『尽きずの蟲群』 5
女王が叫びをあげる。
レオンシオの剣に毒は塗られてはいない。
だがこれは致命的な一撃になるはずだった。
……通常の、まともな蟲のたぐいであるならば。
「きィ……ヤァアアアアアァァ!」
喉も張り裂けんばかり、というのが正しいような悲鳴が、巣の中に響く。
ヒトの物にとてもよく似ていて、けれどヒトのそれとは根本的に違うそれに、思わずレオンシオの手に籠められていた力が緩む。
「戻ってください!」
『魔王』が、その悲鳴に負けまいと声を張り上げた。
『女王』の身体を蹴りつけるようにして、レオンシオは飛び上がり、コアは蟲を踏みつけて仲間のもとへと走る。
「ヤァアアアァぁああああ!」
叫びをあげながら、『女王』はその顔をヒトの手で覆って、身体をくねらせる。
まるで苦悶しているようなそれに重なって、湿ったものがちぎれる音がしはじめた。
みち、ぐちゃ、ぶち。
『女王』が身体をゆするたびに、その音が大きくなる。
一際大きな動きとぶちぶちという音が重なり……ふと、音も悲鳴も消えた。
風が吹いた。
一瞬、レオンシオが目を閉じ、開いた時、眼前に『女王』が手を伸ばしていた。
「っ、うおっ!」
咄嗟に彼は翼をたたみ、落ちるように下へとかわす。
相対した高さではないが、床に背中を打ち付ける前に、彼は体勢を立て直して着地した。
「無事か!」
「引っ掻かれた……」
それだけの反応をしたにもかかわらず、薄く赤い線が何本か、彼の頬に引かれていた。
『女王』の下半身は、骨でできた台座。
そうだった。今はそうではない。
今、彼女の腰から下は無い。
腰から急にすぼまって、鞭のような、無毛の尾のようなものが下がり、揺れている。
たとえば、ラミアの尾の部分を細く絞ったような、そんな形のもの。
台座は下半身ではなかったか、それとも下半身を捨てたか。
翅を広げて、女王は一気にレオンシオのいた高さまでを飛んだ。
蜂のものにしては不透明な白い翅は、どちらかといえば幅が広い。
こうなればあと何種類の虫が混ざっていようが同じだろう。
たとえば、頭が無くても生存できるような虫だっている……。
頭に剣を突き立てられても、『女王』は生きているのだ。
じくじくと痛みと熱を帯び始めた傷に、レオンシオは舌打ちした。
台座がハズレなら、やはり胸がアタリ。
だが肢をかわした一瞬で、レオンシオは頭に狙いを切り替えてしまった。
そっちもハズレ。しくじった。
すぐにばしりと空を打ち、尻尾をくねらせて『女王』が彼を追う。
「キャーハハハハハハ」
喜んでいるのだろう、と思わせる叫びは、蟲の口からではなく女の口から聞こえるようだ。
「レオンシオ様!」
コアの部下が別のトライデントを投げ寄越したのを受け取りざまに、彼は『女王』へと突きだし、しかし横凪ぎに殴られた。
立ったまま使うには大きすぎる肢だが、ならば体の方を動かせばよい、と。
壁に叩きつけられ、巣材の土をかぶりながらもレオンシオは身体を起こした。
まだ、『魔王』の守りは効いている。
「……頭がいいんだか、悪いんだか」
「キィーャハハハハ」
呆れた呟きに、笑うような鳴き声がかぶさる。
本当に笑っているのかもしれない。
あの骨の台座は、『女王』をその場に留める拘束具の役割もあったのだろうか。
ひらりひらりと蝶じみて、しかし肢をひきずって、『女王』が嬉し気に巣の空間を飛ぶ。
「こちらへ! 早く!」
ウツギの声に、しかしレオンシオは戻ることはできなかった。
打ち付けられた衝撃は足にきている。
獅子の前足が力なく折れ、彼は蟲の屍の上に倒れ伏す。
自由になったということは、当然の事ではあるが彼女の肢の届かないところがなくなったということだ。
ああだめだ、とレオンシオは思う。
冷気の壁は、蟲の群れを寄せぬためのもの。
『女王』の足はおそらく簡単に突き抜ける。
あれを受けきれるものは、一行の中にはいない……。
「どぉりゃああああ!」
なんだかひどく泥臭い気合いの声とともに、ばちん!と大きなものを打つ音がした。
遅れて、床に落ちる音がして、巣ごと地面も揺れた。
上から大量の土が落ちてきて、レオンシオの閉じかけていた視界が一気に明るくなった。
衝撃で天井が落ちたのだ。
『女王』の顔がこちらを見た時、『魔王』は心底ぞっとした。
『女王』の顔の目は閉じられている。
だがたしかにこちらを見ている……。
側頭部の、楕円形の宝石のようなものが目である、と一瞬遅れて気づいた。
「キィーァハハハハ」
ぐにゃ、と身体を歪めて、『女王』がこちらへ飛んでくる……。
その時、抱きしめる腕を押しのけて、タヌキが地面へと降りた。
「どぉりゃああああ!」
ぶわっとその体が膨れ上がったかと思うと、濡れた布で何かを叩いたような音がし、続いて地面が揺れた。
「陛下」
ウツギがかばってくれなくては、彼も天井からの土を被っていただろう。
「な、なにが」
「タヌキ様です……!」
ウツギの衣の袖の下から、『魔王』はそれを見た。
巣の中の空間を埋め尽くすような、茶色の毛皮。
巨大化したタヌキのものであると、なんとか『魔王』は理解する。
「うるっせぇぞ、きぃきぃわめくなブンブンヤロー! 思い知ったか!」
重戦車対ママチャリ。
かつてオオスズメバチとミツバチの戦力差をそう例えた人がいた。
だがこれはもはや、怪獣と呼んでもいい。
タヌキの前足はぐりぐりと『女王』を壁に押し付けて、つぶさんばかりだ。
一見、タヌキはただ大きくなっただけ。
だが巨大になるということは、そもそもの力が単純にその大きさに合わせて増加することをしめす。
そのままギュウ……と押し付けて拘束しながら、タヌキは『魔王』を振り返る。
「待たせた! 完全復活だ! こいつだな?」
「……はい!」
タヌキの前足は、アライグマのように物を持てるようにはできていない。
しかしこのタヌキは例外らしい。
押し付けた状態でその前足で、『女王』を握りこんだかと思うと、目の前でまじまじと見た後、その胸を爪の先で押し込んだ。
ちょうど、人間が蝶を圧し殺すときのように。
読んでいただきありがとうございます。
重戦車対ママチャリのくだりは「ヘンないきもの」から。
ついでに頭無くても生きてるのは某G……。




