城内に蠢く 2
ホラー風味の描写があります。
今日も朝から、朝食を終えるなり従者役たちは机に向かう。
先々代魔王のものと、先代魔王、そして今代の魔王の現在までの帳簿を照らし合わせて、一項目ずつ調べる地道な作業。
鉱山を掘る、……いや、鉱脈があるかどうかもまだわからない山を掘り進めるのにも似た作業であろうか。
そんなものを数字のわからない、とまでは言えずとも理解しきれていない『魔王』が手伝えるはずもない。
ひとまず顔を出し、休憩の時にはと厨房にお菓子―――と、いっても贅沢な物ではなく、甘みの足りないクッキーのような簡素な焼き菓子だ―――を持って行ってほしいと頼むのが、手伝いとしての関の山だ。
その間も、腕にはタヌキが渡してきたぬいぐるみを抱えていたのだが、特に誰にもなにもいわれることはなかった。
相手がシリルであるならわかる。
もしかしたらタヌキがあらかじめ、なにか話していたかもしれない。
アーリーンをはじめとした事務方の従者役の者たちも、シリルづてになにか聞いていたなら、ありえなくもない、くらいは『魔王』も思う。
だがすれ違うメイドや衛兵、下働きの者たち、誰一人として何も言わない。何も訊かない。
もし街に行ったとして、誰もぬいぐるみのことを訊かないんじゃないか?
そう『魔王』が考えてしまうくらいには、ちょっとこれは不自然な事態ではあった。
……逆に、これが本当はタヌキで、自分の目がどうにかなってしまったのでは?というところまで行きつきそうになって、『魔王』は慌てて首を横に振る。
懐の中のもの、つい昨日、ウツギたちが調べてくれた違和感のもとを、見取り図と比べて調べるという仕事が『魔王』にはあるのだから。
◇◇◇
時間は少しさかのぼる。
身支度を終えて出ていく『魔王』と、その腕の中の獣を見送って、「彼」は小さく息を吐いた。
ここから先は、交代要員の仕事である。
「彼」は自分の存在が一人と一匹に露見している自覚があった。
この仕事に置いて、自信を通り越した傲慢は禁物である。
だが、わかっていてもどうしようもできないだろう、という一種の安全圏に自分がいるという位置取りが、「彼」を油断させてもいた。
油断……敵地であれば絶対許されないものを。
だが、存在を気づかれてしまっていることを、いずれも報告には入れないと「彼」ばかりではなく「彼」らは決めてしまっていた。
余計な報告は、余計な仕事を生んでしまうものだ。
何かあったときだけ、報告すればよい……。
しかし、その油断ゆえに「彼」は己の背後でゆらりと立ちあがったものに気づけなかった。
天井裏は一種の裏道であり、表とは違う秩序で動いている。
本来、ヒトのいるべき場所ではなく、守られるべき秘密が暴かれ、そしてことによればそこから死の罠が降りてくることすらある。
そこを自在に動けるということは、それだけでこの城の普通の住人に対してのアドバンテージ。
だがその優位性は、一瞬で覆った。
つい先ほどまでこちらへと近寄ってきていた仲間の一人が、鈍い音とともにそこへ倒れたのを、そこにいた誰もが音で知った。
しかし誰も声はかけない。
この場所の下は食堂。
今はにぎやかな時間帯であり、下の者たちの耳には聞こえないだろうが、絶対ではない。
そこにいた者たちは、倒れた者を間抜けめと心の中で罵って、再び立ち上がるのを待っていた。
……うじゅるうじゅると、なにやら粘ついた音がする……。
全員がそっと息を殺したのは、本能と訓練のなせる判断だった。
なにがいるかはわからない。だが何かがいる……。
しかもそれが、外ではなく「彼ら」が長年支配してきた天井裏に。
板一枚下の、食事時の賑やかさが、自分たちの気配を覆い隠してくれることを願いながら、「彼ら」は身動きひとつせずに、ただその何かが去ることを待った。
その何かが去りさえすれば、ここから離れられる……そうしたら、何か適当な理由をつけて。
見捨てた仲間に対する罪悪感を覚える余裕は、今の「彼ら」にはない。
冷静であるように訓練を積み続け、これもまた冷静な判断ゆえの行動だったが……それと、内心の余裕とはまったく別であったのだと、「彼ら」自身が思い知らされた。
今はうじゅうじゅと粘ついた音がするばかりの暗闇には、天井板の隙間から漏れる光がところどころにある。
それを「彼ら」は灯りが使えぬ場の明かりとして利用していた。
そっと、布をその隙間に被せて光を遮る者がいる。
己の身を隠すはずだったそれは、しかし光もなく蠢くものにはなんの効果も望めないどころか。
「あ」
小さな短い声は、悲鳴だったのかもしれない。
下から漏れる光の中、奇妙に歪んだ仲間の姿がちらりと見えて、消えた。
大きく開けた口はなんの声も出せず、見開いた目は視線で助けを求めていた。
だが、誰も身動き一つせず、ただその姿が闇の中に呑まれていくのを見守った。
まるで見えない怪物が、二人を捕まえたかのような、そんな光景だった。
これがもし野外であったならば、正体のわからぬものに襲われ、生きながら攫われるということは充分にありえた。
だがここは、魔王城。
そんなこと、あるはずがない―――。
「こいつら貰ってくからな」
呑気な声が小さく響いた。
その声に「彼ら」は顔を見合わせる。
『魔王』の傍らにいるはずの、あの獣の声。
けれど人質をとるならば、なにか……そう身構えた「彼ら」に告げられたのは、そんな言葉だけ。
情報をよこせというならば、抵抗もできよう。
人質になんの価値も無いと言い張れよう。
だが捕まえただけで去っていくバケモノに、「彼ら」は正体がわからなかったとき以上の不気味さを感じた。
嫌な予感しかしない。
捕らえられた二人を待つのがなんなのかを、「彼ら」はぼんやりと悟った。
読んでいただきありがとうございます。
『ブロブ』(映画)はいいぞ!ということで