最終話 ただいま
「お父さん、お母さん、今そんなにそわそわしても意味ないから。早くご飯の用意手伝ってよ」
フロワは夕食の用意に追われていた。父のマロクと母のミローシャの手が全く動いていないからである。それもそのはず。今日は久々にヨナが『龍の爪痕』から帰ってきているのだ。あの日、ここを旅立ってから長い月日が経過した。ドラゴンを倒した日も、ヨナはサーシャとエストーレ王国に飛んで行ったきり、帰ってこなかった。サーシャがドラゴンであったことは、あの場にいたアラマンに口止めされていた。アラマンはミサリアに報告したが、やはり内密にすることになった。
数日後、エストーレ王国の使者が来たとき、ヨナからの手紙を受け取った。手紙によると、ヨナは今回の事件の後処理を手伝っているとのことだった。そんなヨナが手伝いを終えて、久々に『龍の爪痕』に帰ってきている。マロクとミローシャが落ち着かないのも無理はない。それにしても、マロクは椅子に座って外を眺めながら上の空だ。ミローシャに至っては、家の中をずっと歩き回り、やる必要のない場所の片付けをしている。
ヨナは諸々の報告のため、ミサリアのところへ行っている。何を話しているのか分からないが、かなり長い時間帰って来ない。フロワもさすがにそわそわしてきたが、夕食の準備が忙しいことで何とか平常を保たれていた。
ミローシャは、今日息子が帰ってきたと連絡を受けて動揺していた。今ヨナは族長のところに報告へ行っている。それが終わったら家に帰ってくる。旅立ってから二回は満月を見たはずだ。それだけの間、ヨナは帰って来なかった。途中、大きな魔獣が攻めてきたときは、近くまで来ていたみたいだが、結局は帰って来なかった。どうして。とその時は思ったが、いざ『帰ってくる』と思ったら、どうしたらいいか分からなくなってしまった。いつも通りでいいと思っても、いつも通りが何か分からない。毎日同じように暮らしてきたのに、いつも通りが分からないなんて笑えてくる。
それだけ『息子が家からいなくなる』という事実に無頓着だったのだろう。まさか、そんな日がくるとは思ってもみなかった。だが、息子はエストーレ王国に行くために、家を出た。家を出た後はしばらく寂しかったが、『龍の爪痕』がいろいろ大変なこともあってか、いつの間にか息子がいない生活にも慣れてしまっていた。いや、息子が帰ってきていると分かった瞬間、慣れてしまっていたことに気が付いたのだ。
不思議なもので、息子が帰ってくるのが少し怖い。もちろん帰ってくることはとても嬉しいのだが、いつも通り息子を迎えることができるのだろうか。この家は息子を寂しがらせる家になっていないだろうか。心配が尽きない。夕食の準備をしないといけないのに、全く手が付かない。さっきからフロワに任せっきりだ。フロワが何か文句言っているが、全く頭に入ってこない。それだけ動揺しているのだろう。さっきから夫の様子もおかしい。同じように動揺しているのかも知れない。
すると、物音と共にヨナが帰ってきた。夫とフロワが出迎える。出ていかなきゃ。笑顔で迎えてあげなきゃ。何て声をかけよう。そんなことを逡巡していると、ヨナが家の中に飛び込んできた。息子の顔を見た途端、先程までいろいろと考えていたのが嘘のように、頭が真っ白になった。でも自然と顔がほころんだ。頭は真っ白になっていたが、不思議と言葉が勝手にこぼれてきた。
「おかえり、ヨナ」
これでいい。今は素直に自分の気持ちを伝えよう。フロワの大きな声が聞こえる。夫はまだ落ち着かない様子でこちらを見ている。焦る必要はないのだ。息子の家はいつだってここなのだ。息子はいつかまたこの家を出ていくだろう。その時も笑顔で送り出してあげたい。その日までこの家で一緒に暮らそう。息子が何か言い忘れたように、こちらを振り返る。そしていつもの笑顔で答えてくれた。
「母さん、ただいま」
この物語が始まる少し前のこと。
その魂は、魂だけの状態になって初めて意識が戻った。その魂はかつてドラゴンだったが、今は意識だけの存在になっていた。何百年も前からこの地で彷徨っていた。意識を取り戻した魂は、ぼんやりとこの世界を眺めることにした。この世界は平和だった。ドラゴンがいない世界だ。世界は緑に溢れている。どうやら人間たちは生き残っているようだ。国らしきものが出来ていた。そこには人がたくさん住んでいた。幸せそうに暮らしてる。
この意識が戻ったということは、この魂の拠り所となる身体が近くにいるということだ。だが、このかろうじて意識がある状態では魔力の探知が出来ない。近くまで行けば分かるのだろうか。その魂は、人間たちの中に適性者がいることを期待して彷徨った。長い月日が経過した。そして、見つけた。
それは少女だった。その少女は少しだけ魔法が使えるようだった。この少女がいい。その魂は直感的にそう思った。だが、少女は元気だった。この少女が死なないと、この魂を入れることができない。その魂はしばらく様子を見ることにした。
ある日、その少女の住むところに別の人間が攻めてきた。少女は父に諭され、僅かな護衛を連れて逃げた。遠くへ。出来るだけ遠くへ。しかし、その少女の命運はそこまでだった。不運なことに魔獣に見つかってしまった。護衛の者と一緒に森まで走った。必死で走った。だが、護衛の者は無惨にもその魔獣に殺されてしまった。その少女は護衛の者に庇ってもらったが、深手を負ってしまった。森まで辿り着いた時には、他の護衛の者は皆、力尽きていた。少女はまだ何とか生きていた。行かなければ。使命感があった。このままでは死ねない。強い想いを胸に歩いた。だが、その儚い想いが報われることはなかった。
その魂は少女の前にいた。少女は死んでしまったようだ。ようやく使命を果たすための準備が整った。その魂は少女の中に入った。体の傷が酷い。すぐに治療を始めなければ。その魂が体の治療を始めると、一瞬だけ、その少女の意識が流れ込んできた。『エクレルさ……を……お……たす……しな……れば……』エクレル。聞いたことのない名だ。だがその意識は消えてくれなかった。そのまま新しい魂と同化してしまったようだ。そして、体の治療は無事に終わった。
その魂は身体を得た。使命を果たすために立ち上がる。たが、その前にやらなければならないことができた。この身体に刻み込まれた別の使命だ。少女は歩き出した。少女の使命を果たすために。敗れた服の裏地に何か見えた。そこには『サーシャ』と書いてあった。この少女の名前だろうか。気に入った。今日から私はサーシャだ。
その日、サーシャは新たな一歩を踏み出した。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
初作品のため、お見苦しい箇所も多々あったかと思いますが、楽しんで頂けましたでしょうか?
もし少しでも「いいな」と思って頂けましたら下にある★マークでご評価頂けますと幸いです。
この世界のお話で書き切れなかった部分は短編にて補完しようと思っています。
本当にありがとうございました。




