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タヌキ無双 生贄魔王と千変万化の獣  作者: みかか
狸と狐編
139/147

違名

 そのいぶかしげの中には、何を言っているのかというものと、なんだこの娘はというもの……つまり、無礼さに対するものが含まれていた。

少なくともそれは、自分の信奉者に対するものではない。

あなたはだれ、なんて。

かつ彼女の声は高圧的になり、口調からも丁寧さが失われていた。

そう、自分を奉ずるものたちの頂点に立つ者を相手にしているようには見えない。


「私は……」


 『教女』は迷うような仕草を見せた。

自分は『教女』であるといえばよいだろうに。


「ではぎゃくにたずねよう。わたくしのなは、なに?」


 またしても『教女』が体を小さく震わせるのを、『魔王』は不思議に思いながら見ていた。

『魔王』にとってみれば、今ここにいる女神は『教女』たちにとっての主神であるはずだ。

スケールダウンではあるが、タヌキの本名のようなものだろう。

普段タヌキ様魔獣様と呼んでこそいるが、『魔王』が何度か口にしていることで、タヌキの名を知っているものはそれなりにいるはずだ。

それと同じように女神の名を、雪に咲く花を司る女神の名を知っているはずだろうに。




 その時『俗人』の長は聖堂の中を走っていた。

疑うべからず。だからこそ教女は女神の名を女神としか知らない。

おそらく教国のほとんどのニンゲンがそうである。


 『俗人』たちは、どうして女神の名を封じているかを知っていた。

その名をみだりに使うことで、契約を損ねることにつながりかねないためである、と。

知っているなら使うであろう、そう『俗人』たちは疑い、彼ら自身も知ってしまえば使ってしまうと己を疑って封じ込んだ。

長もまた、かの女神の名を知らない。

だから女神の名を記しているものを、改めねばならなかった。


 ここで初めて、生まれて初めて『俗人』の長は娘への教育を間違ってしまったと後悔していた。

娘を教女にするべきではなかった。

あの娘は信じすぎる。あの娘は人が好過ぎる。

頭は悪くなかったが、ただただ信じるという形にこだわり過ぎてしまった。

信じるならば、女神は助けてくれるはずだと。

娘を『俗人』とするべきであったと思いながらも、そこで娘の性質が邪魔をする……。


 思考と後悔を重ねながらも、『俗人』の長は聖堂の中、女神像の足元へと走った。

魔王の国を象る床の部分、女神像が文字通り封じている床をずらすと、重厚な、しかし薄い金属の箱が姿を現した。

本を象ったそれには、鍵はかけられていない。

すみやかに中身を取り出すためであったのだと、今の彼ならばわかる。

およそ百年前の、『俗人』の祖に彼は感謝した。

これを調べれば、再び女神の加護を得られる……取り返しがつく。

しかし彼が蓋を開けるのを待っていたかのように、中身であるところの羊皮紙はさらさらとくずれていった。


「待ってくれ!」


 呼びかけにはなんの意味も無い。

彼の手の中で、二枚の契約書の片方は、有責者側であるからこそ失われた……。




 薄く透き通るヴェールの下で白い顔がため息をついた。

わずかな動きではあったが、それはどこかしら……人間じみたいいかたをするならば、安堵のそれに見えた。


「といにこたえられぬようだな」


 女神の声は、いっそ穏やかですらあった。


「ならばもうよいだろう」


 ため息がヴェールを揺らす。

あたかも女神がヒトであるかのように。


「お待ちください!」


 そこに男の声が響く。


「……」


 聖堂の中から、入り口近くのヒトビトをかき分けるように男が一人進み出る。

その姿を見た『教女』はヴェール越しにもわかるほど、喜色をあらわにした。


「お待ちください。貴女様のお名前は」


 男は、『俗人』の長はぐっと腹に力を入れたように背筋を正す。


「ウルハ様、ですね」


 しんと静まりかえった中で男が古風な名を呼んだ。


「ウルハさま」

「ウルハ様」

「ウルハ様、どうか」

「どうか、お救いください」

「ウルハ様」


 再びさざなみのように声がわき上がり、広がる。

兵たちも、『教女』の後ろにかばわれていたヒトビトも、手を組み祈りの姿勢をとりながらその名を呼んだ。

しかしながら、女神はゆっくりと首を横に振る。


「……なつかしい、なまえ。けれどそれは、わたくしのものではない」


 嘆きの悲鳴が上がる中で、女神は続ける。


「そのなをつぐことで、ウルハになったものは、わたくしのちからをつかいつづけた。わたくしの……わたくしとウルハとのやくそくを、つかって」


 空気が揺らぐ。


「おまえたちは、わたくしとウルハのやくそくをうばった」


 それが怒りのあらわれであったことを、『魔王』は目の前のニンゲンたちの様子で悟った。

そろって青ざめ、身体を震わせる。

必死で伏せて、小さな声で謝罪を繰り返すものもいる。


 『魔王』が思い出したのは、初代の魔王を倒したとき、勇者と聖女が魔王と相打ちとなったという伝説。

この教団、ひいてはこの国は、聖女がつかったような奇跡のような回復魔法によって国を盛り立てていた。

詳しい歴史書など、魔王はのぞむべくもない立場だ。

だがそれでも、当時すでにニンゲンの神々はこの世界から離れていたことは知っている。

だからこそ女神の力を借り受けた聖女は聖女であったといえるのだが。


 ……そっと、『魔王』は息を継いだ。

聖女の立場を継いだというべきか、それとも奪ったというほうが正しいのか。

その方法に、先の女神の言葉から彼は心当たりを見つけてしまった。

かつて王子カエルレウスが魔王の名を継がされて、魔王の名でサインをしてしまった契約が有効であったように、勇者の仲間のひとりが、聖女の名を得たのではないかと。

つまり、聖女と女神の名をもって、魔王の名により結ばれた『封印行』の契約。

そこに記された女神以外の二人は、本来のその名の持ち主ですらなかった……。


 女神が自分を見ていないことに『魔王』はそっと心の中で感謝した。

彼女が視線を向けている人間たちは、今や伏せて慈悲を求めるばかり。

どれほどの怒りを向けられているものかと。

自分たちは普通に息をできているが、ニンゲンたちは息も絶え絶えの様子なのだから。


 謝罪の声の中で、衣擦れの音が響いて、女神が振りかえる。

薄いヴェールごしに、美しい顔が微笑んだ。


「まいりましょう」


 そして女神は周囲の獣面のものたちに呼びかけ、彼らは深々と女神に頭を下げ、また黒髪の少女が鈴を振う。

シャン、と鋭く音が響くのを合図として、また列が作られ、歪みの中へ彼らは消えていく。

それをしり目に『魔王』は配下たちを振りかえった。


「帰ろう」


 女神たちの進んでいるうちにと、『魔王』は転移魔法を行使した。

読んでいただきありがとうございます。

ウルハは簡単なアナグラムです。

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