鳥を見た 1
治水事業は周辺を含めて順調。
ため池の泥を掬うことで肥料を得、水深をかせぐことができれば、雨季の雨をよりおおく貯めこんで日照りに備えることができるだろう。
泥は乾かしてから畑に鋤きこまれ、来年以降の実りを増やしてくれることだろう。
また労務と引き換えの減税も効果を上げていた。
もともと上位五貴族の領地はやや税金が高めであったが、それは領地内の修繕などに使われるとされ、実際、下位五貴族の領地よりも道路などのインフラはそれなりに整っていた。
だがそれもそれなり、ていど。
国内でのインフラの整備の平均値を上げるのも、さほど苦労はしないだろう。
ある程度見通しがたったところで、『魔王』、四辺境伯、従者たちの揃った場でタヌキが言い出した。
「俺、この国の外を見てくるよ」
これに驚かない者はいなかった。
だが、反対する者もおらず、これにはかえって言い出しっぺであるタヌキの方があれ?という顔になってしまった。
「魔獣様が国ひとつ平定したくらいで大人しくなると思っていなかった」
こちら、マカール他二名。
「むしろいつ言い出すかと思っていた」
コア他一名。
「タヌキ様がおとなしくしているのはこっちの調子が狂う」
レオンシオ。
「次の手のために、行動をおこすと思っていた」
ウツギとアーリーン。
「タヌキ様なら外を見たがると思っていた」
『魔王』とシリル。
つまるところ、全員の共通認識として今現在この国でやっている仕事では、この魔獣が満足することは無いだろうし、自分ができることを求めて行動を起こしたがるだろう、という……。
「なんだよぅー! 俺がまるっきり、政治のことで退屈してるみたいじゃないかよぅー!」
そういってタヌキはますますマズルをとがらせるのだが、間違っていないことは本人、もとい本狸がいちばんわかっている。
「それに今は、国の事を任せられる、頼りになる仲間がいる。でしょう?」
やわらかく『魔王』に重ねていわれて、タヌキは両方の前足でぐしゃぐしゃと顔を擦った。
要は、タヌキ的にかっこういいことを言われて、照れくさくなったのをごまかしたのだ。
「それで、どのような日程で行動なさいますか? 雨期まではまだ少し間はありますが」
「とりあえず四日もらいたい」
その答えに目を丸くしたのは、四辺境伯だけではなくその場にいた全員。
竜の姿、あるいは馬無しの長馬車や鉄の芋虫で、四辺境伯の領地中心部まで三日。
その速度はこの国では驚異的なものなのだが、四日ではこの国の外に出られるかどうかだろう。
この国に『勇者』を送り込んでくるニンゲンの国は、海を挟んだ隣の国である……という話ではあるのだが、それも海岸からその姿が見えるわけではない距離だ。
「ニンゲンの街が見えるまでは、ジェット機で飛ぶ。かーなーり速いからな!」
フス、と鼻息も荒くタヌキは宣言した。
つまり、やる気満々だ。
「ジェット機は、すっげぇ速い鉄の鳥だ。一人乗りで、ええと、どれくらいだったっけ……ええと、六十を六十回数える間にこっから海の上まで行ける」
タヌキが言っているのは、一般的なジェット戦闘機の巡航速度である時速九百キロをもとにした大雑把な計算だ。
ジェット戦闘機は最高速度であれば実はその三倍以上の数字を叩きだせる。
だがそこまでいくと上手く例えることができない。
早すぎるのもあるが、この国の外を知らないので、距離をどこからどこまでと表わすことができない。
だがその大雑把なものでも、その場にいた全員を押し黙らせるには充分。
「……はー……タヌキ様の世界の乗り物はなんでもかんでも速いたぁ思っちゃいたし、そりゃ飛ぶ方が速いってのは知っちゃいたが、」
レオンシオが沈黙ののち、深々とため息をつく。
「それにしたってなぁ」
今までの乗り物、あるいは移動方法とは、文字通り速度としての桁が違う。
その大きなため息は、全員が心の中でこぼしたものでもあったろう。
「まぁでもさ、あっちを立てればこっちがって奴でさ、先に行った通りに一人乗りだし、しかも訓練とかしてないと中で失神しちゃうんだ。だから今回は一匹で行かせてくれ」
パフンと音をさせて、タヌキが前足の肉球を合わせた。
おねがいとか、おねだりとか、そういった仕草なのだろうと意味はくみ取れる。
「わかりました。……今、この国は外の情報を得られません。外の情報を得られるなら僥倖でもあります。でも、くれぐれもご無事でお帰りください」
「おう。で、心苦しいんだけどさ。……また勇者きたら、捕まえておいてくれないか?」
□□□
簡単に引継ぎを済ませたタヌキは、その翌朝早く、中庭に立った。
あまり騒ぎにならないようにと早い時間を出立に選んだというのに、たまたま見かけたもの、あるいはヒトの気配に起きだしたものが、中庭にこそでてこないものの、次から次へと窓際に姿を見せる。
「じゃあ、できるだけ早く帰ってくるからな!」
その様子にタヌキは苦笑しながらも、大きく前足を振って、どろん、と小さな鳥に化けた。
茶色の姿はぐんぐんと上を目指して飛んでいき……小さな点すらも見えなくなったころ、空高く一回り大きな点が広がった。
まっすぐな白を空に引きながらそれは動き出す。
しかしタヌキのいっていたような速度には見えない。
「……あれ、どれだけ高い所にいるんだ?」
気づいたのはレオンシオをはじめとする、空を飛ぶ者たちだけ。
白い線を引きながら空を行く点のような……タヌキいわくの鉄の鳥が、地上においてはどれほどの大きさかを彼らは知らない。
おおよそ高度一万メートル。
この世界において、雲以外なにもない場所をタヌキジェット機は飛んでいった。
読んでいただきありがとうございます。
人間から見たら怪鳥でしょうねぇ、ということで。




