近景:三班 初穂のはなし
志水初穂は、捕虜になってからも一切魔王の兵たちにもメイドたちにも、気を許すことはなかった。
「帰りたい」その一心で、彼女はそっと隠しもっているアイテムで、城の中の情報をそのアイテムの向こうへと送っていた。
……その向こうには、彼女の恋人が残っている。
『明日の自由時間におちあって、一緒に観光に行こう』、その約束は、あの日に失われてしまった。
その上、ろくに会話することもできなくなった。
男女は別棟の建物に分けられ、魔法使いとしての練習を積まされる彼女と、武器を持たされる彼とでは、姿を見ることもままならなくなった。
そんな中で出陣の噂が出た時に、初穂はあの女性―――この国の人間には教女さまと呼ばれていた―――に呼び出された。
渡されたのは、小さな指輪。
「ハルトさん、でしたわね。その方からですよ」
「温大、からの……?」
女性、教女はやわらかく微笑んだ。
それだけを見るなら、ほっとするような笑顔といえるだろう。
「ええ、これをあなたの御守りにするようにと。そして」
だが甘い……甘ったるい声が、何か初穂に警戒心を抱かせた。
「申し訳ないのですが、こちらに魔法をかけさせていただきました。これに、あなたの見たものを吹き込んでほしいのです。現在、敵方の情報らしいものはまるでなく……ハルトさんを生き残らせるためにも、どうか」
ちがう。うそだ。初穂の中で彼女自身の心が叫ぶ。
この指輪が恋人からのものだというのが、そもそも嘘だ、そう初穂は感じた。
そもそも彼女たちは付き合いたてで、彼女にいわせれば「指輪なんて重すぎ」の段階。
たぶんこの国には、指輪の風習はないか、別の形。
だからこの人は、自分が間違っていることに気づいていない。
だが「魔王の情報がまるきりない」というところは本当なのだろう。
うすうすは、そうではないかとは考えていたが、この時点で、初穂はこの人間が自分たちを利用する気でしかないと確信を持った。
そうとなればあのとき助けに入ったのも、こちらを信用させるため。
先生たちは、最初から殺して威嚇するためだった……そう考えられた。
だが初穂はいかにも嬉し気に指輪を受け取った。
互いが互いに人質になっていることを、聡い彼女はわかってしまった。
指輪の向こうにいるのは、少年ではないこともわかった上で受け取った。
お礼さえ言う彼女に教女が満足そうにしたのを見て、彼女は心の中で舌を出した。
『温大が人質というなら、私がまもってみせる』。
それは服従ではなかった。
静かな怒りさえも籠った、彼女の決意。
しかしそれを彼女はおくびにも出さず、はしゃいで見せた。
そして……彼女は相手の思惑通り、スパイのまねごとを始めた。
「魔王の城で、私たちが閉じ込められている場所は南の三階。飛び降りられないように、窓には格子もある」
閉じ込められた初日に、初穂はそう通信を送ったが、何も反応は無かった。
そのうち、魔王陣営に取調された少女たちが、出陣時に持たされていた装飾品を没収されるようになったが、彼女の指輪はその対象にはならなかった。
他の少女がもたされていたものが、割と大ぶりの品物だったからわかりやすかったのだろうと思ったし、彼女自身取り調べのときには指輪を部屋に置いていったのも功を奏したといえるだろう。
彼女はそっと、こまごまとした通信を続けていた。
確かにこの城の、魔王と呼ばれている陣営は、彼女たちを害そうとはしていない。
だが初穂は怖かったのだ。
半分が獣や爬虫類、それどころか二本足で歩く人間ほどもあるトカゲ、逆に四足の獣そのままの下半身の者、近づいただけで冷気が肌に刺さる白い女性たち、自分たちと接するのは容姿こそ人間に近いが、常に髪に花が飾られ、その匂いを纏う人々。
……これまでのことを考えれば、おそらく半身が花なのだろうと見当がつく。
であれば、自分たちとそう違わないように見えるメイドさんたちだって……。
初穂は、人間ではないものたちのただなかにいるのが、怖かった。
だから助けを求めるように、話し続けた。
□□□
「タヌキ様、娘の一人がどうやら品物を隠し持っているようです」
言外にどうするかと尋ねられて、タヌキは真顔でウツギへと向き直る。
「てことは、通信してる自覚があるってことだな」
「ええ、持っているだけではなく、話しかけていましたので」
その上でウツギが直接自分に行ってきたということは、『魔王』には話していない、話さなくても良いと彼が判断したことだとタヌキは悟る。
地球のニンゲンのことを任せてくれているのだと。
これがこの世界のニンゲンのことであったなら、その娘はとっくに始末されている。
「今、あの娘たちにメインで接触してるのはメイドさんたちだから、大した情報が持っていないと思う」
異世界の勇者……十人の少女たちは軟禁状態ながらも、兵の付き添いさえあれば外を見られるようにもなった。
うちとけて、同年代のメイドとは会話をするようにもなった。
彼女たちは自分たちの知るお菓子のレシピを伝え、逆にメイドたちからこの世界……というよりもこの国の事を教わっているようだった。
とはいえ、メイドたちの知る世界は狭い。
この国の中でも、城下町くらいまでだろう。
農村の事も、四辺境伯領のこともメイドたちはよく知らない。
……だからこそ、そのおしゃべりは咎められることもなかったのだが。
そこへの、一人の少女の明白なスパイ行為だ。
「ほんとは放っておいてもいいと思うんだけど、でも」
タヌキが表情を改める。ぐっと、真剣なものに。
「部屋を抜け出そうとしたり、もっと他の所に行こうとしたら、俺が止めるよ」
情けをかけるのは、一度きり。
その声に、ウツギは静かに了解のうなずきを見せた。
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