14.寝不足
その日はその場所で過ごし、翌日から煙と水が見えた北西方向に、3つ先の丘の手前――川との間に丘が残っている場所まで馬車で移動する。
それとは別にマーヤが偵察を行ない、可能なら相手について情報を得る。
というのが当面の方針だった。
だが、調べるべき事は他にもあった。
マーヤは馬で西北西に向う。
「……想像してたよりも低い丘が隠れてたわね」
丘陵地帯を抜けるまで、移動の妨げになるレベルの丘は8つあった。
上から見えたよりも多い。
向う方向が少し違うからということもあるだろうが、丘の影に低い丘が隠れていた、というのがマーヤの印象だった。
今回は水の確認が目的である。
荒れ地側に大きめの岩が多いあたりを選び、岩陰から水に接近するマーヤ。
その鼻に、湿った土の匂いが届いた。
(近いわね)
マーヤは周辺の地面を火の精霊魔法で焼いて、ある程度冷めたところで細めの岩に手綱を掛ける。
水を飲ませろと低く嘶く馬の首を軽く叩いて機嫌をとったマーヤは、岩陰を伝うようにして匂いの方向に進む。
(見えた……川なのね。真北から流れてきて北西に流れてる。川幅はここだと10mくらい? 上から見た時はもっと広いように見えたけど)
そして、普段よりも警戒を強めつつ、川原まで前進するのだった。
◆◇◆◇◆
「で、少し南下してみたけど、川幅は広いところと狭い所があったわ。見た範囲に限るけど、広い所だと50m近くて、狭い所だと10mくらいかしら。流れの速度は幅で変るようにも見えたわ。広いほど遅い感じね。深さは、広いところだと歩いて渡れそうなほど。底が見えない場所もあったから、油断はできないわ。川の向こうの地面は砂礫混じりの土に見えたけど、こっち岸は荒れ地のままに見えたわ。川向こうの植物は、川沿いに木がポツポツ。草が沢山。こっち岸にはなかったけど、向こう岸には葦とかの水草も生えてたわ。水場についてから魔物や獣を警戒してたんだけど、鳥と羽虫っぽいもの以外の姿は見えなかったわね。ああ、川には生き物がいたわ。種類は知らないけど20センチくらいの魚が跳ねたりしてた」
「川じゃったか」
「わしらにとっちゃ、朗報だべな」
「整理するぞ。西北西ルートでは川まで丘8つほど。川は北東からきて南でカーブして北西に流れている。川幅は確認した範囲では10~50mと場所によって大きく異なる。広くて浅い部分は歩いて渡れそうな程に浅く見えた。川向こうには土があり、川沿いに草原。少ないが木も生えている。川岸には葦。川のこちらは荒れ地のまま。川には魚がいたが、それ以外の動物は鳥と羽虫程度」
「合ってるわ。あたしの所見だけど、畑さえ作れば、向こう岸でなら生活は出来そうだと思ったわ。ただ、上流から土が流れてくれば荒れ地側に土があってもおかしくはないのに、そうなっていないことがとても不自然に思えたわ」
マーヤの言葉にアントンも頷く。
「そうじゃな、普通に流れているだけでも土が溜まりそうなものじゃ。クリスタからは質問はないかね?」
アントンに水を向けられ、大人しく聞いていたクリスタは考え込んだ。
「……そうですね……あの、川向こうとこちらで、地面の高さは同じくらいでしたでしょうか?」
「目分量だけど、場所によって色々ね。荒れ地側が低いこともあれば、向こうが低いこともある感じだったわ。水害が気になるのね?」
はい、と頷くクリスタを、良い着眼点だとマーヤが褒める。
「ふむ。あちらが高い所もあるのなら、水害で水が溢れれば荒れ地も土に覆われそうなものじゃが」
「そうね。川幅が狭い部分もあったし、水害があってもおかしくはなさそうな地形に見えたわ」
マーヤは軍事訓練と称して各地の治水工事を行なっていたため、治水については一定の知識があった。
そのマーヤの意見である。
ただしそれはヴィードランドにおいての知見を元にした意見である。
他の場所にそのまま当て嵌めることはできない。
「ちゅうても、こんあたりじゃ雨なんぞ珍しいんじゃねえんべか? 自分の常識と余所の常識が同じと思うなんぞ、あの新王と同じだべ?」
「言われてみればそうね……バートと同じ間違いをするところだったわ」
「歳を食ったワシらですら、自分の知見を世界の常識と思いがちじゃからなぁ。あの王は、周囲に置く人間を間違えなければ、良い国を作るのかもしれん」
「雨が少なくても水害はあると思うのですが……」
と、脱線し掛けた話を元に戻すクリスタ。
続けて、とマーヤが促す。
「例えば砂漠の国として知られているニムベ共和国にも水害があると聞きましたわ。滅多に雨が降らないから、町中には排水施設がないそうです。だから雨期にいつもよりもほんの少し雨が多かったりすると、道が川のようになるのだとか。数時間で全部砂に吸われるそうですけど」
「へぇ、本か何かで読んだの?」
「はい。ですので、水害の原因や結果が異なるにしても、水害はどの地域でも発生するものと思いますわ。なので、住む場所は水捌けも意識すべきだと思うのです」
なるほど、とヨーゼフは頷き、マーヤは誰の本だろうかと該当しそうな作者の名前を頭の中で並べる。
そしてアントンは今後についての意見を求める。
「見えていた水が川だと分かったわけだが、計画変更は必要ないじゃろうか?」
「引き続きあたしが偵察って方針はそのままね。まだ、火元にいるのが人間なのかも分ってないもの」
だけど、とマーヤは続ける。
「川には上流と下流があるわ。相手が何者かにもよるけど、どちらに進むべきかは考えるべきね」
「そうだべなぁ」
「うむ」
納得するヨーゼフとアントンに、クリスタは意味が分からず首を傾げる。
「マーヤおばさま、なぜなのでしょうか?」
「ヴィードランドが栄えていたのは水がたくさんあって作物を沢山作れたから、という事もあるけど、多くの国に流れる川の水源地だったからなのよ。上流を押さえるというのは、人間相手なら政治的にはとても強いカードになるの。でも相手が魔物なら、川はあたし達の匂いなんかを運んで、ここに獲物がいると知らせてしまうわ。どちらに進むのかは相手を知った上で決めましょう、ということよ」
「マーヤよ、偵察は頼むぞ」
「ええ、危なくない程度に頑張るわ」
◆◇◆◇◆
翌日は荒れ地に来て初めての曇天。
アントン達の馬車は予定通り、マーヤが残した印を追い掛け、三つ先の丘の手前まで進む。火元を発見した丘から少し離れた位置に停めたまま、マーヤは馬で偵察に出た。
来た方向を悟られないように北上し、幾つかの丘を大きく迂回して川に接近する。
位置的に火元に対して上流からの接近となる。
大岩があるならそれを遮蔽物とし、なければ川から少し離れた位置を。
そして時折、馬のために川に近付いて水を飲ませる。
特筆すべき事もない、ただの荒れ地での乗馬である。
夕刻に煙を発見したマーヤは馬を置いて慎重に接近する。
(煙の位置は丘の上から見たのと同じ辺りのように見えるわね。それに煙に火の粉が混じっている)
マーヤは出来るだけ客観的に、推測を交えずに情報を整理する。
あたりが暗くなってくると、煙が炎の明かりに照らし出される。
しかし相変わらず火元は見えない。
ある高さ以上は明るい煙が見えるが、その下は横一直線に切り取ったように暗闇に沈んでいた。
そしてマーヤが多少移動しても、その直線の高さは変化しない。
(火元を囲む直線の遮蔽物が存在するように見えるわ)
偵察を続けていると、その遮蔽物の一部に縦に直線の光の線が入り、そこから人間が出てくるのが見えた。
中の明かりに照らされ、ドアがあるのだと分かる。
逆光になるため、人影が体格の良い女性なのか細身の男性なのか、判別がつかない。
出てきた人影は、暗がりに入り、しばらくすると桶のようなものを持って戻ってきた。
(接触なしの偵察ではこの辺が限界かしらね)
マーヤは静かにその場から下がり、夜半を過ぎ、細い月が昇ってから移動を開始する。
十分とは言えない光量だが、新月に移動する訓練を受けたことのあるマーヤからすれば、木々のない荒れ地での夜間の移動は速度を求めないなら難しくはない。
◆◇◆◇◆
「ただいまー」
「マーヤおばさま、お疲れ様でした」
「あら、クリスタちゃん、もうすぐ日の出よ? なんで起きてるのよ」
「マーヤが心配だと言ってな。まあ、さっきまでうとうとしてたんじゃが、馬の足音でも聞きつけたんじゃろ?」
「おじいさま、それは内緒ですわ」
頬を膨らませるクリスタを可愛いと思いつつもマーヤは大人の義務として怒ってみせる。
「心配して待っててくれたのは嬉しいけど。ダメよ、クリスタちゃん。睡眠は健康にとって一番のお薬なの。特にあなたの年齢では、睡眠不足は成長の妨げになるのよ? それ以上背が伸びなくても良いの?」
「それは……いやですわ」
「なら、しっかり寝なさいな。アントン達も同罪よ。どうせクリスタちゃんにおねだりされて断り切れなかったんでしょ? まったく大人が何やってんのよ。クリスタちゃん、とにかく昼まで寝ること。それまでは偵察の報告はしないから」
「あ、はい……ごめんなさい」




