三度目の『勇者』 4
これからのロードマップとでもよぶべき大まかな計画、通常通りの国の運営、夏を迎えるにあたっての環境や病、日照りの対処、それから魔法陣の研究。
一人前の年頃といったって、『魔王』とシリルは一人前以上に働いているのは間違いないだろう。
不意に訪れた数時間の休みは、かえって疲れを自覚させる程度のものだったかもしれない。
だが、タヌキの『夢物語』は栄養剤として働いてしまったようであった。
羊皮紙にせっせとこれからしなくてはならないことを書きだしながら、時折二人は顔を見合わせて、ふふと年相応の笑いを浮かべる。
思えば、『魔王』もシリルも物心つく前から、叔父である先代魔王の背を追い、あるいは御家再興を考えていた子どもたちであった。
大きな目標はあるにせよ、大きすぎる目標は足掻いて足掻いてその端を掴めるかどうかだ。
やっと掴めたからこそ、タヌキの語る夢物語は効いた、ともいえる。
なんといっても、タヌキの化けたものとはいえ、二人は馬無し馬車も長馬車も、それがどんなに速いかも知っている。
今までだって知っていた。
だが断片的なものではなく、そういうものが普通である世界があると知った。
嘘は百の誠実に染みをつけるが、一つの実在は百の夢に手触りと重み……リアリティーを与える。
「有る」は「できる」だ。
夢を見る。それも同じ夢を見ることを知ったといえる。
その夢に近づくための道のりと、「しなければならないこと」をとらえ直すことができた。
それは、励みだった。
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「今年の夏は、冬の気候からして猛暑になる可能性が高いです」
「早めにため池などの改修を進めておくのをおすすめします」
メリンダの説明に、バイロンも続ける。
パール家はもともと気象に明るく、ユークレース家は治水に詳しい。
この二家から情報を吸い上げることで、マーロー家はこの国の一次産業を牛耳ってきていた。
農具や土壌の改良などはマーロー家の領分ではあるが、技術を寡占していたことにより、本来三家での合同であった一次産業の利益をかの家は独占に近い状況でもって行っていた。
三家分ともなればマーローが富むのも当然だろう。
同様にダイオプサイトは鉱山や鉱石の利権をサングスターに吸われ、ワイズマンは魔法技術をナイセルに、ガーネットは本来分担していたものであった印刷事業を奪われていた。
ガーネット家に至っては、もはや残るはシリル一人きりで、吸い尽くされた残骸とさえいえた。
だが上位五家はもうない。
「日照りの前に池の土を浚うか。あれは養分にもできる」
一般的なヘドロとは違い、有害物質を含まない泥だ。
地球のものでわかりやすくするなら、ナイル川の氾濫が流域の土を肥えさせエジプトを富ませたようなもの。
痩せた土を回復させるには、休みを与え栄養を与えるのが一番だ。
「一旦乾かしたりしないといけない。休耕地を使おう」
「深みであれば、わがエルア家が人手を出しましょう」
元々四辺境伯家の兵は、専任の戦闘員ではない。
そういった仕事もできるのが普通だ。
「しかし池は多く点在しているから、コア殿にお願いするのは重要な所だけでいいだろう。他の小規模な村の池は、その村に水を全部抜くように指示するのは?」
「雨季はまだですから、水を貯めるのは間に合いそうです」
「労役が増えれば不満が出るだろうな、どうする?」
「今年は余裕が出そうだねぇ……。税を減らそうか」
「どれほど?」
「大まかな計算でよければ、一割までは許容範囲。ただ、八分までにして、万一日照りの被害が大きければさらにそこまで減らすことにした方がよさそうだねぇ」
事務方の手元で、どんどん処理が進んでいく。
前の帳簿関係のときみたいだと『魔王』は思う。
今はシリルも堂々とその「戦列」に加わっている。
実は書面でもこの会議の内容は知らされる。
結果を見るにはそれで充分だし、「よきにはからえ」実施時には、そうしていた。
それでも『魔王』がその場にいるのは、話の流れを自分で見たいから。
国を豊かにすることだからと、食堂での夕食時の会話のように現場を知るために。
若すぎる『魔王』に一番不足しているのは経験であると、彼自身が思い知っているゆえに。
実際に何かできるわけではないが、何をして、どういう流れにしているかは、わかる。
彼はその『理解』が欲しい。
「おう、おつかれ!」
粉茶の壺を抱えたタヌキを先頭に、茶碗や湯の入ったポット、菓子鉢を載せたワゴンを押すメイドが入ってきた。
タヌキはタヌキで、城の働き手たちの間をなにくれとなく見て回っていた。
ときには手伝いの名目で、こんな風にちょっかいも出す。
「新作の焼き菓子だから、感想聞かせてくれよな!」
その壺から粉茶を茶碗に入れながら、タヌキは菓子鉢の方を示した。
その入れ物……これは正確には鉢ではなくて、日本でいうところのお重。
二段重ねの入れ物は、すでに上下に分けられて二種類の中身を見せていた。
上に入っているものは、大きな豆ほどの大きさの丸いものが、たくさん。
下に入っているものは、一見何の変哲もないような四角い小さなスポンジケーキ。
それがお重の底が見えないようにみっちりと詰められている。
だがその変哲の無さは、タヌキにうながされた『魔王』がその切り分けられ、詰められているうちの一片を持ち上げたときに裏切られた。
その断面は、鮮やかな山吹色。
しかも真ん中の一片であったそれの上下左右にあたる断面は、それぞれオレンジ色、緑、淡い黄色と、色とりどり。
表の焼き色はみな同じであるからこその驚き。
「野菜の切れ端や皮を蒸して、すり潰したものを混ぜました」
おそらくは運んできたメイドが、作った本人なのだろう。
紅潮した顔で彼女は言った。
「小さな菓子は、蒸しあげたクサノミを潰して伸ばしたものを、小さくちぎって焼き揚げたものです」
つまり、野菜ケーキと揚げ餅……に近いもの。
「タヌキ様のおっしゃったお菓子を、なんとかこっちでも作れないかと」
だからかと、『魔王』は紹介するタヌキの、なんともわくわくした、得意そうな顔……いわゆるドヤ顔に納得した。
どうやら、城の働き手たちに乗り物や建物以外の話をねだられた末に、この新作は生まれたらしい。
『夢』の手触りと、重み。
一足先に現実に現れた、小さな夢の形。
口に含んだそれからはちゃんと現実の、知っている味がして、『魔王』は小さく微笑んだ。
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