15 泡沫
1日のうちに、私は移動を繰り返し、今は恒星くんの家にいる。
恒星くんの家は、2LDKで私には普段使っていない部屋を貸してくれた。
「気分が落ち着くまで、うちで過ごしてくださいね」と言って、リビングに戻って行った。
部屋には簡易ベッドとクローゼットと棚に荷物が置かれていた。
マンションの端で窓ガラスが大きく、夜景が綺麗に見えた。
私はベッド横に自分の荷物を置いて、息を吐いた。
昨日から今日にかけて、いろいろ起こりすぎて思考はキャパオーバーしていた。
ここに来るべきではなかったのかもしれない。そう思う自分もいる。
でもしげも佳奈もいなくなった今、一人は嫌だった。
恒星くんが何も言わないことに救われている。
また私は恒星くんの優しさに甘えてる。
小学生時代、両親はほぼ深夜やある一定の時間しか家にいなかった。
広い家で私は一人ぼっちだった。
その反動なのだろうか、それとも中学時代から共同生活をしていたからか、生活音を聞くとすごく安心する。
隣の音を聞くと、人がいると感じる、その空気。
私はいつの間にか床に腰をおろし、ベッドにうつ伏せて寝ていた。
トントンという扉を叩く音で目を覚まし、「ひかりさん、ご飯食べません?」と恒星くんが声をかけてくれた。
リビングに移動すると、恒星くんが作ったのであろう料理が並んでいた。
「座ってください。はい、どうぞ」
椅子を引いて座るように促される。
恒星くんは向かいに座り、「じゃあ、いただきまーす」
キャベツ千切り、生姜焼き、味噌汁、ポテトサラダ……
「ありがとう………料理、よく作るの?」と私は声をかけた。
「はい。母子家庭で僕は料理担当だったんで」
そうなんだ?知らなかった。
そんな話になったことなかった。
「………いただきます」
よく噛んでゆっくり味わって食事をした。
温かくて、落ち着いた。
「ひかりさん……ちょっと目を閉じてください」
恒星くんは立ち上がり、テーブルの上にあったティッシュに手を伸ばして、1枚とったと思ったら、近づいて私の目の下から頬を拭いた。
私はいつの間にか泣いていた。
それすら気がついていなかった。
「ありがとう……」
自分でも顔を拭き直し、お礼を言った。
「………ちょっと気がゆるんできました?」
恒星くんには何も隠せない。
「そう、みたい」
恒星くんは頷いた。
「それなら、よかった」
お風呂は時間を決めて入ることになった。
恒星くんはシャワーしか使わず、浴槽の利用は掃除さえしてくれば、自由でいいと言われた。
基本的に洗い物・掃除は私で恒星くんは食事担当。
寮生活のようだ。
そう、私は思った。
そしてその夜、私は何も考えずに疲れですぐに眠りについた。
次の日の朝、私は朝ご飯のにおいで起きた。
恒星くんはいつもの通りに、「いただきまーす」と元気よく食べ始める。
私も「いただきます」と言い、作ってもらった朝ごはんを食べる。
恒星くんはその後、ニュースを見ながら、食事をし、終わったらスーツに着替えた。
ほぼ会話はせず、それぞれのことをする。
「いつも何時に出てるんですか?」と聞くので、「8時かな」と私が答えると、「そうなんですね、ちょっと早いですよね。この家だとちょうどいいですけど」
そして「じゃあ、一緒に出ましょうか」と恒星くんは言った。
今日は病院周りなので、恒星くんとは駅まで一緒で、その後は別々の行動になった。
外出先でメールを確認したら、丸山さんからメールがきていた。
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狭山さん
お疲れ様です。丸山です。
昨日は参加ありがとうございます。
営業部から好評だったと聞きました。
話変わりますが、今度、食事でもどうですか?
西園寺さんから体調万全じゃないのに参加されたと聞きました。落ち着いたら、ぜひ、ごちそうさせてください。
では、よろしくお願いします。
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丸山さん、律儀に連絡してくれたみたい。
食事をする。
その文面に憂鬱さを感じてしまった。
今は・・会話をするのが億劫。
何を話せばいい?
ふと営業部のことが浮かんだ。
あの中に丸山さんの知り合いはいるんだろうか。
あの去り際の笑い声が頭に響く。
私は丸山さんにメールの返信した。
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丸山さん
お疲れ様です。狭山です。
お気遣い、ありがとうございます。
このような機会をいただき、勉強になりました。
私は自分で参加したいと申し出ましたので気にしないでください。
宜しくお願いします。
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メールを打ちながら、昨夜の食事を思い出した。
恒星くんとの食事でそんな気持ちにならなかった。
話さなくても許容されていると実感し、私は仕事に戻った。
20時頃になって、帰宅した。
恒星くんはすでにリビングで部屋着になって、一人掛けソファーで寝ていた。
私は作ってもらった食事をレンジで温めていると、「うーん」と言いながら腕をあげて背を伸ばしながら起きた。
「おかえりなさい」
「た、だいま。……料理、いただきます」と私は返した。
恒星くんは頷いて、テレビをつけた。
私は食事を終えて、食器を洗っていると電話が鳴った。
恒星くんは携帯を見て、リビング横の彼の自室に移動した。
私はその間にお風呂に入った。
しげに続いて、佳奈の行方不明を思い出して、湯船で涙が流れた。
佳奈、また会おうって言ったのに。
いつでも連絡取れるって笑ったのに。
メールや電話をしても音沙汰はない。
それなのに、メールしてしまう。
これで高校のルームメイトの3人がいなくなってしまった。
何で神様は私から大事な人を奪おうとするんだろうと涙が流れる。
もう会えなくてもいい、だからせめてしげは生き残ってほしい。
願うことしかできず、私は生きるってなんだろうと自問した。
そこに答えなんて出るわけない。
浴室を出たら、また気持ちを抑えなければならないと思ったら、涙が溢れてきて、なかなか浴室から出る決心ができなかった。
すっかり長湯になってしまった。
リビングに戻ると恒星くんが見えた。
私を気にせず、真剣にテレビを見てた。
「おやすみなさい」と言って自室にも戻ろうとしたら、「ちょっと待って」と言って、急に恒星くんは立ち上がり、洗面台の棚から何か出してこちらに近づき、手に渡してくれてこう言った。
「誰かのおみやげ。あ、期限切れてるかもしれないから確認してね。ひかりさん、おやすみ」
手を開くとそこには顔パックのかわいいパッケージがあった。
「ありがとう」
そう私が言ったら、少し微笑んでまた元のソファーに戻って寛いでいた。
そうやって数日過ごした。
驚くほど、恒星くんはほとんど私の生活に干渉してこなかった。
朝は一緒に出て、同じ家に帰り、ご飯を食べれれば一緒に食べる。それぐらい。
会話は最小限。
でも機械的な対応ではなく、恒星くんの気遣いを感じた。
これは意図的に、会話を減らしてるんだと思う。
金曜日は社内作業で社食に行った。
恒星くんと同じタイミングでばったり会って、一緒に食べることになった。
西園寺先輩はちょうど外出しているようで、会わず、正直、ホッとした。
恒星くんと先輩の間で何があったのかわからないけど、きっと私に関わる何かで揉めたんだと空気を察したから。
あれから恒星くんとの話題にも出てこないし、先輩とも会ってないから今の状況はわからないけど、今は会いたくない。
「社食食べながら、夜ご飯考えるんですよね」と恒星くんが言った。
私は頷いた。
「うん」
「この味付けいいなぁと思ったら作ってみたりして」とたわいない会話をしていたその時、声をかけられた。
上を向くと丸山さんだった。
「狭山………ちょっと今、話してもいい?」
食事が終わったのか、手には何も持っていなかった。
「はい?」
何か話あったかなと思い出す。
そこに丸山さんは話を切り出した。
「あの………メール読んだけど、よかったら今日とか食事どうかなって」
メールを思い出す。
あの話、終わってなかった。
ちゃんと断らないと・・でも周りもいるし・と私は少し考えていたら、「………話に入ってすみません。僕と先約入ってます。だからお断りしていいですか?」
恒星くんがテーブルに肘をついて両手を組んで、はっきりと丸山さんに言った。
丸山さんはびっくりして、恒星くんをみた。
恒星くんは穏やかに「今後、狭山さんを誘う時は僕を通してもらっていいですか?………この意味、わかりますよ、ね?」と笑顔で言う。
丸山さんは私と恒星くんを見て、そうなの?という顔をして、「あ、えっと…こちらこそ、すみません」と言っていなくなった。
その後、恒星くんは飄々とした態度で「さて、仕事に戻りますか?」と言った。
仕事の帰り際、エレベーター前で西園寺先輩とばったり会う。
「狭山、お疲れ様」
「お疲れ様です」
いつもの先輩なのに、私はちょっと顔を見れない。
「恒星から昼のこと、聞いたよ」と先輩がいうので、私は顔を上げた。
「恒星くんと話したんですか?」
私は聞いた。
「ああ、うん」
先輩は頷く。
「………そうであれば何もないです」
私はホッとした・
別に喧嘩しているわけじゃないんだ。
私の一言に先輩は気がついたようで、「ああ、あれか。もしかして心配してた?怒られたけど、揉めたわけじゃないから」
先輩は一瞬、視線を外して、「普通に、話してるよ。安心して」と笑顔で言った。
そして、「今は、ゆっくり休むこと」と先輩から諭された。
その日の夕食は、恒星くんと二人で一緒にご飯を食べた。
「いただきます!」とここにきて、いつも聞いている元気な声。
少しずつ、ちょっとした、ささいな日常から元気をもらっている。
「いただきます」
私も声に出して、食事を味わう。
食事が終わって、私は切り出した。
「いつもありがとう。あとお昼は………助かりました」
いつもの一人ソファーでのんびりしていた恒星くんが私を見る。
「いや…出過ぎたマネして」
私は「そんなことない………今は………まだ立ち直れてない」と伝える。
恒星くんは私の言葉を肯定した。
「うん…そうだね」
あと少し、きちんと話さないといけないと私は言葉を絞り出す。
「………でも恒星くんに迷惑かけたと思う。………多分、丸山さん誤解したと思うし」
全然、気にしていないという素振りで「うん。まぁ、僕は問題ないですよ。ひかりさんには申し訳ないけど、その方がこの状態好都合だと思うし」
この状態というのは、私が恒星くんの居候している状況を指しているようだ。
恋人同士だったら同棲してても自然だけど、確かに、恋人同士でもない男女が同じ家ってよくよく考えたら………。
だから恋人同士のフリしている方が都合がいいと恒星くんは言った。
ここに来た時、そんなことを冷静に考えられる状況ではなかった。
「ほんと………ありがとう」
私は改めてお礼を言った。
「いえ、ひかりさんは海斗さんと僕にとって、大事な人なんで。気にしないでください」と恒星くんは言った。
週末になって、風花が来るので、一旦、自宅に戻ると恒星くんに伝えて、私は自宅に戻った。
風花は花束を持って家にやってきた。
「これ、ブーケトスの試作。光にあげるね」そう言って、渡してくれた。
「ありがとう。すごく綺麗」
そう私は言って、「………でも今、私、この家で生活してなくて………」と風花に伝えた。
「どういうこと?」と聞かれて、事情を説明したところ、「えー、そのまま付き合っちゃえば?」と風花は言い出した。
そして「生活して問題ないんでしょ?それ最高のパターン」と賞賛された。
確かに問題はないけど、しげに抱いた気持ちとは全く違う。
無言で寄りかかれるような関係でもないし、そうしたいとも思わない。
ルームシェアの感覚。
きっとどんな話でも聞いてくれる。
そして恒星くんは私に共感してくれる。
そう、思っているのに、今は話したくない。
私自身が壁を作っているのかもしれない。
その壁すら、恒星くんは許容してくれている。
恒星くんは私にこんなにいろいろ与えてくれているのに、自分はその優しさに甘え、何より今の私は、真梨恵、しげと佳奈の代わりのように、誰かといたいと思っている。
そのための手段として、恒星くんを利用している。
そのドロドロとした感情を、ズルいとわかっていながら、そのままにする自分をひどく嫌な人だなと感じている。
あと恒星くんから一定以上の好意を感じないこともあった。大事にされているけど、それは恋じゃない。
なんとなくそう思った。
ただ居候するにあたり、それは私にとっては安心だった。
私は、はりねずみのように寂しがりやなくせに触れ合いはNG。
どこかで接触があれば、私は恒星くんの家を出ていくであろう。
恋人同士だったしげは唯一の例外だった。
性行為以外の手を繋いだり、抱きしめ合うことに安心を感じたのは後にも先にもしげしかいない。
だから………問題がないのは…実は恒星くんも私と同じようにハリネズミのような性質を持っているんだろうか?………もしかしたらお互い誰かの代わりなんじゃないかって私の中でそんな妙な感覚がある。
私の薄い反応をみて、風花は「恋って、本物じゃないからね。偽物だからね。騙されちゃだめだよ」と言った。
そしてベッドに横たわり、「ドキドキより、大事なのは自分に嫌なことをしない人。生活して辛くない人」と付け加えた。
近くにある触ると色が変わるボールを触りながら、「それにしても、恒星くん、やっぱり付き合ってる人いないってことなのかな」と風花はつぶやいた。
そういえば、恒星くん、前に好きな人がいる話していたような気がする。
あれはいつのことだろう。
そしてボールの横にあるパズルを触り、「みんなは難しいのかな?恋愛も結婚も・・私は得意だからわかんないな。ねぇ、光、このパズル解けるの?私、パズルは苦手だから解けなさそう………」と言って投げてきた。
「そうだねー。それは………多分、解く気持ちがあるかないか、じゃないのかな………」と私は答えた。
その時、風花の携帯が鳴った。
どうぞ、と私が言うと、ちょっと話すねと玄関のほうに言った。
戻ってきた風花は、「何か打ち合わせが必要になってしまったみたい」と悲しい声を出した。
私は風花に一人じゃないから、と言ったら「ほんと顔見れて、話が聞けてよかった」と言って帰っていった。
私の手元にパズルだけ残して。




