未来
そうと決まればと、手すきのもの数名が城内の事務方のいる会議室へと走っていく。
祝いにせよ弔いにせよ、何かするとなれば予算が要る。
金は降ってこないし湧いてもこないから、ひねって出すしかない……となれば事務方が第一となるのは当然で―――その「当然」すらも、以前は当然ではなかった―――ひとまずその見積もりができるまではと、それとは別に各地へと『魔王』による国の解放が正式に伝えられることになった。
おそらく見積もりができるまでには、辺境領の寒村から中央地帯の小さな村まで話が伝わり、準備が整ったころには祝いごとの開催が伝わるであろうと、これもまた「見積もり」であった。
だがまだ、今日はそのスタート地点である。
「よ」
一段落ついて、事務方からのいい返事の中で今日の政務を終えた『魔王』を、彼の私室でタヌキが出迎えた。
そういえば、と『魔王』は思う。
今日一日タヌキとはしゃべらなかったなと。
なにしろいつもなら隣にいる夕食時すら、姿を見なかったのだから。
「あの」
「今日は大変だったな」
タヌキは……『魔王』がかつてあの穴の一番下に居た子どもであったことを、知っている。
たった一人、『魔王』以外にそれを知っている。
胸にこみあげてきたものを呑みこんで、『魔王』はベッドに座るタヌキの、その隣に腰を下ろした。
「叔父は、西方で葬ってくださるそうです」
「そっか。レオンシオ、先代を知ってるから良くしてくれたんだな。良かったな」
「はい。……叔父も、父と同じく食われたものと思っていましたから。それに、カエルレウスも」
「あんな所にいたんだな」
「……はい。父は、私の上にかぶさって、守ってくれていたんですね」
一番下にあった小さな脆い、子どもの死体。
死蝋とはいえ、大人の重量がかかれば……というところを、上にあった初代の体が守っていたという検死がなされていた。
そこで『魔王』は一瞬考えた。
いうべきだろう。
もうウツギにも詳細は省いてもいったのだから。
「女神が、夢で教えてくれました。私たちがいた場所の下に私たちがいると。あれは『魔王』という存在のことだろうなとは思っていたんですが。……少し、驚いてしまって。カエルレウスのことを知っていたのかと」
「神様だからさ、本当に知ってたかもな」
タヌキはといえば、驚くでもなくそうかそうかと聞き、そして返事をする。
「だからそれを知ってたら申し訳なくて、でも嬉しかっただろうな。自分の名義で苦しめられた……殺された子どもがさ、生まれ代わってその元々を終わらせて、自分を解放してくれたんだから」
「……本当は。本当は、そんな立派なものじゃないんです。すべて終わってしまった今でも、ニンゲンを許すことは、できません」
タヌキはひとつうなずいた。
「許さなくっていいよ。その怒りはお前のものなんだから、誰も取り上げちゃいけないんだ」
「ですが、私が復讐を止めたことで、逆に他のものの怒りを取り上げています。私は、他者の怒りを邪魔してまで」
「あそこに行った奴らで、殺させろって奴はいなかったよ」
「……」
「俺、ちゃんと見た。むしろ怒りは萎えてたし、お前が止まったこと、止めたことでほっとしてたヤツらばっかり。みんないい奴だ」
「……はい」
『魔王』は自分の肩から力が抜けたと知覚した。
あきらかに体の中の、わけのわからない息苦しさのようなものが消えた。
それでも……
「でも、自分の中からカエルレウスが消えていっているようなんです。私は、間違ったのではと」
「忘れていってるのか?」
「記憶ははっきりとあります。ですが、その時の感情の熱が失せているような……なんというか、本の中の登場人物の視点の話のような、遠い、というべきか」
それが始まったのははっきりとはわからないが、あの国から去った時からかもしれないというのも、タヌキはうんうんと最後まで聞いてから、口を開いた。
「もしかしたら、もういらないからかもしれない。怒るのって、疲れるだろ? 悲しいのは苦しい。そういうのってないか?」
「……」
「怒りも悲しみも、立ちあがるのにも走りだすのにも必要だけど、ずっと抱えているのは痛いんだよ」
そこでタヌキは大きく息を吐いた。
遠い所を見ているような目を少しだけして、またたきでそれを消す。
「一人分だって大変なのに、お前は二人分抱えてた。一人分が元々持てる量なんだって考えるなら、前の分はもう置いていっていいってことかもって、俺はそう思うよ」
その目が『魔王」 の方へと向き直った。
「置いていくことは、できるでしょうか」
「忘れて……いや違うな。褪せてる、とも違うし、あえていうなら、距離ができてるなら、もう置いてるよ」
その時、たしかに『魔王』は息ができた、できるようになったと思った。
体にかかっていた重さが消え、新鮮な空気が入ってくる、軽くなる……。
「お前さ」
ずずいとタヌキが『魔王』の顔を覗き込む。
「シリルとこの先の計画たててたろ?」
「……はい」
「街道も、列車も、飛行機も、まだなんにも作れてない。全部これからだ。それを作るんなら、前とは違う力が必要だって、そう思うよ」
『魔王』は自分の両手をまじまじと見た。
これから先をと、タヌキの話を聞いて、夢想して、計画した手。
街道をさらにしっかりしたものにする。
石畳を敷こう、それをする前には凸凹を埋めるようにしないと。
馬のいない馬車はどうしたら作れる?
馬の引く力が車を進める力になっているから、その力を何かで替えないと。
でも引く力ならば車の前になにかあるはずだから、換えることを考えるなら「車輪を動かす力」だろうか。
列車はどうしよう?
馬車と同じ動力でいいだろうか。
その場合、後続の車両の動力は前の車両が引く力で代用できる。
だが車を繋げるだけなら、後ろの車両の軌道がぶれてしまうし、三両以上ならそのぶれはさらに大きなものになるだろう。
これを避けるにはどうしたらいいか。
そんなことを、シリルとともに話したあの休日。
思い出すだけで口がほころんでしまう思い出。
「そうですね」
だからこそというべきだろうか。
『魔王』はタヌキがいったことが理解できた気がした。
夢のような国を作る、そのためのエネルギーは、きっと怒りや悲しみからくるものとは違うのだと。
たとえそれが、きれいごとだとしても。
「なぁ『魔王』」
「はい」
「お前はひとりじゃない。よきにはからえ、をやれるだけの配下がいる。みんなデキるすごい奴らだ。頼ってもいいんだからな」
「……はい」
「王様はお前なんだからな」
あれ、と『魔王』は違和感を覚えた。
タヌキのいっていることがなにか……不穏というには柔らかいものだが、少しおかしい。
「お前たちなら、星に手を届かせることだって、いつかできるよ」
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