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タヌキ無双 生贄魔王と千変万化の獣  作者: みかか
狸と狐編
142/147

遠景:とある治療院にて

 女神がこの世界から去った。

そのことは通信球の光景によって『封印行』に参加していたすべての国に伝わった。

もともと『封印行』で自国の『勇者』たちの活躍を見たい―――あるいはガス抜きとして見せたい―――ゆえに広まったものであるだけに、街や都はもちろんのこと、受信のみの安価・簡易なものであれば小さな村々にも一台くらいは通信球のある環境だ。

それがニンゲンにとっての絶望を広める手段になったのは皮肉なことだろう。

加えてある国では死者こそ出なかったものの、『勇者』として選ばれたものたちが本来相手にもならないはずの兵士たちにあっさりと返り討ちにあったことも、『放送』されてしまった。

それはすなわち今までのようにはいかないということ。

今までであれば魔法陣の移動定員内の人数ででも、『魔王』を倒すことは余裕だったのに、それができない―――常識的に考えて今までが無茶な戦力差だっただけだが―――ことは『封印行』という行事の根幹を揺るがした。

女神の加護を失ったことにより、一種の祭りのようであった『封印行』は正当性を失った。

それと同時に、形だけの『勇者』、易かったはずの討伐が、そうではなくなった……。

それがどれほどの衝撃だったか。




 教国の海を挟んだ隣国にある、女神の教会に併設された小さな治療院。

小さくはあるが、教国から派遣された神官が治療にあたっている。

そこでも、小さな受信用通信球に女神の去る光景は映し出されていた。

その光景を見ていた患者たちの間にパニックは……おこらなかった。

あまりにもあまりなことで信じられなかったのだろう。


「な、なぁうそだろう?」


 へたりこんでいたヒトビトの中から声を上げたのは、ついさっき折れた足の指を治してもらったばかりの門番。

彼は門に入るのに難儀していた馬車を助けたとき、うっかり爪先を車輪の下敷きにしてしまったために、担ぎ込まれて治療を受けた所だ。

だが、振りかえった彼が見たのは真っ青になった神官の顔。

門番の知る限り、壮年のこの神官はいつでも穏やかに微笑んでいて、慌てるところも怒ったところも友人である彼に見せたことはなかった。


「しっかりしてくれよ! なぁ、嘘だっていってくれ!」


 あれは『魔王』のペテンだと、門番はいってほしかった。

かなしいかな、門番はあの白い女に呑まれてしまっていた。

一度だけ教国に行ったこともある彼は、教女を遠目にではあったが見たこともあった。

まぁ、若いのに立派に振る舞えるものだとそのときは思ったものだ。

彼のためにいっておくと、彼は門番という職務上、権威や迫力には礼儀は尽くすがへりくだらないという態度を求められているため、決して不心得、不信心なのではない。

だがその彼でも、そして通信球を通してすら、あの女神と呼べる……呼ぶべきだろう存在には魂を撃ち抜かれたようになってしまった。

息をすることさえ憚られる空気の中で、彼は治療直後の足のだるさも忘れて立ち尽していた。

画面から女神が消えたとき、彼は思わずへたり込み、必死で意識しての呼吸を繰り返した。

それは彼同様に、治療のためにここを訪れていたヒトビトも似たようなもの。

ぜいぜいという酷い呼吸音だけがしばらく治療院の中に響いていた。


 その呼吸音がおさまってから、門番は先ほどの問いかけをした。

そして、それへの言葉の答えは帰らず、神官の顔色は青ざめて……今や血の気がまったくなく、雲のように白くなってしまっていた。


「なぁ……なぁ!」


 肩を掴み己をゆさぶる門番に、神官はしばらくされるがままになっていた。

まるで中身が抜けてしまったかのような、虚無をあらわす表情。

「それ」は多大なショックを受けたときの反応だ。

多大な……いや多大というのもまだ「小さい」。

自分の信じるものがひっくりかえされたものはこうなるという実例なのだと、門番は気づいてしまった。

自分で例えるならばと考えようとして、彼はあわててその考えを振り払う。


「……さぁ、今日はここはもうしまいだ。帰った帰った」


 心を落ち着けて、門番は治療院の中にいたものたちを外へと出した。

敬虔なものであればあるほど、神官と同じようにショックが大きかったのだろう。

特に文句をいうものもなく、ふらふらと出て行ってしまった。

最後の一人を出した後、戸口近くに出されていた札をひっくり返して、治療院が閉まっていると表示させる。

教会のほうは、解放されたままになっているが、そちらはいいだろう。

すがりたいものを放り出すようなことはするべきではない。……友人も、きっとそうするだろうと考えたところで、門番はその当の本人である神官のほうを振りかえった。

長年の彼の友人は、いまだ呆然としながら、それでも床ではなく椅子に腰かけていた。

そのことに彼はほんの少しだけ安堵したといっていい。

まだそのくらいの判断能力は残っている、と。


「……見ただろう?」


 神官がぼそりと呟いた。

問いかけとは少し遠い、門番を相手にしているのかもわからない、虚ろな、地の底から響くような。


「女神さまは我らを見捨てたもうた。いや、……我らこそが女神さまの慈悲をよいことに、かの方の力を貪食した、愚かな……」

「よし、そこまでだ」


 また門番は神官の、友人の肩を掴んだ。

治療にあたるために羽織っている白衣、さらにその下の簡易な法衣、それらを通しても体温の低さが伝わって、思わず彼はぞっとした。

どれだけ友人はショックを受けたのかと。

「ひとまず落ち着け。ミルクを温めよう、それからもらいものの焼き菓子があるんだ。ちゃんと蜂蜜の入っているやつだ。甘いものは好きだっただろう?」


 一瞬で十、いや二十ほども歳をとってしまったかのような友人を彼は支えて、その私室へと連れて行く。

治癒を行えるほどの敬虔な神官だからこそ、信じたものに見限られた……そしてそれ以前に、自分たちこそが信じたものを苦しめてきた、裏切ってきたというのは堪えるだろう。

清廉で真面目であればあるほどダメージは大きい……。

門番は友人がどれほど真面目であるかをよくよく知っていた。




 翌日、教会にも治療院にも、神官の姿はなかった。

夜逃げというにはあまりにも物を残しすぎていて、まるで買い物にでもでかけたかのよう。

かろうじて身の回りのほんのわずかな品だけが無くなっている光景に、友人の様子を見に来た門番はため息をついた。

半分はまだ呆然としているのではないかと思っていたが、もう半分ではこうなっているのではと予想はしていた。

いなくなっている。そのことだけを確認すると、門番は治療院をあとにした。

こうなってしまうかもしれないと半ばは覚悟していたとはいえ、それでショックが軽くなるものではない。


 友人はどこに行ったのだろうと、職務に戻りながら門番は思う。

もしかしたら……いなくなってしまった女神を連れ戻せないかと、旅に出たのかもしれない。

そしてそうやって旅だったものは、どれだけいるのだろうかとも。

読んでいただきありがとうございます。

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