遠景:一班 萩のはなし
地下の魔法陣が発動したと教会では大騒ぎになった。
もしや先行したコーコーセーたちが戻ってきたかと武器を手に手に押し寄せた男たちが見たのは、ぱんぱんに膨らんだ大きな袋。
なにかを観察する間もなく、それは順番に大きな音とともに破擦した。
吹きだした白い煙のようにふわふわしたものに、それなりに知識のあるものは慌てて魔法陣に背を向けて走り出す。
ばん! ばん!
続けざまの音と炸裂に、何も知らないものたちも慌ててその後を追いかける。
先に逃げたものたちは扉を閉めようとしていたが、押し寄せるものたちのほうが多かったがためにかなわず、もみ合いになりかけたその頭上を、白いもやもやはすり抜けていく。
煙のような、しかし幽かではあっても実体のある物体は、扉をくぐりぬけるなり散った。
「それ」がなんであったか、正確に目視できたものはいなかった。
もちろん、「それ」をつかまえようとしたものもいたのだが、あせればあせるほど、手を振り回せばそうするほどに、生まれた風に乗って「それ」はばらばらに散り、高く遠く離れて行ってしまう。
さらには毒物や発火を警戒して自分から散らそうとするものもいる。
袋のようなもので囲い込めばいい、と誰かが気づいたときには捕まえられるほどの塊は残ってはいなかった。
そして散り散りになってしまえば、ひとつひとつは指先にも乗りそうな、蚊ほどしかない綿毛だ。
つかまえるどころか、目で追うこともできなくなる。
そして彼らにとって謎の白い「それ」は無くなった、ように見えた。
ただ、その尋常ではない様子になんらかの呪いめいたものを感じ、彼らは慌てて上長へと報告したのだった。
「魔物の国から毒の煙が流し込まれたそうですよ」
「まぁ怖い。やはり野蛮な国ですね」
ひそやかな、己につけられた女たちの囁きに、水野萩はそっと耳をそばだてていた。
自分の双子の姉である茅は先にその国に送り込まれてしまっている。
その上で音信不通というのだから、心配にならない方がおかしい。
誰としゃべることもなく、ただ一人というのは彼女には大きなストレスとなっていた。
孤高ではなく、孤独。
それも他者に強いられたものとなれば、現代の高校生には当然。
これが、この世界でそうあるべしと育てられたような少女であれば何の問題も無かった。
だが、そのことにこの国の人々は気づけなかった。
……『教女さま』をはじめとしたこの国全体への恨みがうつうつと降り積もっていることに。
ふぅ、と萩は小さなため息をついた。
どうせならその毒、大きく広がってくれていたらよかったのに。
そんなことを考えてしまうほどの闇を、萩は上手に隠してしまっていることにも……。
「で、新しい聖女様はどうしてるの?」
「ええ、おとなしくしてるわ。おともだちが大変ですものね」
少なくとも、彼女に聞かれてもおかしくないような距離で、こんな話をされてしまう程度には軽視されているのは間違いない。
新しい聖女様といったって、異世界の人間をこの国の人間は同等には見ていない。
聖女様などと麗々しく呼んでいようとも。
そのくせ彼女に課せられているのは、重要すぎる役割だった。
もうじき、夕方が来る。
おそらくもう少ししたら、呼びに来るものがある。
部屋の中に閉じ込められたままの彼女には、待つことしかできなかった。
ほどなく、萩は別棟の建物の、ひとつのベッドの横にいた。
「……」
「……」
横たわっていた少年の虚ろな目が萩を見上げて、寸の間視線がかちあったのに、彼女は無言でうなずきかえす。
ごめんとかすまないとか、そんなことに、いいのとか気にしないでと返す。
そのやりとりを簡略化したもの。
ここ最近、日毎に繰り返してきたもの。
会話ともいえないそれが、少女に許された唯一のおしゃべりだった。
無言のまま、萩はクラスメートの少年の額に手をかざす。
教えられたとおりに、手のひらに集中すると次第に掌が温かくなるが、それで少年の額にふれたとたんにぬくもりが一気に失われ、萩は体の芯まで貫くような寒気に襲われる。
代わりに、少年の顔色はよくなっていた。
それを見届けると、彼女は次のベッドへと連れていかれ、そこにいるやはりクラスメートの少年に同じ処置をする。
彼女は知らない。
最近まで彼女がここに呼ばれなかったのは、処置が進み……進みすぎ、また処置そのものも強化されてしまったことで、以前のような自然回復ではまったく間に合わなくなってしまったことを。
そして彼女が回復しなければ、少年たちは衰弱してその日のうちに……ということも。
それくらいこの国の人間が、高校生たちに施すものは尋常ではなくなってしまっていた。
あと八人……それは萩にとっての魔法の練習であると同時に、クラスメートの命を救うことである、そう伝えられている。
そして九人分の処置を終える頃には、彼女は夕食も摂れないほどの悪寒に苛まれ、ほうほうのていで寝床にもぐりこむ。
対して、クラスメートたちはなんとか宿舎まで戻り、夕食が摂れる……。
日中彼らに施されるの処置の苦しさに、彼らは昼食を摂れない。
そんなぼろぼろの状態でも、彼らはその繰り返しをやめることもできない。
魔王を倒すためだといわれても、高校生たちからしてみれば帰り道を奪われて、そうすることしかできないのだから。
がたがたと悪寒に震えベッドに寝転がる少女が考えるのは、一日も早く自分たちの番が回ってこないかな、ということだった。
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