8 初実戦
「!!」
「えっ、今のなに?」
「えっ、消えた? 落ちた?」
「お、落ちたね」
敵の男が現れて何か言おうとした途端に消えた。いや、消えたのではなく落ちた。ヨナは自分の落とし穴にかかったことがちょっぴり嬉しかったが、少し拍子抜けした。どんな強者がやってくるのかと身構えていた矢先の見事な落ちっぷりに思考がついていってなかった。
みんなも同じように呆気に取られている。それに反してサーシャは震えているようだ。いや、笑いを堪えているみたいだ。ちょっと苦しそうだ。
「でかした、超大馬鹿め」
とそこへ岩場の陰から一人の女がサーシャに向かって一直線に走ってきた。しまった。完全に落とし穴の男に気を取られていた。ヨナが気づいたときには既に遅かった。
今から魔法を発動しても間に合わない。このままではサーシャがやられてしまう。
「させるかっ」
間一髪のところでカルロが女の武器を一撃で弾き返した。カルロ以外は女の動きにまったく反応できていなかった。ヨナは改めてカルロの存在の大きさに感謝した。
頭と顔は黒い布で覆ってあったが、装備はかなり軽装だ。腕と足の肌が見える。決して大きくないが、しなやかでバネのある筋肉だ。
「くっ、あと一歩のところで」
「お前のボスは残念だったな。というか残念なボスだったな」
「それに関しては返す言葉もない」
「ヨナ! 風魔法の準備をしろ!」
カルロに言われてヨナは慌てて詠唱を開始した。そうか、こうやって敵に隙を作れば魔法を使えるのだと改めて思った。と、そこへ女がカルロに向かって黒い球を投げてきた。
「ヨナ、飛ばせ!」
「はいっ、『風よっ!吹き上げろ』」
ヨナは風魔法で黒い球を上へ吹き飛ばした。吹き飛ばした後、軽く弾けて黒い煙が上方に広がった。
「なっ、ま、魔法だとっ!」
「シュリ!」
「はいっ」
そこへ、シュリが女を斬りつけようと短刀を振った。シュリはいつも両手に短刀を持って戦闘をする。狩りをするときと同じだ。シュリの持つ短刀はドラゴンの鱗を削って作ったものだから、軽くて斬れ味は抜群だ。攻撃を受ければ無傷では済まない。
ヨナの魔法に一瞬気を取られた女はシュリの一撃をかわし切れなかった。シュリの短刀は確実に女の脇腹を斬りつけた。
「くっ、しまった」
「まだだ」
女が身を翻してこちらと距離を取ろうとしたところに、カルロが刀で斬りつけた。女はギリギリのところで何とか受け流し、体勢を整えた。
ヨナは初めての実戦に完全に飲まれていた。さっきもカルロが声をかけてくれなければ、魔法は出せなかった。魔法を発動するまでにはどうしても時間が必要だ。その隙はカルロたちが作ってくれる。
ウィステリアとフロワならもっと簡単に発動できるが、自分ではそうはいかない。落ち着け。状況をよく見るんだ。次に何をすればいい。カルロとシュリの助けになる魔法は何だ。考えろ。考えるんだ。
そしてヨナは次の一手のための詠唱を始めた。
一方そのころ。入り口付近では、アラマンが落とし穴に落ちた男をずっと見張っていた。落ちてからしばらく何も反応がない。サーシャの報告からすると、あちらで戦闘をしている女を含めて残り三人がまだどこかに隠れているはずだ。
「フロワ、ウィステリア、まだ敵は三人いるはずだ。周りに注意して。そして手筈通り、魔法の準備をしておくんだ」
「はい!」
静寂が長かった。向こうで行われている戦闘と違ってこちらはとても静かだった。相手はまだ出てこない。先程落ちた男はサーシャが言うように隊長だろう。なぜあんな子供騙しの分かりやすい罠に引っかかったのは謎だが、向こうの女は我々が男に気を取られて油断しているところを襲ってきた。
あれから大した時間が経過しているわけではないが、いつ敵が襲ってくるか分からない。敵はこちらの一瞬の隙を突いて来るはずだ。
一瞬たりとも気を抜けない緊張感が、三人の体を疲労させていた。
向こうの戦闘で何かが弾けた音がした。音がした方を見ると黒い煙が上方に立ち上っている。とそこへ物音がして二人がこっちに向かってきた。
「フロワ、ウィステリア! 今だ」
「はい、『光よっ』」
フロワとウィステリアが同時に魔法を放った。合図すると同時の発動だ。アラマンは息を呑んだ。なんて素早さだ。下級魔法とはいえあんなに早く発動できるとは。自分にあそこまでのことができるだろうか。
「くそっ、こいつらも魔法を使うのか」
敵は光の魔法で目がくらんで一歩退いた。よし、十分だ。アラマンは追い打ちをかけるように詠唱を済ませておいた土魔法で、落とし穴に落とそうとした。
があと一歩のところで敵は落とし穴をかわした。だが、視力は完全に回復していないのか、そのまま入り口から外に退避してしまった。そして、またこの場は沈黙してしまった。
ヨナは土魔法を放った。女の足元を泥に変えて足を奪う算段だ。急に足元が泥に変わって女がよろけた。よし、ちゃんと効いたぞ。
「カルロさん、今です!」
と叫んだとき、上空で何かが飛んできたのが見えた。何だ、あれは。よく見ると羊皮紙の巻物のように見える。何であんなものがこんなところに飛んでくるのだ。
「みんなっ、危ない。逃げてー!」
サーシャが急に大きな声で叫び出した。
「なんだ? 急にどうしたというのだ」
「あれは魔法が込められた紙だよ! あれが開いたら魔法が発動する」
「魔法が込められた紙だと。何でそんなものが? それでどうしたらいいんだ?」
「一気に聞かないで。何が発動するかは分からない。逃げるか、燃やすしかないよ。でも間に合わない」
サーシャが叫びながらも、もう既に巻物は開きそうになっている。今から逃げても間に合わない。どうしたらいい。だが、考える時間もなく巻物が開いた。そしてそれと同時に巻物が光り、拳くらいの大きさの火球が無数に出現した。火炎魔法だ。
「みんな、逃げてー!」
どう考えても今から逃げたのでは間に合わない。というかこのままではあの女にも火球が直撃する。彼らは味方が消し炭になってもいいのだろうか。どうしたらいい。
「まだよっ。フロワ!」
「うん、分かってる。『水よっ、いっけー!』」
「『炎よ、いけっ』」
フロワが放った水魔法が火球にぶつけられた。ほぼ同時にウィステリアの火炎魔法が巻物を燃やし尽くした。だが、火球にぶつけられた水は急激に蒸発し、爆発した。あたりに水蒸気が爆散して周囲の視界が奪われた。
ヨナは、その隙に敵が女を救出して去っていくのを視界の端で捉えた。また、同時に落とし穴から男が救出されて去っていくのもアラマンが確認していた。水蒸気が引いたころにはその場から敵は完全にいなくなっていた。
「お、終わったのか?」
「な、なんであんなに一瞬で魔法を発動できるの? あなたたち、一体何者……?」
「サーシャ、ちょっと、これ……」
「ん? どうしたのシュリ?」
「この人……大丈夫なの?」
シュリの指差した先にはエクレルが血まみれで倒れていた。
「えっえーーっ!! なんでっ??」
確かにエクレルが倒れていた。しかも血まみれで。ヨナも、サーシャが叫ばなかったら同じようにしていただろう。詰所で寝ていたはずのエクレルが血まみれで倒れている。
「うっ、さ、サーシャ、すまない」
意識はあるようだ。サーシャがエクレルを抱き上げた。
「あんた何やってるの? っていうか馬鹿なの? なんでここにいるのよ」
「す、すまない。あそこで寝ていたら大きな音が聞こえたから目が覚めたんだ。外に出てみたらみんなが戦っているのが見えて。僕も戦わなきゃと思ったんだよ。そしたらゾール紙が投げ込まれて、すぐに爆発して、そのときに敵にぶつかって、治療してもらった傷がまた開いたみたいなんだ」
「えっ? あんたやっぱり馬鹿だったの?」
「馬鹿ばっかり言うな。まあ、とんだ間抜けなのは間違いないかもな」
「馬鹿と何が違うのよ、それ」
「盛大に違うぞ。なぜなら……」
「あのー」
「ヨナ、何よ」
「一旦、エクレルさんを詰所まで運びませんか? 流血が酷いですよ」
「ああ、そうだったね」
「シュリ、族長を呼んできてくれないか」
「はい、すぐに」
カルロの指示でシュリは族長を呼びに走った。相変わらず素早い。フロワが風魔法で飛ぶのとそんなに変わらないんじゃないだろうか。あの様子だとすぐに族長は戻ってくるだろう。
ヨナは初実戦で疲れていた。みんなにも疲れが見える。詰所で休めるのはありがたい。エクレルには悪いけどまたあの詰所で寝てもらおう。