13 滲む背景
研究会までの二週間はあっという間にやってきた。
午前中に飾りのような研究会成果発表会。
医者はそこで振る舞われる食事を目当てにやってくる。
オファーのあった病院の医者に挨拶し、パンフレットを渡す。
「西園寺さんに会えて光栄です」と隣にいた西園寺先輩に病院関係者が声をかける。
先輩はにこやかに「こちらこそ。これからもよろしくお願いします」と挨拶し、名刺を渡し合う。あわせて、我社の営業担当を紹介する。
そんな行為を医者一人一人に繰り返し、ほぼ担当した範囲の挨拶回りが終わり、私は化粧室に向かい、化粧直しをし始めた。
隣の男性用から声がする。
「いつも通り、西園寺さんの威力すごいっすね」
「ああ、ほんとむかつくぐらいな。あいつ一人いればいいじゃないの」
「営業の天敵。開発部にいて、売上貢献とかいらないのにな」
「あの顔みるとイラッとする」
「あーわかるわ。でもさ、考えてみ。あいつの目立った能力って、それぐらいじゃん。親の七光り。親からの遺伝子。まぁそう思ったら正しい使い方。俺らは楽して勝とうぜ」
「ひでーこというなぁ」
それは多分、我が社の営業部門の人たちの声。
私は固まった。
………先輩。
開発部の先輩が参加しているのは、会社の利益のため。
きっと自分の利益のためではなく、自分の受ける恩恵を会社にも分けるため、それをこんな風にとられて悪口を言われるなんてひどい。
私はそこそこに化粧を直し、その場を離れようと外に出た。
向こう側から先輩が歩いてきた。
「狭山、お疲れ様」
私は驚いたような、体をびくっと震えさせてしまった。
このままだと先輩は先程、悪口を言っていた営業部門の人たちと鉢合わせしてしまう。
「どうした?」と声をかける先輩に、何も言えずにいた私の後ろから、
「あーどうも、西園寺さん。いつもありがとうございます」と先程、最後に聞こえた声がした。
西園寺先輩は視線を私の後ろに向けて、「どうも。皆さん、お疲れ様です」と挨拶した。
そのうち一人が、「今日も西園寺サマサマ、でしたね。ほんとありがとうございまーす」と少し、嫌味っぽく挨拶をする。
態度を隠すつもりもないんだ、この人たち。
それでも西園寺先輩はその様子を気にも止めず、普通に「いえいえ。この後、宜しくお願いします」と丁寧に頭を下げて、挨拶した。
彼らはそれを鼻で笑って通り過ぎる。
それに全く動じず、見届ける先輩。
彼らがいなくなった後で、先輩は「どうした?」と私に言う。
私は今、悲しい顔をしているんだろうな。
だって悲しい。
先輩はここに参加してこんな仕打ちを受けているって、開発部の誰が想像できるだろうか。
開発部のメンバーは皆、先輩が自分の持っているものを存分に周りに使わせて、円滑に進めようと力を注いでいるのを知っているから、そして何かあればそれらを使って守ってくれることを知っているから先輩のバックボーンについて言う人はほぼいない。
それは自分の首を締める行為になることをわかっているからだ。
それなのに………。
「………何か言われた?」と聞くので、私は「………いえ。何も」と答えた。
それでも先輩は少し考えて、「……さっきの、狭山は気にしなくていいから。俺は全然、気にしてない」と言った。
「………はい……わかってます」
わかってるけど、悲しい。
西園寺先輩は優しく微笑んで、「狭山、考えてることが顔に出てる。………もうじきに終わるんだけど、………次行くか」
次のお店は小さなバーだった。
先輩の行きつけのようでその店のマスターらしき男性に「どうも」と声をかけて、椅子に座った。
マスターが「そちらの方にはどうしますか?」と聞いた。
先輩は「ノンアルコールの飲み物で何か作って」とお願いした。
私には「もう無理しなくていい」と言った。
飲み物がきて、小さく乾杯とグラス同士を少し当てる。
「病院の先生たち、治験やりやすかったと話してたよ。次はさらなるスピードアップ、かな」と何もなかったかのように話す。
「……話を聞けて参考になりました」
確かに医者は気分がお酒を飲んで高揚していたようで病院では話題にならなかった、よい良いやり方や不満について聞けた。
「うん、ならよかった。………俺はさ、狭山みてて、久々に新鮮な感覚」
私は驚いて声を出してしまった。
「え?」
「皆、俺のことを言ってても納得して、そんな顔しないよ」と笑いながら話す先輩。
「まぁ、それはさ、逆に部内ではそういうことがなかったということなんだろうなって」
自分で頷きながら、海斗先輩は言った。
「……はい」
私は返事をした。
先輩は「さっきも話したけど、もう気にしていないんだ。俺から西園寺を取ったら何もない。その通りだからな」と冷静に言う。
そして「誰だって人生は制約だらけだと思ってる。同じように見えて、反応一つとってもそれぞれ違う。俺の血はその制約の一部だ。……その自分の一部に抗うことはもう大昔に止めた。むしろ自分として受け入れたんだ」と言い切った。
私の顔をみて、「だから……今はわかってくれる人だけがわかってくれればいい。そして、少なくとも、狭山は『西園寺』を何とも思っていない。それで俺は十分なんだ」と微笑みながら言った。
「………むしろ、俺は狭山にそんな顔させるような良い奴じゃないよ」とひどく悲しい顔をして下を向いた。
「先輩………そんな」
私は自分を卑下する先輩を止めようと言葉を出したが、先輩は「俺は家のために、親が決めた相手と結婚するし、………家から命令があれば、何だってする。」とそのまま言葉を発した。
結婚………
そういえば、風花が聞いたと言っていた。
それも先輩は自分の人生として受け入れているということ。
私は言った。
「……私、先輩は良い人だと感じます」
先輩は顔をあげた。
先輩の目は少し潤んでいた。涙を抑えているのか、そのまま上側を向いて、そっとつぶやいた。
「………そっか……そうでありたい」
沈黙が流れた。
私と先輩の携帯が鳴った。
先輩が携帯をサッとみて、私に、「狭山…………携帯見るな」そういった。
私は無意識に携帯を開き、そのメッセージを読んだ。
それはアメリカに行った佳奈が行方不明になったニュースだった。
私の記憶はここでぷっつりと無くなった。




