近景:暗闇と灯りの中で
牢に入れられたエドマンドは、正式な沙汰が下るまでそこに待たされることとなった。
死刑か、それに近いものであろうと彼は考えていた。
『魔王』の私怨が含まれているとはいえ、同じような境遇の者がどれほどいるか。
それを考えれば、城の使用人たちから、外へ外へと今日の情報が流されていくのは間違いない。
だがまだ謁見の間でのことは外には漏れていないようだった。
もしも漏れていたなら、城から少し離れた所にある街にある、五貴族の別邸は炎を上げているはずだ。
『悪』と定まったモノが、それまでと同じように扱われるはずがない。
息子のエドウィンは聡い。
自領に入りさえすれば、そうそう殺されることはあるまい。後は……
「エドマンド様」
影のように、女が現れた。
頭から目深に布を被り、手に鍵を持つのは彼の部下。
毒入り菓子を厨に流させた女だった。
「おお」
そうだ、こんなときにそなえて、彼は部下をあらゆる場所に入れていた。
開かれた牢の戸をくぐり、彼は先に立って歩き始めながら、この先の事を考えていた。
彼は助けてくれた女の事さえ、心から追い出していた。
だというのに、女はまだ影のように従ってついていく。
地下の牢から一階へ、集会所のある、かつて上位五貴族のみが立ち入っていたエリアへ。
城内はひどく静かだった。
一応、人の通るような場所は避けていたとはいえ、静かすぎる気もしたが、このチャンスを逃すまいとエドマンドは進んだ。
「エドマンド様」
再び女が、前方のエドマンドに声をかけた。
「このような静かな夜でしたね、貴方様が私に情をかけられたのは」
「そうだったか?」
振り向く事さえせずに、エドマンドは応えた。
おや、同情を引いてついてくるつもりかと。
そうではない。
前触れもなく、女は体ごとエドマンドにぶつかってきた。
その手の細身のナイフは、女を侮っていたために、簡単にエドマンドの体に突き立った。
「……ははっ、父さんの、父さんの……!」
振り向いた彼の前で、女は見開いた目からぼろぼろと涙をこのしていた。
そうだ、この女は、と彼は思い出す。
父を亡くし、寄る辺を失って途方に暮れていた所を、美貌から拾い、そして手を付けて忠実な部下として……
この女も、そうだった。
この女も、彼がそういった……逃れられぬ苦境に追いやった一人だった。
だからだったのだ。
暗殺未遂の共犯の一人ともいえるこの女が自由に動けるのも、鍵を手に入れていたのも、すべては復讐のため。
この女を使えば、『魔王』の側は誰一人手を汚すことなく、エドマンドを葬れる。
しかも『女に復讐された』という汚名まで彼に負わせて。
泣きながら女は走っていく。
エドマンドは壁に肩を預けて、少しずつ前に進んだ。
あの裁きの場からの連行後すぐの投獄だったため、正装のまま。
幾枚も布を重ねた服が血に濡れて、重い。
だが集会所まで行きさえすれば……。
よろけたエドマンドを、横から手が出て支えた。
「さぁ、もう少し。トバイアスは先に行った」
「ああ」
唐突に現れたオリヴァーの姿に、そういえば従者役があの場には揃っていたと思い出す。
当主以外への監視が緩くなっていたのだろう。
「ユーニスは見捨てるしかなかった。お前さんは運がいい」
行く先が、エドマンドが目指していた場所と同じであったことに、彼は安堵した。
あの部屋にはいくらかの蓄えも置いてある。
少なくとも一度、あの謁見の間で覚悟したような死の有様は逃れられるだろう……。
◇◇◇
「そうなるだろうなとは思っていましたが」
ウツギの偵察用綿毛、魔力を帯びたそれは落ちることなく、城内を漂って彼へと情報を送る。
ほとんどの場所のものは魔力感知のみだが、要所要所には音を伝えるものも配置してある。
先ほど、そのうちのひとつが牢から脱出するエドマンドを、また別の一つが用意されている部屋から抜け出すオリヴァーとトバイアスを見つけた。
つぎつぎと移動していく道筋を見ていれば、同じ城内の一角を目指して進んでいるようだった。
その途中でエドマンドが刺されたのは計算外だったが、オリヴァーが助けに入ったのもまた計算外、結果元通りとなった。
そのまま二人は双方ともに目指していたのだろう場所へと進んでいった。
上位五貴族が専用エリアとしていた、『魔王』たちがかつて調べられなかった部屋へ。
「恨まれるってな、こえぇな。……どうする?」
「ひとつ、付いていかせましょう」
レオンシオに問われて、ウツギはツイ、と指先を動かす。
兵舎の一角ではなく、彼らは今『魔王』の私室にいた。
エドマンドの失脚があってすぐ、この天井裏にいたネズミは逃げ去っていたし、城内の使用人も何人もがいなくなった。
アンカーソンの手下だったのだろう。
従者という名の生贄を選ぶくじびきでのイカサマは、彼らから忠誠を喪わせるほどの外道だったということだ。
そのうちの一人、エドマンドの部下が、どういうわけだか『魔王様に』と残していった物があった。
箱に封じられた、日記のようなもの。
中身は、タヌキがシリルに頼んで探してもらっていた、九十五年前の現場の記録。
九十五年前、上位五貴族の先祖のみが魔王城の戦いで生き残ることができたという話の、当時の真相だった。
実際には、下位五貴族の者たちが抗戦していたというのに、上位五貴族は裏から人間たちを招き入れ、全滅させたというもの。
死人に口無しとはまさにこのこと。
……当時、隠されて生き延びた子どもが拙い筆で書き残したものであった。
隠されたということは、この子どもは下位五貴族のどこかの子であることも考えられ、この記録を上位五貴族筆頭の手の者が残していった……記録が隠されていたということは、その子どもも、ということもまた、考えられる。
始末せずに残したのは、もしかしたら何かあった時のための保険としてか。
『これ』が本物と断定できない以上、公表するかはまだ決まっていないが、その前に五貴族の一族の末端までへの沙汰をも定めねばならない。
さもなくば、女子どもまで含めた一族郎党なぶり殺しなどという暴走が起こりかねないことがらであるからだ。
『魔王』は今、その調整のためにシリルたち五人と話し合っている。
そして今、ウツギたち四辺境伯は上位五貴族が立ち入りを禁じていたエリアで何が起きるのかを観察している状態だった。
彼らが何をしようと放っておくことと、タヌキとの約束もある。
たとえそれが、彼らの国外逃亡であろうとも。
―――もうあいつら、どーでもいいや。国内じゃなぁんもできねぇし。
利用価値無しと言ったタヌキの本心が那辺にあるかは、ウツギたちにも掴み切れていないが、もし本当に何かあれば、ためらいなく動くことは知っている。
その間にもオリヴァーとエドマンドは、集会所の部屋の中へと入って行った。
綿毛の感知能力が、そこによく知る反応があるのを伝えている。
「ああ、やはり魔法陣があったようですね。感知からして、前の巣のものと同じです」
「こうなってしまえば、国外に逃げる方が安全ではありましょうな」
手を出さない、追わないと決めている彼らは、ただ見守るだけだ。
いくばくかの荷物とともに、すでに部屋に潜んでいたハリエット、トバイアスも含めた四人が消えたのを確かめて、監視を終わらせる。
『当主たちは一族を見捨てて、自分たちだけ逃げ出した』。
この事実があれば、残る五貴族の一族郎党を崩すのは易いだろう……。
読んでいただきありがとうございます。
この話で、「国内平定編」はおわり、次回より「生贄勇者編」となります。




