43 帰還
ドラゴンの足元の地面が急に崩れて、大きな穴が空いた。土魔法により大地を崩して落とし穴に落とす作戦だった。
「アラマン、どう? 上手くいったかしら?」
「まだです、まだ深さが足りません。もう少し続けないと……」
ドラゴンが自力で乗り越えられない深さまで落とさないと意味がない。ただ、これだけの大きさの穴を空けるだけでも一苦労だが、さらに深く崩す必要があるので、かなり骨が折れる。この雨のおかげで崩れたところに水が流れてくる。地面を崩しながら穴を深くしているので、落とし穴表面の土はさらさらだ。そこに水が流れたら、泥になる。深い泥に埋もれてしまえば、ドラゴンと言えど、動きは止まるはずだ。
「まだまだだ! 皆、集中して魔法を続けてくれ!」
アラマンが魔法士達に発破をかける。落とし穴は大きな泥沼となり、ドラゴンの足は次第に泥の中に埋もれていく。足を上げようと藻掻いていたドラゴンの足もついに止まり、完全に動きを止めた。
「よし、一先ずはこれで動きは止められたな」
アラマンは魔法士達に合図をして爪痕内に引き上げさせた。
「リュクス殿、足止めだけはできたようです」
アラマンは隣にいるリュクスに声を掛けた。
「ええ、さすがですね。ここの方たちの魔法は凄い」
「ところで、あなたの知り合いのサコスと言う男は近くにいそうですか」
「確認しているのですが、どこにも見当たらないようです。ん?」
リュクスが、何か発見したようだ。
「リュクス殿、どうかしましたか?」
「いえ、ドラゴンの尻尾の辺り、こちらからは死角になっているのですが、さっきちらっと人が見えました。誰かいるようです」
「そのサコスという男ではないのですか?」
「いえ、エルフではなく、人間のようですね。死角に隠れてしまったので、今はちょっと分からないです」
アラマンは訝しむ。こんなところにいる人間とは誰だろうか。サコスが会っていたという人間が一番濃厚だが、危険を冒してまでドラゴンに乗る必要はないはずだ。偵察であれば、離れた安全なところで観察するだろう。
「アラマンさん、ドラゴンは動きは止まりましたが、執拗にこちらに向かおうとする意志だけは変わらないようです。ずっとこちらに向かって来ようとしています」
「そのようですね。族長、一旦足止めには成功致しましたが、このあと……」
「アラマンさん、見て下さい!」
「どうかしましたかっ?」
ドラゴンの方を見ると、口の中から巨大な火炎が出現していた。もちろんこちらに向けて放とうとしている。
「まずい、今からで間に合うか」
アラマンは魔法の詠唱を始めた。時間が十分にとれる保証はない。既にドラゴンはこちらに向かって口を大きく開けて狙いを定めている。いつこちらに飛んできてもおかしくはない。あの火炎がこちらに飛んできたら、一瞬で爪痕は壊滅する。
「アラマン、急いで!」
これ程、自分の詠唱時間が長いことを悔やんだ瞬間はなかった。フロワやウィステリアなら、すぐに迎撃できたかも知れないのに。ドラゴンの口の動きが完全に止まった。間に合わない。
もう駄目かと思った時、ドラゴンの顎の下で大きな爆発が起こった。その爆発でドラゴンの首が少し上に持ち上がり、その瞬間に火炎が放たれた。その巨大な火炎は『龍の爪痕』から大きくずれて、オットー山脈の山肌に直撃した。大きな爆発音がして、破裂した大きな岩がこちらに飛んでくる。アラマンは、咄嗟のことで何もできなかった。ふと横を見ると、ミサリアとリュクスが岩に当たって負傷していた。
「族長、リュクス殿、大丈夫ですか? さっきの爆発は一体……」
「私にもさっぱりだわ。アラマン、私は大丈夫よ。でも肩の骨はやられたみたいね。今は大丈夫だから、リュクスの方を治療してあげて、私より酷いみたい……」
リュクスは岩が頭に当たったようで気を失っていた。脈はある。生きているようだ。ドラゴンを振り返ると、まだ顎に受けた衝撃が回復していなくて、上を向いたまま固まっている。治療するなら、今しかない。アラマンはリュクスの頭の傷に治療魔法をかける。
「族長、大丈夫ですか? 今から治療しますので」
「アラマン、私はいいけど……。あっち、大丈夫じゃないみたいよ……。ドラゴンの方を見て」
ドラゴンは再度、口に火炎を溜めてこちらを向こうとしていた。顎に受けた傷は次第に回復しているように見える。
「き、傷が回復しているのか……。化物め」
もう一度同じ火炎が飛んできたら、完全に爪痕は崩壊してしまう。アラマンは再度詠唱を始めた。ドラゴンの口の中に火炎がある内に迎撃しないと、迎撃の衝撃だけでこちらには大きな損害が出る。ドラゴンは狙いを定めて、口の動きを止めた。このままでは間に合わない。
すると、再度、ドラゴンの顎の下で衝撃が起きた。ドラゴンはその衝撃を受けたが、火炎を発射せず、そのままこちらに向き直った。
「同じ過ちは繰り返さないということか。知恵まであるとは、ますます化物だな。だが、どこの誰だか知らないが助かった。少し時間を稼げたぞ。『炎よっ!』」
アラマンは精一杯の魔力を込めて、火炎魔法を放った。ドラゴンが火炎を放った瞬間にアラマンの火炎が直撃した。大きな衝撃と爆発が起こり、火炎は周囲に散っていった。こちらには飛んできていない。なんとか凌げたようだ。アラマンは次の魔法の体制に入ろうとする。だが、一歩遅かった。爆発で発生した噴煙の切れ間から見えたのは、既に発射準備を終えたドラゴンの口であった。
「なっ! 私の火炎を最小限の魔法で防いで、その隙に大きな火炎魔法を準備していた……というのか」
噴煙が完全に切れるまで待ってくれないようだ。まずい。もうすぐあの火炎が飛んでくる。迎撃の魔法の詠唱をする時間などない。完全にお手上げだ。
無常にもドラゴンの口から火炎魔法が放たれる。巨大な火炎がまっすぐアラマンたちに向かってくる。
もはやこれまでか、とアラマンが思ったとき、大きな火炎が別方向から飛んできて、ドラゴンの火炎を突き飛ばした。今度はオットー山脈にぶつかることなく、火炎は遥か遠くに飛んでいった。今度は何だ。先ほどの爆発とは違う人間なのか。
オットー山脈の一部を吹き飛ばすほどの威力を持ったドラゴンの火炎魔法。それに正確に当てるだけでなく、さらに、軌道まで大きく変えることのできる威力を持った火炎魔法の使い手などいるだろうか。否。アラマンは一人だけ知っていた。彼女ならドラゴンの火炎魔法を弾き飛ばすことも可能かも知れない。間一髪のところで助けにきてくれた。これほど心強い援軍はない。帰ってきたのだ。『龍の爪痕』最強の天才魔法士が。
「アラマン先生、大丈夫でしたか? 早く……族長の治療をしてあげて下さい」
その少女はアラマンの横に降り立った。
「ウィステリア……。すまない。助かった」




