12.登攀
結局、昼少し前にロープを掛けるための丘登りと決まった。
アントンとヨーゼフはその時間で馬車の保守を行なう。
ハンマーで鉄の薄板を叩く音を聞きながら、マーヤとクリスタは並んで丘を見上げていた。
「この辺から登って、あの岩を目指す感じだったわね?」
ヨーゼフが決めたルートを確認するマーヤ。
クリスタはしっかりとルートと、なぜそこが選ばれたのかを理解していた。
「はい。あの岩は下が太くて砂礫に食い込んでいるように見えるからと」
「なら注意点。まず。しっかりしてるように見えても、安全を確認できていない岩に近付くときは真横より上から。下方向から近付いたらダメよ」
「はい。気を付けます」
「それと、砂礫の色をよく見て、色が違うところには出来るだけ踏み込まない。例えば砂が少ない礫ばかりの場所だと崩れやすいわ。この時間なら色の違いも見やすいでしょう」
「なるほど」
クリスタはマーヤの言葉を念頭に置いて自分なりに登るルートを見直し、それを指差した。
それはヨーゼフの計画とほぼ同じだった。
「そこから登ってあの岩を目指し、そこから岩下を避けて、少し回る感じで頂上を目指す、という計画で良いでしょうか?」
「下から見た感じではね。上から見たら見え方が変わることもあるから、しっかり観察して都度判断よ。後、途中で気付いたことがあったら、現場の判断でルートを変えても構わないわ。大声出せる状況なら、判断を仰いでも良いし」
「分かりました」
「物見は知識と鍛錬が必要になるから、クリスタちゃんにも見るべき場所や考え方、ついでに正しい登り方を教えてあげないとね」
「よろしくお願いします」
等とやっていると、ガンガンという鉄を叩くような音が収まり、暫くするとアントン達がやってきた。
「随分とうるさかったけど、何やってたのよ?」
「おう。荷馬車の車軸がだいぶ傷んどったから、鉄板を巻いとったんじゃ」
「車軸? ああ、なるほどね。荷馬車だとそうよねぇ」
「どういう意味ですか?」
クリスタの問いにマーヤは少し考えてから逆に質問を投げかけた。
「荷馬車本体と車軸はどうやって繋がってるか知ってるかしら?」
「馬車に取り付けた軸受けの穴に車軸を通してますわ。多少の遊びがあるのが正しいと聞きます」
「そうね。では軸受けと車軸、交換が簡単なのはどちらかしら?」
そう聞かれてクリスタは答えに迷った。
馬車本体に取り付けられた軸受けは馬車の荷重を受け止め、振動にも強い。それを外している所を見た事がなかったので、車軸交換との難易度の違いが分からなかったのだ。
しばらく考えて、
「車軸でしょうか? 車輪を外して引き抜くだけでも良さそうです……軸受けを外している所を見た事がないので比較できませんけど」
「正解。だから馬車の軸受けには軸受けが削れないように鉄板が巻いてある馬車が多いの。だけど車軸側は木のままってこともあるわ。それだと車軸は鉄と擦れるから痛むけど、車軸を強化するくらいなら定期的に車軸を交換した方が軸受けも長持ちするし安上がりなのよね。で、そういうのは荷馬車に多い構造なの」
「でもおじいさまは車軸に鉄板を巻いたと……それだと今度は軸受けがすり減るんですよね? なぜでしょうか?」
「車軸が簡単に手に入る環境じゃなくなったから、ね」
荒れ地に入ってからは木を見掛けない。
確かにこの環境では車軸は手に入らない。
それを思い出し、クリスタはなるほどと頷く。
するとヨーゼフが続きを引き取って答える。
「わしからも説明しちゃるが、車軸に柔い金属ば巻いたから軸受けは傷まんぞ。このやり方、柔い金属は減るのが早いから、保守の手間が増えるんじゃ。普通なら傷んだ車軸ば交換した方が安く上がるのはそのせいだべな」
「保守の度に柔らかい金属も必要になるのですね?」
「当然そうなるべな」
「ところで、なぜ急に馬車の車軸が傷んだのでしょうか?」
「砂礫じゃよ」
とヨーゼフの後ろで工具を馬車に載せていたアントンが答える。
「砂礫ですか?」
「元々馬車には色々な部分に余裕があるんじゃが、あちこちに砂礫が入り込んでいるのをワシが見付けて、ヨーゼフと点検してみたら車軸が結構削れていると分かったんじゃ」
「砂礫は粗い研磨材みたいなもんだべ? 綺麗に削れとってわしもビックリしたわ」
「大変じゃないですか。金属を巻く以外の対策は……なさそうですわね」
「定期的に水を掛けて滑りをよくする程度じゃな。砂礫が入らぬようには出来んから、小まめに確認するしかなかろうな……それで」
とアントンは丘と足にゲートルを巻いたクリスタに視線を向けた。
「用意は出来たのかね?」
◆◇◆◇◆
クリスタ達がいる場所は複数の丘と丘が交わる部分である。
山と山の間の低くなった場所を鞍部と呼ぶが、彼らはそうした部分を移動をしてきた。
直進して盆地となっている部分に馬車で踏み込めば、入るのにも出るのにも大変な労力がかかるための対策だが、結果として、丘を迂回し盆地を迂回しと、かなりの遠回りになってしまっている。
クリスタが登ろうとしている丘は、鞍部からであれば高低差15mほど。
全容は見えないが、今までに見てきた丘と同じなら、楕円形である。
盆地と丘の間には丘が崩れてできたやや平坦な場所があり、辛うじて馬車が通れる程度に地面は締まっているが、道と呼べるようなものではない。
細引きを持って丘の斜面を登り始めたクリスタはすぐに傾斜がきつくなるのを感じ、地面に片手をついて頂上に対して斜めに登り始める。
(マーヤおばさまの皮手袋とゲートルは正解ですわ……傾斜がきついというより、砂礫に靴が埋まって……歩きにくいです……)
歩くと言うよりも這うと言った方が正しく状態を表せているような状況に、クリスタは大きな溜息を吐いた。
「見た目より安全重視、ですわ」
下から見て予想していたよりも砂礫は深く、それでいて、所々、浅い部分に大きな岩が埋まっていたりもする。
次の一歩の予想が出来ないため、とにかく慎重に進むしかない。
だからクリスタは膝をつき、両手を使ってジワジワと登る。
クリスタが通った後には、人間が通った後には見えないような跡が残る。
斜めに突き出した岩に横から手を掛け足を掛け、岩がぐらつくようなら離れ、深い根がありそうなら岩の横で休憩を取る。
下ではアントン達が待機しており、何か見えるか、などのやり取りをしつつも息を整え、持ってきた皮の水袋の水で口をゆすいで再び丘を登る。
下からだと安全そうに見えた場所の砂礫が、近くから角度を変えて見ると妙に砂が少なく見えたり、しっかり埋まっているように見えた岩が、触れたら簡単に動いてしたりと、危険地帯を迂回しながらクリスタは着実に高さを稼いでいた。
予定していた中間地点の岩に近付いたクリスタは、岩の上側から押し、次いで体重を掛けて安定を確かめた上で、細引きをたぐってロープを引き上げる。
ロープ先端に作ってあった輪っかを岩にかけ、ロープを引いてしっかりと留めると、マーヤが登ってくる。
「大丈夫? かなり疲れてるみたいね」
登ってきたマーヤはクリスタの顔を見て、心配そうに声を掛ける。
「大丈夫ですけど……ロープってあんなに重かったんですね」
「引きずり挙げると地面と擦れるから、その分重く感じたのでしょうね」
マーヤはそう言いながら自分が登ってきたロープを岩から外して引き上げる。
その先端にはもう一本のロープが結んであるので、そちらも引き上げてしまう。
中腹に2巻のロープができた状態で、一本目のロープに結ばれている細引きに問題がない事を確認したマーヤが、
「行けそう?」
と尋ねるとクリスタは
「しっかり休んだから大丈夫です」
と、細引きを持って再び斜面を登り始める。
そして、頂上まであと少しの所で、クリスタは足元の砂礫の様子が変化していることに気付いた。
(傾斜が緩やかになって、足元が締まってますわね?)
傾斜がやや緩やかになって少しした付近から、足元の感触が歩きやすいものに変化したのだ。
砂礫に足が埋まりにくくなっていることに気付いたクリスタは、中腰で、片手をつくような姿勢に切替えて残りを登り切る。
そして、頂上付近の岩から幾つか候補を決め、安定している岩の横で細引きをたぐってロープを引き上げる。
岩にロープを掛ければ、本日のクリスタの任務は完了で、後はマーヤに任せるだけである。
が。
マーヤが登り始めるのを確認したクリスタは、
「西はあっちですわね……」
好奇心に駆られて頂上から何か見えないかと目をこらす。
――見えるのは丘ばかりだった。
沢山の丘の連なりが遠くまで続いていた。
だが、見える丘の数が方向によって異なっている。
ヴィードランドのある南側は丘が少ない。
北西側も丘は3個先までしか見えない。
その先の丘が低い可能性もあるが、丘陵地帯が終わるのかもしれない、とクリスタは期待した。
その遙か向こうには北方向全体に広がるように俗に北山脈と呼ばれる山脈が霞んで見えていた。




