51 舌戦1
エストーレ王国。王都の外。ジルは考えていた。どうしてこうなってしまったと。アコーニットにこちらの動きが全て読まれていた。監視されていたことには薄々気が付いていたが、尻尾を出したつもりはない。今アコーニットから問い詰められているが、恐らく確固たる証拠は持っていない。証拠がない以上、白を切り通せるはずだ。
だが、何だこの不利な状況は。共謀していた馬鹿王族のカラッドは、あっさり黒の騎士団の女一人に捕まってしまった。まさかカラッドがここまでの馬鹿だったとは。もっと調教しておくべきだったと悔やまれる。また、ダークエルフの女が短剣を自分の喉に突き刺そうとしている。一瞬の隙を突かれてしまったが、既に少し刃が通っている。こうなってしまっては動けない。首に血が流れる感触が伝わってくる。そして極め付けは、捕らえていたはずの王女エマが自らの前に現れたことだ。
エマは王のお飾りだった。国政には直接関与せず、式典の際や、公式の場に添える花のような存在だった。国民からは人気があるが、それは政治に対する姿勢ではなく『お飾り』として完璧だからだ。特に何の思想もなく、ただ王の横に立って笑っているだけの女だと思っていた。積極的に政治に口を出したり、王に何か具申するところなど見たことも聞いたこともない。この王女はただのお飾りだ。だから王宮で幽閉している時は、最低限の監視のみで済ませていた。
ところがだ。このダークエルフ。恐らくエマが王都から脱出する手引きをしたのはこのダークエルフなのだろう。どうやって王都から無事に抜け出せたかまでは分からないが、まだ他に仲間がいるといる可能性もある。そして、このダークエルフとアコーニットも手を組んでいるようだ。と言うことは、自分を嵌めて今陥れようとしている首謀者は、目の前にいるエマということになる。
「わ、私はエマ様に嵌められた、というのか……」
エマは変わらず美しかったが、以前のお飾りでしかなかった時と大きく雰囲気が変わっていた。統治者の一族として何かに目覚めたか。それとも、こちらを強く睨み付ける瞳は、家族に対する復讐心で燃えているのだろうか。どちらにしても今のエマは危険だとジルの本能が告げていた。
すると、エマが静かに言葉を発した。
「ジル、あなたのしたことは全て分かっています。もう観念しなさい」
すると、横で捕らえられているカラッドが、エマに縋るような声で嘆願してきた。
「エマ、俺だ。カラッドだ。お前も無事だったんだな。心配してたんだ。王都からいなくなったって聞いて、心配してたんだ。本当だっ。信じてくれ。俺はお前に早く会いたかった。無事で本当に何よりだ。早くこの縄を解くようにアコーニットに指示をしてくれ。俺は何も悪いことはしていない。偶然ここに居合わせた被害者なんだよ」
エマはおおよそ家族を見る目ではなく、他人を一瞥するような視線をカラッドに向けて言い放った。
「お兄様。お元気そうで何よりです。いや、むしろ生きていてくれて助かりました。お兄様の言い分は後でゆっくり聞かせてもらいます。ジルと共謀し、お父様を嵌めたこと、そしてこの国を貶めたことを、そこで大人しく反省していて下さい」
「お、おいっ! 俺は兄だぞ。唯一の血の通った兄弟ではないか。俺の言うことを信じてくれないのか?」
カラッドはなおも食い下がる。
「信じるも何も、お兄様はどうして今ここにいるのでしょうか? それが何よりの証拠ではないでしょうか?」
「お、俺も自分で抜け出してきたんだ。そして、たまたまこの場に出くわしたんだ。本当だ。信じてくれ」
「そうですか? 白の騎士団の部下を連れて、そのような正装で抜け出して来たと?」
「ぐっ……」
カラッドが言葉に詰まる。
「まさか、お兄様がここまで無能だったとは。もう少し、マシな言い訳を思いつかないのですか? これに関してだけはジルに同情しますわ」
エマはなおも続ける。
「それと、私の愛する兄弟は後にも先にもエクレルだけです。残念ながら、お兄様のことを本当の兄だと思ったことはありませんの」
「ば、バカなっ。あの腹違いのエクレルだと。あいつは何もできないただの馬鹿だろう。一緒にするなっ!」
エマの視線がさらに冷たくなった。カラッドはその視線が胸に突き刺ささり、感情が逆撫でされた。
「な、なんだ、その目は! お前はエクレルがお気に入りかも知れないが、あいつは何の力もないただの男だ。王族の末席に名を連ねていること自体が腹立たしい」
「お兄様。お言葉ですが、そのエクレルが命懸けで王都を脱出したからこそ、今私はここにいるのです。そして、あなたはそのエクレルを捕らえることができなかった。どちらが優秀な男なのかは、火を見るより明らかではありませんか?」
カラッドには返す言葉がなかった。エクレル一人を王都から逃してしまい、そのエクレルをまだ捕まえられていない。その上エマも取り逃してしまった。今この状況を作り出してしまったことの発端は全てエクレルを取り逃したことになるのだろう。
「エマ様。お言葉ですが、あなたは一つだけ間違っています」
カラッドが黙ってしまい。沈黙が続いたところに、ジルが口を挟んだ。
「先程、カラッド様に『あなたは王を嵌めたことと、国を貶めたこと反省する』ようおっしゃいましたね」
エマは視線と沈黙で、ジルに続きを促す。
「王を嵌めたことはこの際、認めます。私は、確かにファニール王を嵌めて、龍神教が治める国を作ろうとしました。だが、国民はどうですか? 龍神教が治める国を歓迎してくれたではありませんか? 多少は動揺したかも知れませんが、目立った暴動もありませんでした。これが、何を意味するかお分かりですか? 国民は、王の考えよりも龍神教の考えに賛同したと言うことです」
エマは沈黙したままだ。ジルはなおも続ける。
「王は、いやエマ様も、国民がどれだけドラゴンを恐れているか全く分かっておりません。国民とは我儘なのです。外に出て自由に暮らしたい。でもドラゴンの脅威からは逃れたい。しかも、出来るだけ自分達は不利益を被りたくないと考えているのです。もし、ドラゴンが現れたら、この国は何がどうなってもおしまいです。我々は滅びるしかないでしょう。だが、実際はドラゴンはもういないのです。いないのであれば、ゾール紙など開発してわざわざ戦う選択をせずとも、国民を安心させられるのではありませんか? それが龍神教なのです!」
「貴様、よくも抜け抜けとっ」
ノクリアが苛立って短剣に力を込める。ジルの首からさらに多くの血が流れる。ジルはそれには頓着せず、話を続けた。




