一方その頃タヌキは
少年たちが担ぎ込まれた治療室はまさに別種の戦場とでもいうべき状態になっていた。
少年たちを一人一人ベッドの上に置いていくのはタヌキだったが、なにしろ凶暴化したものたちだ。
一度タヌキがベッドの上にスライムに包んだままおろし、手足と胴体をベッドに括りつけてから治療を始めるような対処がとられていた。
「次いくぞ」
「はい」
まだ意識を失い、疲れ切っている状態ではあるが油断はできない。
体の中心部から膝、肘までをスライムで覆ったままベッドに降ろし、担当者が保護の布で巻いてからようやく拘束が入る。
ロープで動きを阻み、看護しやすく固定する。
胴体を留め、両腕両足を留めてようやく一人分。
それを九人ともなれば時間もかかるが、疑似的な水中に浮いている形の少年たちは体力がどんどん失われる。
一人一人をくるっと巻いているときとは状態が違う。
手早く、しかし潰さないよう、逃げられないよう、力加減が必要になる。
それでもなんとかその仕事を終えると、一人につき一人の衛生兵がついて治療を始め、またその状態をせっせと城の兵たちが書きとめる。
中毒の状態、傷の状態などで治療の優先度が変わる。
略語が飛び交い、看護者と記録者が行き交う中を、邪魔にならないようにタヌキは天井伝いに少年たちのベッドを移動していた。
意識が戻っているかを確かめ、戻っているならなにか言いたいことがないかを聞き取るために。
現在、もっともコーコーセーたちと接しているのはメイドたちだが、この聞き取りばかりはタヌキがしなくてはならない。
「……う」
「タヌキ様、こちらのコーコーセーが!」
「あんがとな! 行く!」
そのうち一人についていた衛生兵が、タヌキを呼んだ。
天井からスライム姿で降りてくるなり、タヌキは獣の姿に変わって少年に呼びかけた。
「わかるか? 自分の名前、いえるか?」
まだぼんやりとしている少年は、自分に話しかけているのが二足歩行の獣であることは思いもしないだろう。
あるいはろくに目も見えていないかもしれない。
「……なかた、はると」
「おう、はると、だな?」
オウム返しのその名を、記録者が書きとめる。
「なんかいいたいことないか? どこが痛い? 腹ンなか気持ち悪くない?」
「じょし、は……? ま、え」
「女子? 女子か? みんな無事だ」
「……」
それだけを聞くと、彼はまた気を失ってしまった。
それだけがとにかく気になっていたのだろう、己の状態よりも。
「……よしよし、ちゃんと伝えておくからな。こっちは毒の方が強いんだと思う。毒消し頼む」
「はい」
「タヌキ様、こちらも」
「わかった」
するりするりと天井伝いにタヌキスライムが移動して、次の少年のベッドへと移動する。
「どうだ? 名前はいえるか?」
「……みやけ、かず、ゆき」
「かずゆき。よしよし、よくいえたな。なんかいいたいことあるか? 痛い所あるか? 気持ち悪かったりしないか?」
「みんな、は?」
「おう、大丈夫だ」
「……きもち、わる」
「わかった。……こっちのは魔力酔いおこしてる。抜ける奴をあててくれ」
「はい」
一通り状態を確かめ、どっちが強く症状が出ているかを見ながら人員を当て直す。
本来は看護にあたるものがそれをおこなってもよいのだが、少年たちの異国風の名の聞き取りの問題や、タヌキの声を一度耳にした者もいるということから、安心感を与えるためにタヌキがその聞き取り役になった。
全員分終わり、少年たちが多少なりとも床で和らいだ表情を見せると、ようやくタヌキは天井から床に降りた。
「全員分カルテできたか? この間に容体悪くなってるやついないか?」
「はい。これで全員分揃いました」
衛生兵たちのなかの、この業務にあたる班長が返事をしたのに、タヌキはようやくほっとした顔を見せた。
「すまねぇ、後は頼んだ」
「はい」
「お任せください」
口々にいう衛生兵たちをあとにして、タヌキは仲間たちの集う部屋に向かった。
「そりゃまぁ、当然だろうな」
コーコーセーたち以降の、凶暴化をおこした人間は見捨てる。
その決定を聞かされても、タヌキはうなずくだけだった。
意外と言えば意外だと、言った方がめんくらう。
なにしろタヌキは今までこの世界の『勇者』役たちに対しても一度は降伏をすすめてきた。
一度ならず二度もだ。
敵対すれば容赦はしないし、相手を確実に倒す手段をためらいもなくとるが、ニンゲンたちに対しては割と同情的ですらあるというのが、彼らのタヌキ評であった。
それだけに驚いた。
その雰囲気に気づいたのだろう、タヌキが鼻をひくひくとうごめかした。
「……俺は別に、ニンゲン全部が好きなわけじゃねぇよ。うん、コーコーセーたちは同郷だし、攫われてきたんだし、あいつらはどうしても助けたかった。けどなー」
タヌキの声が低くなる。
「あの契約書、見ちまったらなぁ……最初からこっちを完全に……なんてか、虐殺するつもりの文面だったろ? あっちのニンゲンは頭っからそのつもりでさ、こっちを殺してトーゼンってのはな」
許せねぇ、と鼻息も荒くタヌキは宣言した。
「俺はこっちのヒトたちが好きだし、『魔王』のことは助けてやりてぇ。天秤に載せるまでもねぇよ。……そいつらが、どんなにかわいそうでもな」
完全に『魔王』の側に立つという実にあっさりとしたそれに安堵したのは、他でもない『魔王』……では、なかった。
『魔獣様』『タヌキ様』の実力を知ってはいても、その根底にある甘さを危惧していたものたちの方だった。
同情ゆえに見捨てることに反対された場合、どうしようもなくなってしまう。
それがなくなったと。
そこからは件の情報の受信を人魚たちも受け持つことなどの報告が入り、タヌキからも少年たちへの対処が終わったと報告が入った。
読んでいただきありがとうございます。




