30 最後の晩餐
私は仕事しながら、賃貸していた部屋を整理し、最小限の荷物を持って、引っ越しをした。
その頃には真夏になっていた。
週末、いつも通り、実家に行く。
クロは亡くなったが、それを伏せて実家に行く用事にしていたが、それも今日で最後。
私はあれからどうするのか、考え抜いた。
ナリと佳奈に協力してもらい、二人の安全な居場所を確保した。
それはクローンである私でしかできないことで、だいぶ危険の伴う対応であると二人に止められたが、私が自分にできることを考えて出した結論だった。
これで先輩と恒星くんは私という存在が巻き込んだ呪縛から解かれてほしい。
先輩が抱いている私への償いをおしまいにしたい。結婚を防ぎたい。
そして何より、私のせいで奇妙な同居をしている、このままだと結婚することになる(それが本人同意の、そして気にしていない事だとしても)恒星くんも開放したかった。
幸い佳奈の情報収集・交渉能力のおかげでなんとか道はできた。
後は実行するだけ。
ナリは隠れて生きるのは、今週で終わり。
マスターに手伝ってもらい、ナリを所定の場所に連れて行ってもらう。
ノートの最後を見る。
ナリが書いた進捗を見て、いよいよその日だと理解した。
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XX/XX 進捗
か→準備は万端
ナ→家の痕跡はノート以外処分
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ナリはこの家にきて、マスターを除いて、私とはここ数ヶ月、同じ家にいても極力、顔を合わせずにノートのやりとりのみで、私の生活に関わっていなかった。
ノートのみ、彼が生きていることを実感するものだった。
もうすぐ新しい人生を切り開く。
私もタイミングを見計らって、彼を追う。
庭でノートを缶に入れて焼く。
もうこのノートは必要ない。
焼きながら、先輩の顔が浮かぶ。
最後に、どうしても会って話がしたい。
私はそう思っていたが、風花の結婚式の出来事以降、今に至るまで先輩に会おうにも、先輩は忙しく、なかなか会えなかった。
それはどうも恒星くんも私と同じように先輩と会えていないようだった。
会社の仕事に加えて、多分、先輩の結婚式が近づいていて、指示された家の仕事の対応もあるんだと私は感じていた。
そしてそれから数日経って、やっと仕事の件であるが、連絡を取り合うことができた。
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狭山さん
お疲れ様です。
人事からの36協定チェックの連絡で、今月の残業時間、確認しました。
今後の作業の話をしたいので、打ち合わせをお願いします。
西園寺
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それも全て計画の1つだった。
今持っている、ほとんどの作業をほぼ空にするため、私は仕事をした。
今月の36協定時間外まで働けば、重要な、急ぎの案件における私の残作業は自動的に他の人に振られる。
作業を振られる人には申し訳ないが、事前に言えるわけもなく、この方法で引き継ぎをすることにした。
まさか勤務時間のチェック担当者が先輩だとは知らなかったから、メールにはびっくりしたけど、しょうがない。
打ち合わせを早速セットした。
会議スペースで久々に西園寺先輩に会う。
「狭山、お疲れ様」
先輩は挨拶し、椅子に座った。
私も「お疲れ様です。よろしくお願いします」挨拶をした。
先輩は手元の資料を見ながら、「メールしたから理解していると思うけど、今日から今月は残業は禁止。急ぎの仕事は全部、引き継いでもらいたい、その引き継ぎ先は先程メールで送ったので、明日から対応をよろしく」と言った。
そして続けて、「人事上の確認でも必要だけど、これは個人的にも心配してることで、仕事でストレス抱えてない?体調は、大丈夫?」と私の顔を見た。
私も先輩を見た。
先輩のほうが痩せた気がした。
私は言った。
「ご心配おかけしました。仕事上は問題はありません。体調は大丈夫です」
先輩は不思議な顔して聞いた。
「仕事上は?」
恒星くんからも日常の連絡はきていると思う。何も起きていない、いつも通りと連絡がきているはずなので、何の話か、きっと先輩はわからない。
それはそうだ、問題があって心配していることは私のことではないわけだから。
私は切り出した。
「これはプライベートの心配事です。先輩こそ、働きすぎ、のように見えますよ」
先輩は私の言っている事を少し考え込んだ。
「私だけじゃなくて、恒星くんも心配してます」と私は言った。
そう言って先輩は自分のことを心配していると気がついて「ああ、そうかもな」と言った。
「忙しいと思うのですが、予定、合わせますので皆でご飯、どうですか?」
私は聞いた。
先輩はふっと笑って言った。
「まさか、狭山から誘われると思ってなかった」
そして少し考えて、「予定を今、即答できないんだけど、そうだな、うん、行けるように調整する」と先輩は言った。
その夜、恒星くんにもその話を伝えた。
「ひかりさんの体調チェックの時間で先輩は逆にチェックされたの?」と恒星くんは言って、大笑いされた。
聞けば、恒星くんも先輩とお昼の時間も合わず、ここ最近、やりとりは携帯のみだと言うことで、ご飯の話をしたら、感謝をされた。
先輩との夜ご飯は、それからお盆前の金曜日、当日の午後、急に決まった。
創作イタリアンのお店に19時集合ということになった。
恒星くんは明日、実家に帰るにあたり、お盆中に誕生日を迎える双子のプレゼントを購入してから参加するというので、遅れると連絡があった。
私は今月、残業なしとなったため、定時後、お店近くでぶらぶらしながら時間を調整し、19時ぴったりにお店の入り口に着いた。
先輩もちょうど同じタイミングで入り口で会った。
二人で丸いテーブルに先に座る。
食べ物を適当に注文し、飲み物が来たので、軽く乾杯して飲み始めた。
先輩が言った。
「大野さんの結婚式以来だったかな?」
「そうですね」と私は返した。
「人事からメールもらった時はびっくりしたけど、元気そうでよかった」と先輩は言った。
「論文に比べたら。」と私が言ったら、先輩は「なるほど。それは確かに」と同意してくれた。
ワインのせいか、空腹で飲んだせいか、私は1杯で少し酔いが回ってきた。
「海斗さんは………!?」
恒星くんの言い方を聞いているせいで、素で名前を呼んでしまった。
先輩が笑って言う。
「いいよ、その言い方で」
私は恥ずかしくて顔を上げられず、それを見て、「あのさ、じゃあ、俺も、光と呼ぼうかな」と先輩は言った。
顔を上げて先輩を見た。
「まぁ、恒星のことも名前で呼んでるし、長い付き合いなんだから、おかしくないでしょ?」
と先輩は平然と言った。
その言葉に私の心は嬉しくて、ふわっと暖かくなった。
「それで光はさっき、何を言いかけたの?」と早速、名前で先輩に聞かれた。
私は心の中から、先輩と言っていた部分を海斗さんに変換して言った。
「海斗さん、私に居場所を作ってくれてありがとう、ございました。ずっと言おうと思って言えなくて」
海斗さんはワインをぐいっと飲んで、「気にしないで。俺は自分がやりたくてやったことだから」
ワインを一気に飲んだ姿を見て、先輩はきっと恒星くんと私が同棲していることに抵抗がある、そして嫉妬しているんじゃないだろうかと思った。
そして海斗さんの強がりを感じた。
私はフォローの言葉を入れた。
「…あの、居場所には恒星くんだけじゃなくて、海斗さんも入ってます、からね」
海斗さんはグラスを置いて、私を見つめた。
私も目を逸らさずに海斗さんと目を合わせて微笑んだ。
そして海斗さんは「そっか、うん」と頷いた。
海斗さんは、私の大事な友人だよ。
さよなら、言わなくてごめんなさい。
そう思った時、足元にチャリンと音がなった。私が足元を見ると、海斗さんのキーケースが落ちていた。
私は拾い上げて、海斗さんに言った。
「これ、海斗さんのですよね?このキーケース、少し大きいですよね」
「あ、うん。それでポケットからよく落ちるんだよね」と海斗さんは言った。
「ちょっと見てもいいですか?」
私は声をかけた。
「どうぞ」という返事を待って、私はひざに置いて開いた。
すばやくセットしていた盗聴器を取って、バックから袋に入った金具を出した。
「帰りに渡そうかと思ったんですけど、これよかったら」と私は言って、キーケースとともに海斗さんに渡した。
私は説明した。
「この金具をここにつけることで、バックやスーツにつけられるようになるので、落ちないかなって」
海斗さんはみて「ちょっとつけてみる。ありがとう」と言って受け取ってくれた。
これで私は恒星くんと先輩の二人共の盗聴器を回収した。
携帯のアプリは私の携帯で操作して、あるタイミングで自動的に削除するように設定してあったので、それで削除し、これで私の後片付けもあわせて完了した。
そこでちょうど恒星くんがやってきた。
「お待たせしました」
海斗さんと私二人とも、どうぞと椅子を指して、恒星くんは空いている席に座った。
「ちょっとプレゼント選ぶのに手間取りました」という恒星くんに、先輩が聞く。
「康介と美幸に、だよね」
恒星くんが言う。
「そうです。悩んで結局、遅れた就職祝いも兼ねて、色違いの時計にしました」
「そっか、みつかってよかったな」と言って海斗さんも封筒を取り出した。
「俺からのプレゼント。皆で行って」
恒星くんは封筒の中身をチラ見して、バックにしまった。そして海斗さんに向かって言う。
「海斗さんも予定会えば、誘いますよ」
そうしたら海斗さんは「あぁ、わかった」と頷いた。
恒星くんはテーブルに置いてある海斗さんのキーケースを見て、「そのキーケースみたいに、時計も大事に使ってもらえるかな」と言った。
どうもキーケースは恒星くんからのプレゼント、だったらしい。だから、私が金具のプレゼントの提案したときに、恒星くんは賛同してくれたんだと私は思った。
「使ってくれるよ、きっと」と言った。
そして「光がさ、キーケースの金具くれたから、もう落ちないし。」と海斗さんが言う。
私の名前呼びに恒星くんは驚いたの様子で、海斗さんと私の顔を見比べて、「僕がいない間に、良いことありました?」と聞いた。
海斗さんは「そうだな、恒星の家の居心地悪くなったら、うちに来るぐらいには仲良くなった」と茶化して言った。
恒星くんも「あ、そうなんですね。起きない事象で比較されても困りますけど、よかったですね」と話をあわせてくれて、最後に皆で笑った。




