もうひとつ イカサマくじびき
ヒトの拳がようやく通る大きさの穴に、エドマンドは手を入れた。
指先に感じる、小さな円盤の感触。
黒。 黒。 黒。二分の一。
指先で一枚だけつまんで、出す。
……赤。
「赤だなぁ」
ひゅっと息を呑むエドマンドの前で、のんきに獣はいう。
「んー……、あと四回、ひいてもいいぞ?」
「は?」
「あ。別にいいってんなら、俺は困らないしさぁ」
「やる! 引く!」
九分の五、……赤。
八分の五、……赤。
七分の五、……赤。
六分の、五…………赤。
黒が当たる確率は一枚ごとに上がるはずなのに、入れた五枚の赤駒が、全部出た。
「はい、残念」
獣は箱をひっくり返してみせた。
中から落ちてきたのは、全部黒の駒。
「お前も、ダメだったなぁ」
ぽそり、獣の呟きが何を意味しているか……。
ハリエットはまだ見つけられていない。
ユーニスは牢に入れられているという話だが、姿を確認した部下はいない。
オリヴァーもトバイアスも、その子やその母とともに監査を受けているという話だが、その詰めている部屋はどこなのか。
自分以外の上位五貴族の、あの部屋のメンバーの行方を、エドマンドは知らない。
たとえば、目の前の獣が文字通り彼を頭から食らってしまったとしても、ここにいる者たち以外エドマンドの行方を知る者は無くなるように。
今思えば、もしや獣が助命を言い出したのはそういう意味であったのでは?
単純な暴力……武器でも魔法でも、この獣に太刀打ちできないのをエドマンドはよく知っている。
凍ってしまった彼に、フス、と獣はひとつ鼻を鳴らした。
このとき、横からはまったく違う光景が見えていた。
盆を持ち出してきたタヌキは、その上に木製の小さな円盤を五個、ばらまいた。
後から同じものを、同じく五個。
そして盆ごとぐるぐる回す。
それを見ていた者にも、何をやっているのだかわからない。
少なくとも、タヌキが口にする「くじびき」ではないだろう。
だがエドマンドは、盆の上からまっすぐ手を降ろし、中の一枚をつまんだ。
どれもこれも同じ、木の棒を輪切りにして作ったような小さな円盤。
一枚引くたびに、エドマンドの顔色が悪くなる。
全部同じなのに。
「はい、残念」
タヌキが盆をひっくり返し、残りの円盤が床に落ちる。
そう、イカサマだ。
タヌキは自分でも化けるが、ヒトを化かすこともできる。
最初にエドマンドの顔を注視していたとき、タヌキは彼の眉毛を数えて、化かした。
元より、物を別の物に見せたり思わせたり、五感を狂わせるのは狸や狐の十八番。
そして騙されない用心としての「眉唾」は、狐狸のいないこの世界では技術そのものが生まれなかった。
「お前もダメだったなぁ」
化かされたエドマンドばかりが凍り付いている。
そしてタヌキはひとつ鼻を鳴らした。
「おーい、アレ持ってきてくれ」
呆然とするエドマンドの目の前に、見覚えのある箱が出された。
十年に一度しか使われない、くじびきの、……
「ちょっと見やすくすんぞ!」
そしてタヌキは、箱の蓋をはずしてみせた。
それから、四つの側面をぱたぱたと倒して分解する。
箱の「開き」、もとい箱の展開図が実物でできあがる。
「これ見たときからさー、たった十個のくじ入れるだけなのに、妙に長いのが気になってたんだよな。で、この通り」
箱側面の裏、つまり箱の内側は黒く塗られているが、よく見ると下部の一部に別素材の板が貼られている。
二枚重ねの合板といったところか。それが四枚。
「んで、くじの駒。俺のは木でできてる。こっちはもっとゴージャスに、木枠にはめられた石の円盤。赤は瑪瑙でできてるっぽいな」
きれーだよな、などと言いながら、タヌキはおはじきよろしく、十個の駒をその側板の上に置いて……側板を斜めにした。
滑り落ちていった五個は赤、別の板のところで止まっている五個は黒。
「こっから下は、磁石。五個の黒は、くっつくように鉄板を黒い石で挟んでるみてぇだ。赤と同じ重さになるように調節してるのは手が込んでる。単純だけど、よくできてるよ」
よく混ぜれば黒は箱の内側に張り付き、赤は箱の底に落ちる。
縦に妙に長い箱は、手を入れた際の腕の動きを悟らせないためと、「底」にあるくじの駒が少ないのを見えにくくするため。
「さて。これが本物であるかは、お前が一番わかってるよな? なんなら、誰か倉庫に確かめに行ってもらってもいいぜ」
しん、と静まり返った空間に、タヌキの声だけが響いた。
だが次の瞬間、後ろから声が複数あがった。
「自分がいきます!」
「いいえ、私が!」
ここにいるのは『魔王』とタヌキ、『四天王』役の四辺境伯、『従者』役ともう一人の下位五貴族の代表のはず。
彼らは『魔王』と並んでエドマンドの前にいる。
後ろから声がするはずはない……。
エドマンドはそっと後ろを振り返った。
ヒト、ヒト、ヒト……謁見の間は、『魔王』と『勇者』の戦いの場。
剣もハンマーも、なんならハルバードや槍などの長物も振り回せるように広く、天井は高い。
そう、詰めれば後ろ半分に、この城の使用人のほとんどが入れるほどには。
そしてここは一階にある。
窓の外には兵士たちが詰め寄せていた。
ことここにいたって、わざとらしいまでの『魔王』の態度も、タヌキの演出も、ひとつにはエドマンドを糾弾するためであったのだろうが、もうひとつ。
前方にエドマンドの注意を向けさせ、観客を招き入れるためであったのだ。
彼らは『魔王』の告発の証人。
そして同じ被害者でもある……。
たとえば今ここで、本当にエドマンドがタヌキに頭から食われてしまっても、彼らは口をつぐむだろう。
そう思うほどに、彼に向けられる視線は刺々しかった。
エドマンドは文官である。
荒事はすべて、彼に従う者たちの仕事。
多少の武術の心得はあるが、後ろにいる者たちが一人一つ石を投げただけで、彼は容易く死ぬだろう。
「エドマンド・アンカーソン。何か申し開きはあるか」
四方から殺気にも近い怒気を向けられ、エドマンドは顔色を失っていた。
そこにあくまで淡々とした『魔王』の声がかかる。
今の彼にとって、その声は慈悲深くさえ聞こえた。
本当は、そんなことあるはずないのに。
「私は、……何も、ございません」
だが今殺されるよりはと、エドマンドは額づいて服従の姿勢を見せた。
「……連れて行け」
やはりこれも静かな声だった。
すぐに二人の兵がエドマンドを脇から腕をとり、立たせた。
上位五貴族筆頭が謁見の間を出ると、『魔王』の肩から力が抜けた。
「叔父さん……父さん……」
がくりとそのまま床に座り込み、しゃくりあげる少年にタヌキが駆け寄る。
抱き付いたその体を抱き返して、少年は泣いた。
年相応の姿の涙に、エドマンドの方を見るものは誰もなかった。
◇◇◇
こうして、今代の『魔王ディータイク』は隣国との折衝役として置かれていた貴族を粛正し、再度侵略の準備を整えた……と、人間側の歴史には残ることになるのだろう。
『魔王』側の歴史とは全く別の、はじまりのおとぎ話のように。
読んでいただきありがとうございます。




