に生命を生みだしたりはしない。
精霊ごとに魔法の有り様は様々なのだ。
だから、自分や家族の加護に関連しない精霊魔法について詳しく知っている者は少ない。
「……一応、聖典は持ってきておる。それを見れば分かるじゃろうて……たしか木であれば、成長促進と枯らす魔法があった筈じゃ」
「自分や家族の加護でもないのに知っているの? 珍しいわね」
「うむ。そのふたつだけじゃが、品種改良で使って貰ったことがある」
小麦などは、掛け合わせて種を作るのに、普通なら半年。
金を掛けて環境を整えてやれば1年に数回の収穫も出来るが、露天ではできて二期作程度。
しかし、育てる時間を短縮すれば、それだけで年間の収穫回数が増え、それはそのまま品種改良に掛る時間の短縮となる。
だからアントンはそうした魔法を使える者を探し、何回か協力を仰いだことがあった。
「そんなに短縮できるの?」
「うむ。ワシが見た中では、4倍の速度で育つようにする者もおったぞ……同じ程度は期待出来ぬとしても、これで食料の問題はかなり楽になるじゃろう」
「あー……そうね。だけど……野生の獣が林にいないっていうのはちょっと面倒ね」
「なぜじゃ? 事実とすれば急いで柵を作る理由がなくなるのじゃぞ?」
マーヤはその通りだと頷き、同時に生じる別の問題を指摘した。
「獣も魔物も入らないってことは、狩りもできないじゃない」
「そうなる……のか? ……林を抜けて、隣の林まで行かねばならんかな? いや、小型の獣ならおるのじゃろうから、それを狩れば良いのか」
その答えを聞き、マーヤはあれ、と首を傾げた。
「え、隣の林に行けば獲物がいるの?」
「この辺りの林と言っておったからそう思ったんじゃが、確認はしておらぬ。まあ明日にでも様子を見に行ってきてくれ」
「そうするわ。鳥はいるのかしらね」
「中型以上の獣のみが対象のようじゃ。小型の鳥ならおるんじゃないか? 木に虫が付いたとき、鳥が居らねばひどいことになるしの」
「でも獣と一緒に虫が入らないように……とはしないかしら?」
マーヤにとっては害獣も害虫も等しく害あるものという認識だったが故の疑問だったが、アントンはそれはないと笑った。
「植物にとって、昆虫は害あるものばかりではない。それをすれば木は実を付けなくなるやもしれん。木の精霊ならばそれは避けるのではないか?」
「……でも、一応、色々確認しながら行きましょう。あ、つい話し込んじゃったわね。アントンはもう寝て。あたしは念のため、夜番を続けるわ」
「そうか、なら休ませてもらおう。マーヤは明日からの計画を練り直しておいてくれるか?」
「そうね。色々見直さないとだわ」
 




