二組目の勇者 前
にわかに人間たちは色めき立った。
聞かされていた話と違うという声もあったが、目の前、すぐ手の届く位置に大金星がキラキラしているのだから。
その間に、そっとグラキエースたちが、次いでヘルバたちが、本物の『魔王』を後ろへとかばっていく。
「魔王! 十度目の封印を果たさせてもらうぞ!」
興奮は判断を途切れさせ、ただ目の前の獲物を狩る方向へと思考を集中させる。
「コア殿、もうひと頑張りいただけますかな?」
「任されよ」
「俺もいる。忘れるな」
その集中の前では、相手側のささやかでかすかなやりとりなど、聞こえない。
「おう、やるぞ」
三人の足元でも声がした。
すり抜けるようにして、茶色の毛皮が前に出る。
『魔王』の腕から抜け出たものであるらしい。
「いっちょ、揉んでやるよ。魔王とかラスボスっぽくな」
にやりと笑うタヌキの声は、ひそめていても「何か企んでいる」とわかる。
実際、何かしらを手のうちに隠し持っているのはあきらかだ。
叫びとともに斬りかかってきた剣士たち二人の前に走り出た毛玉が、一気に膨れ上がる。
毛皮は鱗になる。
愛嬌のある口吻は、ワニじみて伸び尖り、口の中には鋭い牙がぞろりと生えている。
首も伸びて、身体はがっしりと大きく太く直立し、後ろ足はそれを支えるように大きく太く。
前足にも後ろ足にも、ナイフのような爪が備わる。
「がおー!」
……いささか間の抜けた声であることは否めないが、突然出現したドラゴンというインパクトの前に、多少の欠点は消し飛んだ。
その変身を目の当たりにしても、剣士たちは止まらなかった。
元が獣、それも小さな獣だ。
上手くすれば突破できるかもしれないという期待があったのかもしれない。
それを許してくれるほど、タヌキはゆるくはないのだが。
ばつん、と弾けるような音がした。
振り下ろしたはずの剣は腹の鱗に阻まれ、そのまま腹でドラゴンは剣士たちを弾きとばす。
「……く、くくく」
こらえきれないような笑い声が、低く響く。
ふっとばされた剣士たちが、仲間にぶつかって、将棋倒しのようになったことも、あるだろう。
『封印行』に選ばれる者は、それなりに腕が立つ。そのはずだ。
それなのに、まるで子どもが遊んでいるような動きで吹き飛ばされたのだから。
「……レオンシオ」
咎めるようなウツギの声もまた、揺れている。
何をされたか、何がおきたか、どうなっているか。
それを理解した『勇者』たちから一斉に怒声があがる。
「がおー!」
一声吠え猛った(というには迫力の足りない声であったが)ドラゴンは、前列に立っていた人間たちの顔めがけ、水鉄砲よろしく水のようなものを吹きかけた。
「え?」
完全に不意を突かれた者たちは、次の瞬間顔を押さえた。
痛い! 焼ける! そんな悲鳴を上げてのたうちまわる。
「タヌキ殿、薄荷ですか?」
「正確にはあの毒を害が無いくらいに薄めたら、薄荷っぽくなったやつ」
漂う匂いにその正体を見定めたウツギとタヌキの潜めた声は、悲鳴の壁に阻まれて人間たちには聞き取れなかった。
さぁこれからと見開いた目に、そんな刺激物をぶちまけられて、平気で居られる者がいるはずもない。
慌てて彼らを後ろに下がらせる人間たちだが、その一発で半数が戦力外となってしまったことで完全に戦線が崩れた。
壁となるべき者たちはほぼ無力化。
それでいて魔王を倒すには、ドラゴンを、グリフケンタウロスを、リザードマンを倒さなくてはならない。
早く回復をとわめく声。ダメ、どうして解毒がという悲鳴。
なんでなんだよぉ!という戸惑い、いてぇという涙混じりの怒声。
十人分の声は、タガの外れたような大きさで、混乱がそれだけで伝わってくる。
「がおー!」
その中に、空気が震えるほどの一吠えをぶちこんで、タヌキは人間たちを黙らせた。
「逃げんなら、今のうちだぞ!」
勝ち誇るその声は、この場では人間たちには絶望的に聞こえただろう。
逃げようという声があがるもの当然のこと。
どこへ? 戻ればいい。でもさっき、今さっき。
喧々諤々。
意味のないうめき声もあるとはいえ、恐怖に呑まれたがために煩いことこの上ない。
「でも、戻ったら、……あんたたち、見たでしょ?」
その煩さが、止まる。
集団の中にたたずむ、魔法使いと思しき女の声で。
「ほぅ。戻れば罰されるか?」
低くおさえたウツギの声が、沈黙を呼ぶ。
年の功とでもいうべきか。
ウツギはその一言の効果を、あくまでも確認する口調で問うた。
半ばは確信しているがために。
「なるほど、魔王の首なく戻る腰抜けには、与えるものは死しかないというわけか」
「うるさい! 倒されるだけの役のくせに!」
ウツギの一言が、まだ健在な一人の逆鱗に触れたらしい。
だがその反論こそが、ウツギのみならずコアやレオンシオの逆鱗を「刺した」。
「タヌキ殿」
葉擦れの音のような、ささやかで、冷たい声にすべてを悟ったドラゴンの首が縦に少しだけ動いた。
……元々、先の「逃げるなら今のうち」はタヌキだからこそ許された、人間の助命の言葉であったのだ。
「よかろう。戻らぬを選ぼうとも、お前たちには死のみがある」
芝居めいたセリフではあるだろう。
だが芝居で済むのは、まさに舞台の上でだけ。
「あ」
地を踏み込む音が、ふたつ重なって聞こえたと思った時には、反論した男の両脇の人間二人の顔にそれぞれトライデントが深く刺さっていた。
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