26 すれ違い
朝が来た。
結局、あまり眠れなかった。
洋服を着替えて、顔を洗いにリビングに向かう。
「おはようございます、ひかりさん」
恒星くんは既に起きていた。
「………おはよう」
挨拶したら、恒星くんが寄ってきて私の顔を覗き込んだ。
「なにかありました?」と声をかけられた。
それと同時ぐらいに先輩も恒星くんの部屋から出てきた。
「おはよう」
挨拶して、先輩はすぐ私と恒星くんの距離を伺うような視線を感じたので、私はさっと離れた。
恒星くんだけが気がつかないようで、一瞬「?」という顔をしていたけど、すぐに切り替えて、「おはようございます」と声をかけた。私もあわせて挨拶した。
私は洗面台に向かい、顔を洗って鏡を見た。
少し目の下のクマが目立つので、化粧をしながら、目元をファンデとコンシーラーで隠した。
自室に向かおうとしたら、恒星くんが声をかけてきた。
「………ちょっとだけ、いいですか?」
仕方なく、私はテーブルの椅子に座った。
先輩は二人がけのソファーに座っていた。
恒星くんがコーヒーを先輩と私にもってきてくれて、その後、自分のコーヒーを取りに行き、キッチン横のスペースに立ったまま寄りかかって、飲み始めた。
先輩がコーヒーカップを持ちながら、「………昨日は…迷惑かけてごめん。あとありがとう」と言って、頭を下げた。
「二日酔いはなさそうでよかったですね」と恒星くんは満足した表情で先輩に向かって言った。
「ああ、うん」と先輩は頷いた。
そして恒星くんは私に向かって言う。
「ひかりさん、お願いがあります。ひかりさんが今、使ってる部屋、一瞬だけ入っていいですか?」
なにか知られてしまった?
ドキドキと心拍数が早くなった。その鼓動を抑えて、「あの、少し準備しても、いいかな?」と言った。
恒星くんは「いいですよ。時間はいつでも。浩二か、康介の洋服を貸そうと思って………ひかりさんの部屋に置いてあるので。準備できたら教えてください」と言って先輩を見た。
「悪いな」
先輩は先程、謝った顔から戻さず、神妙に返事をした。
それをみて恒星くんはつぶやく。
「いえ、全然。僕の服でもいいけど…サイズが若干………。まぁ、久々にきてみます?」
確かに、上にも横も少し大きさ違う。
私はゆっくりと二人を見回した。
恒星くんは背が高くて、筋肉質でがっちり。
先輩は恒星くんと数センチ違うし、細身。
ぼそっと嫌そうに先輩は言った。
「いーよ、わかってるから」
そう言っているうちに恒星くんは自室から、パーカを持ってきた。
「おいっ、いらないって」
ジタバタする先輩の上から被せた。
抵抗むなしく、途中からしょうがなく、先輩は諦めて自分から着た。
やっぱりだいぶ大きい。
「ひかりさん、見てみて。彼シャツ」
どうやら恒星くんは先輩をからかっているようだ。
先輩は顔を真っ赤にさせて少し怒ったような困った顔をした。
「………もういいよ、これで」
諦めたのか、そう先輩は言った。
「海斗さん」
恒星くんの、その声に先輩は少し大きく目を開けて恒星くんを見た。
「その、呼び方」
自分の呼び方に先輩は驚いたらしい。
「あぁ、ひかりさんにうちにいたこと、家のことを伝えたんで、もういいかなと思いまして」
恒星くんは言った。
「………あっそう」
先輩は不貞腐れたように返事した。
私は多分、普段だったら微笑ましい気持ちで見ていたんだと思う。
きっと恒星くんも重苦しい空気を感じて笑わせたかったんだと思う。
でも、私はどんな先輩の姿も見たくなかった。
今や早くこの場から離れたい気持ちでいっぱいだった。
耐えられなくて、「部屋、整理してきますね」とリビングを出ようとした。
恒星くんがリビングの扉を塞いだ。
あと少しで恒星くんに当たるところだった。
「ひかりさん?」
恒星くんは私に声をかけた。
いつもと調子がおかしいので、聞いただけなんだと思う。
そこに、先輩が私に向かって言う。
「………もう帰る。元のスーツに着替えてすぐに帰るから、狭山、もういいよ」
その言葉に恒星くんは驚いて、先輩の方を見る。
私はそういう先輩の発言を無視して、「恒星くん、扉開けてもいいかな」と言った。
恒星くんは今度は何も言わずに黙って通してくれた。
「ありがとう」
そう言って、自室に戻り、部屋を片付けた。
私はリビングに戻りたくなくて、恒星くんの携帯にメッセージを入れて、玄関で靴を履く。
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ちょっと急ぎの用を思い出したので、出かけます。部屋はどうぞ、ご自由に。
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先輩の先輩の靴はまだあるので、部屋にいるようだった。リビングが開いて、恒星くんが玄関までやってきた。
何も言わない私を見て、恒星くんはただ「いってらっしゃい」とだけ言い、扉を開けてくれた。
私も「いってきます」と返事だけして、外に出た。
行く場所がなくて、考えていた。
そんな中、悲しい出来事が待っていた。
マスターからクロが危篤状態で病院にいるという連絡だった。
連絡のあった動物病院に向かった。
入り口でマスターはいた。
「光ちゃん!」
マスターがナリから連絡を受けて家にきたらしい。クロはどうも階段を上がろうとして、滑って落ちたらしい。
私は昨日の夜から止めようとした涙を思いっきり、流した。
「もう少し早く行けたら………」とマスターが言うので、「いえ、こちらこそ………すみません。ありがとうございます」
私はお礼を言う。
動物病院で手続を実施し、火葬することになった。遺骨は後日、送付してくれるという。
私はもう起きないクロの顔を見て、また何をやっているんだろうと自問自答する。
あんな態度では、いつかわかってしまう。
でもどうしてもそういう対応になってしまう。そんな自分が嫌な自分とそういう自分で良いと思っている自分の間で揺れていた。
そこにクロのことがあり、自分に対する甘さを自覚する。
死ぬということの、もう会えない、その事象が目の前で発生し、私はもうそんなことは嫌だ。
次に死ぬのは、自分だと。
もう誰も死なせたくない。
そう手続の間中、再度の、そして最後の、決意をする。
そして踏ん切りがついた私はその足で実家に向かった。
ノートに今までの情報を記載し、ナリに共有する。
そして、携帯のアプリをONにして、居場所を確認する。
恒星くんと先輩の二人共、どうもシティホテルにいるらしい。
私は先輩のキーケースにつけた盗聴器をONにする。
「何度言ったら、満足するんですか」
恒星くんの声が聞こえた。
「………何度でも。お前は俺のモノだってことを、忘れないように」
先輩が掠れた声で言う。
私はそこから二人の会話を集中して聞いた。
「海斗さん………いくらでもいいますよ、愛してる。………ただ僕も一つ聞いていいですか?」
「………何」
「海斗さんも、もうすぐ結婚しますよね。………僕の気持ちは考えてくれないんですか」
「お前の気持ち………?」
「こんな状況に………僕だっていつまでも甘んじているほど子供じゃない」
「………それって、どういう…」
「僕の海斗さんへの好意を盾に、何でも許されるわけじゃない」
「………そう、だな」
「僕に対して、少しでも思いがあるなら、それをきちんと言葉で表してほしい」
「………あぁ」
「………海斗さんは、恥じているんですか。僕とこうなったことを。………僕は、男性を好きになるのが趣味じゃない。海斗さんだから………好きになったんですよ」
「………わかってる。俺だって………」
「………どうだろう…あなたは傷ついてた。僕はその状況につけこんだんだ」
「…俺に………いう資格が…あるのか。お前を縛り付けるだけの、言葉を………」
そこから会話は無言だった。
私は恒星くんの気持ちだけが苦しいぐらいに流れてきた。
『そうですかね。いいように使われてる感しますよ。………ほうっておけなくてついつい世話を焼いてしまう自分も悪いんですけどね』そういった時の恒星くんの悲しい顔が浮かんだ。




