『尽きずの蟲群』 2
『あんなもの』を見せられてもこゆるぎもしない『魔王』に、レオンシオの方が一歩引いた。
「……やれるのか?」
「はい」
『魔王』が目配せをすると、ウツギがうなずく。
「ひとまずどこか安全な所にご案内いただけますか、クアドラド候」
クアドラド家の屋敷は、西方領の端からほどなくいったところ。
国境すぐといえそうな場所に有る。
これにはいくつか理由はあるが、最大のものは「ここが最も蟲の飛来する回数が少ない場所だから」であった。
それでも案内された屋敷はすべての窓の外側に、細かな金網が張られ、壁などにもあちこちに細かな補修の跡があった。
隙間から入り込んでくるのを防ぐためだろう。
補修は新旧問わずあるのだが、他と馴染ませるような仕上げはしていない。
できないのかもしれない。
そんな屋敷の、奥まった一角でクアドラド領の地図が広げられる。
「……実は、あいつらの繁殖地だろう場所の見当はついている」
レオンシオは西方領の中でも中央部に近い場所を示す。
「だが、ここは見通しもきかない藪の中だ。当然、防ぐための壁も無い」
蟲は石垣や金網までは食い破れはしない。
だが逆にいえば、防壁となるものが無ければ危ういということだ。
『魔王』はちらとマカールを見た。
今は男の姿の彼は、ひとつ頷いて、懐から取り出したのは……。
「てめぇ! 何持ち込んでやがる!」
「案ずるな。とっくに死んでいる」
一匹の蟲の死骸。
かちこちに凍り付いたそれは、マカールの吐息で一瞬で命を奪われた、先の群体の一匹だろう。
しかしこの蟲をなんといえばいいのか。
一般に蝗害をもたらすサバクトビバッタは、群生相と呼ばれる姿のもの。
これは見た目からして通常のバッタの緑とは違う、茶や赤などの「枯れた」色合いなのだが、マカールの指先に摘ままれているのは、バッタに似ていてバッタではない。
むしろハチがかけあわさったような形をしている。
だがそれでもやはり、ハチとも言い切れない姿をしている。
不気味な、機能美とはかけはなれた「余計な」形。
それをマカールはウツギに渡す。
ヘルバの賢人は「それ」を器用に、机の上に敷いた布片の上で解体しはじめた。
「さて」
思わず黙り込むレオンシオの前で、解体はあっという間に終わった。
「これはどうやら普通に呼吸をするらしい。陛下、当初の予定通りの策でよろしいかと存じます」
「ありがとう」
改めて、『魔王』はレオンシオへと向き直った。
「ここに来るまでに、ある程度の策をたててきました。まず、事前情報として……この蟲は冬に活動が無い、そのことは変わりありませんか?」
「……ああ」
年下の存在に気おされたように、レオンシオは頷く。
『魔王』が道すがら考えた、タヌキを戦力にしない作戦。
それは他の三辺境伯家の先鋒を組み合わせるものだった。
まず、冬になると蟲の活動が無い(残念ながら、その分のように春から夏にかけていっそう激しく活動をするらしい)ことから、冷気に弱いのではないかと仮説をたてた。
また本来の蝗害はイナゴ渡りのような形で被害が広がっていくのだが、この蟲はクアドラド領から外に出ることはなく、領内を縦横に移動するがその繁殖地はそこここにあるというわけではない事実、また食性の歪さから通常の蟲の性質を外れているという予想を立てた。
もちろん、もとより尋常の虫であるはずがないのだが、虫という生物としての生態そのものが違うのでは、という意味での『通常』である。
「ゆえに、我々は『冬』を纏うような形で、繁殖地に入ります。こちらで繁殖地を把握してくださって、助かりました。……お願いします」
「命令、承った」
かけられた声にマカールが頷いた。
「対処法としては、薬物を用います。用意をお願いします」
「承りました、陛下」
ウツギが礼をとる。
「その上で、防御に長けたコアさんが先頭に立って踏みこみます」
「ご命令、確かに」
コアもまた、ゆっくりと頭を下げた。
これが何を示すのかを、レオンシオは認めざるを得なかった。
他の三辺境伯家は、当代の『魔王』を認めているのだ、と。
だが、彼には彼なりの「認められない」理由がある。
この会話の間も、『魔王』が抱く毛玉は動くことはなかったが、タヌキがもし狸寝入りをしていたなら、『魔王』の自信あるふるまいとは裏腹な、自分を抱きしめる強さと、その手の汗に気づいたかもしれない。
だがそれは、相対するレオンシオには決してわからぬ物だったために、彼は抑えた声で宣言した。
「俺も行く。先導する者がなければ、正確な位置はわからんだろう」
繁殖地までは本来通り、畑の石垣を利用して蟲を回避しながら進む。
それだけで、数日。
ここまでの討伐においては一日で移動のすべてが済んでいたことを考えるとかたつむりのような速度ではあるだろう。
しかしその間に、ウツギをはじめとしたサントウ家の者たちは有効となる毒を合成して充分以上の量を用意することができた。
繁殖地とされる藪。
そこにもっとも近い最後の石垣から離れると、マカールを先頭に、その斜め後方にイリイーンの兵が続く。
その周囲を包んでいるのは、冬が、それも吹雪のさなかの冬が戻ってきたような冷気。
一歩進むごとにその足元に霜柱すらも立ち上がる。
彼女がグラキエースの精霊体としての本領を発揮する姿で生んだ大量の冷気を、後方の二人が布を繰るようにして流している。
足元を確かめるように、ゆっくりと一行は藪の中へと進む。
すぐに蟲が大量に羽音を立てて飛んできたが、冷気が船の舳先のように、黒い波を切り開いていく。
その冷気に触れれば、蟲は容易く落ちて動きを止める。
それだけの冷たさだ、残りの人員は決して白くかすむ空気に触れないように進んでいた。
「これは、殺虫剤などいらなかったのでは?」
「そうでもない。この先はなかなかに厄介そうだ」
薄暗くさえある藪の中をどれほど進んだだろう。
一行の前に、こんもりとした丘のようなものが現れた。
二階建て……否、三階建てほどの高さがあるだろうか。
目の前にぽっかりと、人が通れそうなほどの大きさの穴が開いている。
植物に覆われてはいるが、それは人工物ではなく、しかし自然の丘でもない。
「巣か」
「でしょうね……」
ぅわん、と空気を震わせる羽音が、穴の奥から響く。
ハチの巣のようなものなのだろう。
「中にみっちりいそうだ。毒を頼む」
「はい」
冷気に、霧状に変えられた毒が乗り、巣の奥へと送りこまれていく。
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