3 天才魔法士の少女たち
一日が始まったという感覚はどこからくるのだろうか。ミサリアは朝食を取りながら考えていた。太陽の光が届かない世界でも人は朝が来たと分かってしまう。太陽が昇ってくると爪痕内もうっすらと明るくなり始める。
だが、外の世界とは数時間の差があり、太陽がある程度高い位置まで登ってこないとこの爪痕には日の光が届かない。ミサリアはまだうす暗い爪痕内の風景を見ながら、今日も退屈な一日の始まりかと思うと少し憂鬱に感じていた。
爪痕内の族長をして五年になるが、この爪痕内では特に大きな争いもなく平和だ。食糧は僅かだが自然の恵みと剣士たちが捕らえてくれる動物か魔獣の類のおかげで大きな問題はない。
魔法士の育成についてもアラマンに任せている。若い世代に才能あふれる魔法士もいる。剣士と魔法士とのいがみあいは今に始まったことではないが、剣士には剣士としての重要な役割がある。魔法士にはできないことだ。
剣士は魔法が得意ではない者が多いため、魔法士に対して劣等感が丸出しだが、魔法士はそうは思っていない。魔法士になると分かる。いざというとき、剣士がいなければ魔法士はただの敵の的だ。
彼らが時間を作り、魔法士を守るからこそ、魔法士は存分に力を発揮できる。その剣士の中でも能力に秀でた者も出てきた。たくましい限りだ。その腕を振るう機会が狩りだけなのが残念でならない。
だが平和が一番だ。争いで剣を振るう機会などない方がいいに決まっている。
「お母さん、どうしたの? 朝食が進まないなんて珍しい。またダイエットでも始めたの?」
朝から難しい顔で考えごとをしていたものだから、ウィステリアが少し心配そうに尋ねてきた。いつもであれば調子いいことばかり言って騒がしいのに今日は何かおかしい、とでも思っているのだろう。
「違うわよ。――でもそんなにお母さん変だったかしら?」
「うん、思いっきり変だったよ。だって、真面目な顔で考えごとしてたんだもん」
「あらあら、やあね。お母さんが真面目な顔して考えごとをしていたら変なのかしら? 私も一応はこの爪痕の族長よ。ここの将来について憂いていてもおかしくはないわよね?」
「お母さんの将来の憂いって何? 最近アラマン先生がお母さんに対してそっけないこと? それともアラマン先生がこないだお母さんの誕生日にプレゼントを持ってこなかったこと?」
「なっ、何て考察するのよ。末恐ろしい娘だわ。半分当たっているけど半分はハズレね」
「…‥半分当たってるんだ。ねえお母さん、そろそろ『アラマーン』て言いながら先生に抱きつこうとするの止めた方がいいよ。先生は正直迷惑してると思う。っていうかヨナに同じことしたら私お母さんであっても手加減できる自信ないからね。」
「ちょ、ちょっとくらいいいじゃない。アラマンは私の可愛い元弟子よ。師匠と弟子同士にしか分からない強くて深い絆があるのよ。あとヨナにはしないわ。あれはあなたのお気に入りなんでしょ?さすがに娘の想い人に抱きつく母親ってやばいよねー。ってかそれかなり痛いわー。」
「それも痛いけど、お父さんのいる前で他の男に対して深くて強い絆とか言ってるのも相当痛いと思うわ。」
「うっ、この子は魔法だけじゃなく口も達者になって。――そう言えばフロワちゃん最近かなり美人で大人っぽくなってきたわねー。あの二人、昔から仲がいい兄妹だったけどあの年になってまでべったりなのはちょっとどうかなって思わない?」
「ぐっ、あのバカ女だけはいつかヨナに気づかれない程度に穏便に消さなければならないと思っているわ」
「ちょ、ちょっとウィステリアちゃん、机が割れちゃってるわよ。あと自然に風魔法使わないで。ああっ、土魔法で地面を揺らさないで。悪かった。ごめん、お母さんがちょっと意地悪しちゃいました。ごめんなさい。だから落ち着いてちょうだい」
そんな母娘の朝の会話を聞きながら一家の主であるバニングは恒例の深いため息をついた。毎日賑やかなのはいいのだが、会話の内容が家族の団らんにまったく相応しくないのが悩みの種である。バニングはミサリアとは長い付き合いであり、彼女の性格は熟知している。
この性格については慣れたというか諦めていて、笑って流せるようになっていたのだが、娘のウィステリアが母譲りの性格を受け継いだおかげで、ここ最近家族の会話がいつもこんな感じになってしまっている。
ため息をつきながら、この事態をどう収拾しようかと頭を悩ませているところに、来客を告げる声が聞こえた。おお神よ。バニングはその救世主といるはずもない神に深く感謝した。そして玄関まで出迎えるためにそそくさとこの食卓をあとにしたのであった。
「誰かしら、こんな時間に。あっ、もしかしてアラマンかしら?」
「お母さん、いい加減にして。こんな時間に先生が来るわけないじゃない」
「いいじゃないの。少しくらい期待しても。もしかしたらヨナがあなたに会いに来たかもしれないわよ」
「ほんと! お母さん、私着替えてくる」
「我が娘ながら……ヨナのことになるとアホになるのよね」
ウィステリアは今の姿はヨナには見せられないと思い、身支度のため自室へ走った。とそこへ少し慌てたバニングが戻ってきた。
「ミサリア! 大変だ。カウベルがアラマンからの伝言を言いに来たって」
「まあ、アラマンが私に? ちょっとお父さん、席を外してくれるかしら」
「まったく、何を変な想像しているんだ。そんな訳ないだろう。こんな時間に本人ではなく弟子を走らせてきたんだぞ。緊急の要件に決まっているじゃないか」
「あら、確かにそうね。――ところでカウベル、伝言とは何かしら?」
カウベルは今のやり取りがおおよそ夫婦の会話とは思えず、困惑のあまり思わずアラマンから聞いた伝言が頭からすっ飛びそうになった。が、かろうじて堪えた。
「はい、先生からの伝言を申し上げます。『緊急事態です。急いで東門に来てください』」
「まあ、アラマンったら朝から大胆ね」
「まったく、お前というやつは…‥」
「まったく、お父さんに同情するわ。お母さん、緊急事態って言っているでしょ。それも東門って。――誰かが外に出ちゃったとかじゃない?」
自室で話を聞いていたのか、身支度を終えたウィステリアが割り込んできた。
「そんなこと分かってるわよ。ちょっとふざけてみただけじゃない。カウベル、ありがとう。伝言は確かに聞いたわ。これから東門に向かうからあなたは気を付けて家に帰りなさい」
カウベルはそれを聞くと、一仕事終えた安心した顔で家に帰っていった。
「あなた、すぐに出るわ。ウィステリア、あなたも出られる?」
「おかげ様でばっちりよ」
ウィステリアは既に出かける準備は終えていた。訪ねてきたのがヨナではなかったのがとても残念そうだ。だが、昨年の誕生日にヨナからもらった髪紐で髪を括っている。
確かヨナにその髪型を「かわいいね」と言ってもらって以来、ヨナに会うとき、もとい外に出るときはいつもこの髪型だ。我が娘ながらちょろい女である。
「あなた、じゃあ行ってくるわね。」
「ああ、気をつけてな。ウィステリアも。それとお母さんを頼んだぞ」
「分かっているわ。お父さん、いってきます」
ミサリアはアラマンの伝言から何か異様さを感じていた。夫にはこの不安は気づかれないように振舞ったつもりだが、ちゃんとできていたか自信がない。アラマンから緊急事態ですって?相当やばいに決まっている。ミサリアはそう思いながらも、今日は退屈な一日にならないだろうなと少しだけ胸を躍らせていた。
ウィステリアは母と一緒に家を出た。アラマンからの伝言も気になるがやはりミサリアの様子が少しおかしい。アラマンに会いに行くというのにいつものふざけた態度ではない。むしろ何か緊張しているようにも見える。心なしか歩く速さもいつもよりかなり早い。家を出てから一言も話さないのも気になる。何か考えごとをしているのだろうか。
ウィステリアは、ミサリアは普段はふざけているが、いざという時は頼りになる族長だと知っている。自分はその跡を継ぐため、今は補佐として彼女を助けなければならない。そうやって今までもいろんな状況を乗り越えてきた。とは言っても剣士と魔法士との喧嘩の仲裁とか、魔法士同士の魔法の発明の権利についてだとかという内輪揉めばかりであるが。
「お母さん、どうしたの? 何か緊張してる? 先生に会えるんだからもっと嬉しそうにしないの?」
「ウィステリア。たぶん、だけど何か嫌な予感がするの。アラマンが直接私のところに来ないでカウベルを寄越したでしょう? 今まではそんなこと一度もなかった。必ずアラマンは自分の口から私に報告をしてきた。――恐らく今回は『私のところに来るより重要なこと』があった、もしくはその可能性のある何かが起こったのよ」
「だから、誰かが外に出たかもしれない。それだと一大事じゃないかな?」
「いや、それだとアラマンや他の魔法士たちで対処できるし、あとから報告に来ればいい。同じようなことは過去にも一度だけあったわ」
「そんな、じゃあお母さんは何があったと考えているの?」
「外からの侵入者…‥いや、来訪者といったところかしら」
「外から……そんなことって。外に人間なんているの? このドラゴンのいる世界で」
「あら、確かに聞いたことないけど。ただ知らないだけなのかも知れないでしょ。私たちと同じようにどこかで生き残っている人たちがいてもおかしくはない」
「そうだとしてもどうやってここまで来たっていうの? 外にはドラゴンがいるじゃない。ドラゴンを倒してきたっていうの? それともたまたま見つからなかっただけ? そんなの信じられない」
「そうね、私にも信じられないわ。だから半信半疑なんだけど。でも何となくね。アラマンの焦りがこっちにも伝わってきたっていうか」
ウィステリアには到底信じられなかった。ミサリアは考え過ぎだ。ドラゴンがいる世界を旅して、ここまで来たというのだろうか。
人間なんてどれだけあがこうが、ドラゴンからしたらただの活きのいい食材でしかないはずだ。どんなに努力してもドラゴンには勝てっこない。ドラゴンは見たことないが、それでも伝え聞いたことから考えると誰にでも分かる。――でも、自分たちの魔法や他の何かの力でドラゴンに対抗できる手段があるとしたら……。
いや、そんなことはあり得ない。そんな希望を抱いてはいけない。そんな希望をヨナが知ってしまったら、彼は外に向けて走り出してしまうかも知れない。彼をそんな危険に晒してしまってはいけない。もしそうなったら私が止めなきゃ。
ウィステリアがそう決意を固くしたところに、ふと後ろから声をかけられた。
「ウィステリア、外から人が来たってどういうこと?」
フロワが後ろから近付いてきた。
「わっ、フロワ。どうしたの? こんな時間に」
「あら、フロワちゃん。おはよう。もしかして会話が聞こえちゃったかしら?」
「どうしたもこうもないわよ。あっ、ミサリアさんおはようございます」
「今忙しいから、あいにくあなたの相手をしている暇はないの」
「いや、さっきまでの会話聞こえてたんだからね。あれを聞き流せるほどのんきじゃないわ。」
「だからどうしたっていうの? まさか付いて来るつもり?」
「うん、付いて行くつもり。だってお兄ちゃんが今朝出かけてから帰って来ないんだもん。いつもならとっくに帰って来てるはずなのに。どう考えてもそっちの状況に巻き込まれていると考えるのが普通でしょ」
「ヨナが!? それ本当?」
「本当よ。ロクミル草の採取に行ったきり帰ってこないのよ」
「どこに採取にいったの?」
「東門付近の生息地よ」
ウィステリアは焦った。ヨナが巻き込まれている。東門付近に行って家に帰って来てないことから考えたら、それはかなりの高確率だ。もし、もし外からの来訪者だとしたら。ヨナは目を輝かせているに違いない。
だが、その来訪者たちはこちらに友好的とは限らない。それはいろんな意味であまりにも危険過ぎる。
「ごめん、お母さん。先に行ってるね。――『風よ、舞い上がれ!』」
「もう、そそっかしい子ね。ごめんね、フロワちゃん。愛想のない子で」
「ウィステリア! 待ちなさい! ――『風よ、飛べ!』」
二人は風魔法を使って飛んで行ってしまった。ミサリアはあんな簡素な詠唱で風魔法を難なく使いこなす二人を見て、ため息を漏らすとともにたくましさを感じていた。自分も急がないといけない。
でも風魔法を使おうとしても走りながらでは上手く詠唱ができず、使い物にならなかった。ミサリアは魔法を諦めて自分の足で東門まで急いだ。
「さすがね、我が爪痕屈指の天才少女たちは」