28 似たもの同士
私は昨日、実家から最終電車でずっと帰っていなかった自宅に戻った。
久々の一人。
皆いなくなってから、ずっと一人が怖くて寂しかった。
今、心の中は静寂。
あんなに怒りと苦しみと悲しみで一杯の感情から、全く揺れのない、静かな世界。
進むべき方向が見えたからか、私の気持ちは落ち着いていた。
顔を洗って、いつもの平日の一日の始まり。
時計をみて、駅に向かう。
駅の入口で恒星くんが鞄を腕にかけて、腕組んで待っていた。
どうも私を待っているみたい。
「おはよう、恒星くん」
私は恒星くんに声をかけた。
恒星くんはいつもどおりに挨拶した。
「おはようございます、ひかりさん」
恒星くんは改札に入り、行こうという仕草をした。
少し混んでいる電車の車両の真ん中あたりに立って、お互いつり革につかまりながら、恒星くんから質問された。
「家の整理、進みましたか?」
私は昨日、恒星くんに今まで借りていた自宅を引き払い、恒星くんの家に引っ越したいと連絡した。
「うーん、猫の…お世話をしに実家に行っていたから全然進まなかった、かも」と私が言ったら、恒星くんは「かもって…」言って、「自分のことなのに…んな適当な」と小さく呟いて笑った。
私も合わせて笑った。
わざとらしく、恒星くんはンンと咳払いして、
「それで今日も整理されます?」
伺うように予定を聞いた。
私は「…恒星くんのご飯を、食べに帰ります、ということで私の分もお願いします」と言った。
恒星くんは嬉しそうな顔をして頷いた。
「了解です」
そう話して、私が降りる駅に到着したので、そこで恒星くんとは別れた。
仕事は没頭したせいか、打ち合わせがスムーズに進んだせいか、定時は1時間も過ぎているが、いつもより早めに終わった。
家に帰宅したら、テーブルに二人分のご飯の準備がしてあるが、恒星くんはいなかった。
どうしようかと考えていたら、ガチャっと音がした。
リビングにスポーツウエアの恒星くんが帰ってきた。
「恒星くん、おかえりなさい」と私は言った。
「ただいま、お待たせしました。お腹減ってますよね?僕、シャワー浴びてから食べるので、温めて、先に食べてください」と恒星くんに言われた。
私は少し悩んだけれど、食べてくださいと言われたので、レンジで温めて食べ始めた。
シャワーを浴びた恒星くんが出てきた。
「今日、早かったですね」
「はい。仕事が早く終わりました」
私はちょうど食事が終わり、片付けをしながら話をした。
「それはよかった。ジム行ってる間に帰ってくるとは思ってもなかったです」と恒星くんは言った。
「うん、私も」と私は返事した。
ジムに通っているんだ。
だからスポーツウエアと一人納得した。
「また週末に引越屋さんに見積もりしてもらうので、帰ります」と恒星くんに伝える。
恒星くんはうんうんと頷いて、
「わかりました」
いつもなら恒星くんが先に食べていて、帰ってきた私が一人で食事をしているので、食事が終わったら食器を片付けて洗う作業に入る。
今日はまだ恒星くんが食べ終わっていないので、椅子に座ったまま、お茶を飲むことにした。
恒星くんはご飯を食べながら、私に聞いた。
「ひかりさん、無理してません?」
ふっと前の土日に起きたことを反芻した。
結婚すると先輩に言ったこと。伝わってるはずだし、その上、具体的に急に引っ越しの話をした。
それらは恒星くんから見れば急な話だったかもしれない。
私は先日までごちゃまぜになった感情を行動で消化してきた。
進んでいるのか後退しているのかわからないけれど、何かに没頭してなんとか気持ちを保っていた所があった。
そして今、この家はきっと安全、その自信があるから落ち着いて帰ってくることができた。
無理をしているつもりはないけど、きっとどこかで気持ちは張っているかもしれない。
「そうかもしれない、そうじゃないかもしれない」と私が言ったら、恒星くんは「なんか今日の 朝も同じ会話を聞いた記憶がある。デジャブですか?」と言ってくすっと笑った。
「かもしれない」とさらに私は重ねた。
食事していた手を止めて、唐突に恒星くんが言う。
「ひかりさんは、強いですよね」
"ひかりさんは"?
比較はきっと西園寺先輩。
私は瞬間にそう思った。
そして不本意ながら聞いてしまった会話を思い出した。
私は今までの経緯を恒星くんから聞いてから、ずっと恒星くん側の感情ばかりおいかけて、先輩の気持ちをよくみていなかった。
昨日の先輩は思えば、朝から………いやその前の夜から明らかに情緒が不安定だった。
そして、あの会話…。
先輩は家の仕事を手伝いたくなさそうだった。きっと結婚したくないんだと思う。
でも、NOといえる状況ではなかった。
………あの家の話を先輩は恒星くんにも詳しく説明せずに、きっと一人で抱え込んでる。
全てを自分で引き受けて、自分一人だけ悪役になることを、きっと先輩はもう決めているんだ。
せめて、好きな人の前ですべてさらけ出せたら…と言って私は自分と先輩の共通点をはっきりと自覚した。
『しげに似合う女性は、私じゃない。しげを縛るのをやめよう』と思いつつ、彼が近くに来れば甘えてしまった日々を思い出す。
本当はしげも佳奈も狙いたくなかったとすれば、先輩はきっとあれからずっと良心の呵責に苛まれてる。
だからこそ、私に償いたくて、安全な居場所を作りたくて、恒星くんに託した。
そして家のために行ったそれらの行為によって、恒星くんと釣り合わないって思っているとしたら・・。
先輩の『俺を許さなくていい』という声が響く。
ずっと考え込んでいる私に、恒星くんは気がついて、「ひかりさん?」と声をかけた。
私は意を決して恒星くんに伝える。
「………あのね、私、大分、先輩という人を誤解してた」
そう、私はやっと雲の上の存在と思っていた先輩が並んで一緒に、いや先頭を走ってくれて道を作ってくれていることに気がついたのだ。
私たちと変わらない等身大の人間。
急に先輩の話を出した私に恒星くんはびっくりした。
「え?」
ずっと自分に自信がなかった。
慰めてほしい時に両親は不在で、そしていなくなって、居場所を探した。
それから私は真理恵を始め、結衣、佳奈、風花、恒星くん、しげ、先輩が私の居場所になってくれた。
先輩も家庭環境からすると、きっと同じように居場所を探してた。最初に恒星くんと恒星くんの家族に会って、それから会った皆を本当の友人だと思っていたと思う。
真理恵の1周忌での思いはきっと本音。
そう涙も…。
それなのに、私は他の人と同じく、表面的な先輩の一部分をみて、どこかで無意識に壁を作っていた。
きっとあの場所はそれぞれの居場所で、そして先輩の居場所であったはず…。
私達は何の因果か、似たもの同士。
そして私は恒星くんの言葉を借りて、言った。
「恒星くん、もし恒星が私を強いと思うのならば、先輩も同じなんじゃないかな」




