0 プロローグ
この地はドラゴンの愚かな行為によって荒廃していた。ドラゴンはその強大な力でこの地を支配し、他の種族たちすべてを食糧として喰らい尽くしてしまった。
餌を失ったドラゴンは今度は同種族たちで争い始め、お互いを食糧として喰らい合った。争いは年々激化し、やがてドラゴンは数を減らし始めた。
だが、そんなドラゴンの脅威から奇跡的に逃れることができた種族がいた。ヒト族である。ドラゴンからすると、ヒト族は最も弱く矮小な生き物であるため、わずかに生き残っていたことに気が付かなかった。
ヒト族の生き残りはドラゴンが戦いの中で残した『龍の爪痕』と、のちに彼ら自身で名付けた場所に逃げ込み、隠れ住むようになった。ドラゴンの脅威に怯えながら。そして、ドラゴンがこの地からいなくなることを願いながら。
ドラゴンの爪は山をも切り裂く。切り裂かれた山は原型を留めることなく崩れ落ちるが、引き裂いた跡が奇跡的にそのまま残っている場所があった。それが『龍の爪痕』である。
ヒト族は弱く、ドラゴンに見つかると瞬時に食べられてしまう恐れがある。ヒト族の生き残りたちは、ここで身を隠していれば、難を逃れられるかも知れないと期待した。どうせ天地がひっくり返っても力では勝ち目がないのだ。もう後がない。彼らは神にすがるような気持ちで、そこに隠れ住むことにした。そこには僅かではあるが森の恵みと川の恵みが残っていた。彼らには僥倖だった。
そして「爪痕の外には出てはならない」という絶対の掟を硬く守ることを誓い、生き延びる可能性に賭けた。
それからドラゴンに襲われることなく、二百五十年の年月が流れた。
その男は今にも意識が飛んでしまいそうになっていた。オットー山脈の麓の森に入り、あの魔獣からはなんとか逃れることができた。森に入ってしまえば、あの魔獣はここまで追いかけて来れない。しかし、魔獣の鉤爪を受けてしまい、彼女に治療してもらったばかりの傷がまた開いてしまった。
その彼女は魔力が切れてしまったのか、男の背中で意識を失っている。男は彼女を死なせるわけにはいかなかった。目的の場所はこの辺りだろうか。そろそろ到着してもおかしくはないはずだ。早く見つけないと。もう自分の意識が飛んでしまいそうだ。ぼんやりとした意識の中で景色を追っていると、ふと不思議な岩の裂け目を見つけた。
なんだこれは。かなり大きい。明らかに不自然かつ巨大な岩の裂け目が男の目の前に現れた。森の木々に囲まれて隠れているが、よく見ると山肌に大きな裂け目が見える。そして、ふとそこに懐かしい匂いを感じた。
まさか、こんなところに。だが男は生き残る可能性をここに賭けることにした。もう自分の意識はあと少ししか保たない。男は最後の力を振り絞って、その岩の裂け目に向けて一歩を踏み出した。