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タヌキ無双 生贄魔王と千変万化の獣  作者: みかか
狸と狐編
129/147

遠景:不穏

 何もかもが順調な状態に戻っているはずだった。

すくなくとも、彼の、『俗人』の長たる彼にあがってくる報告の書面上においては。


 件の魔獣は聖獣によって討ち果たされ、もはや魔獣に対抗するものを莫大なコストと引き換えに召喚せずともすむ。

コーコーセーたちのように教え、食わせ、身なりを整えさせといった面倒をこなすことも、かの聖獣ミョウブのような得体のしれぬものを丁重に扱うこともせずともよい。

あえていうなら、未だ「次の勇者」が国に到着していないことが問題なだけのはず、なのだが、こればかりは三番目として選ばれた時点で、その国の上層部なりに諦めが生じ、その後の準備を怠ったからであろうと納得ができる。

今までの歴代の『封印行』においては、最初の一国の勇者たちがみごとに魔王を撃ち果たしてきたがゆえであろう。

そう、何も、何もないはずだというのに、不安が彼の心に影を落としている。

これという実体のない、しかしひたひたと音もなく足元に水が押し寄せてきているような……。


「長、よろしいでしょうか?」


 書類の文面からすら思考を飛ばしていた彼に、部下から声がかかる。


「よい、申せ」

「はい。教女さまがおいでです」

「教女さまが。お通ししろ」

「はい」


 寸の間もおかずの返答をして、部下はさがる。

入れ替わりのように、一度閉じた扉が開かれて教女が姿を現した。

その顔色はすぐれず、表情も曇っている。

祈り、願い、説き、信じることを務めとする彼女は、その務めを喜びとして生きている。

務めをはたすことで、常に幸福感にみちているとさえいってもいい。

その彼女がこの萎れよう。


「いかがなさいましたか?」


 その様子に驚いた、その感情を覆い隠すためのわずかな沈黙を挟んで、彼は問いかけた。


「あなたに、疑ってほしいことがあります」


 むしろこの一言の方が驚いたといっていいだろう。

彼は疑うことが務めだが、教女は信じることが務め。

その存在が疑ってほしい、とは。


「穏やかではありませんな」

「ええ、ですが……」


 教女の信仰には、一点の曇りも許されない。

そして今代の教女の信仰心は篤く、簡単な事ではゆるぎもしない。


「私では、疑うことができません」


 細い指が差し出したのは、一枚の文書であった。

さきほど転移を使っておくってこられたものだという。

中身を改める許可は、差し出された時に得たものとして、彼は中を読んだ。

差し出し人は「三番目の国」。

曰く、勇者の準備が整っておらずもうしわけない。

万全の状態で送り出すべく、用意をしている。

整い次第すぐにでも。


 しらじらしいとは思う。

準備を怠っていただけであろうとは考えていたが、まだ時間が足りないというのならいつまでも足りないままだろう。

丁寧な詫びの言葉こそつけられているが、文字でならばいくらでも、そしてなんとでもいえる。

だがそんなあからさまなものですら、教女は疑うことが許されない。

教女だけではない。『俗人』ではないものは、みなそうだ。


「教女さま、案じなさいますな。私が返事をいたしましょう」


 その言葉に、あからさまなほどに教女はほっとした顔を見せた。

信じたいものにとって、疑わなくてはならないということは多大なストレスを伴う。

それを理解すると、彼は『俗人』の始まりの男の慧眼に深い敬意を覚えるのだった。

聖女の後継者たる教女は、無垢なるままであれという決まりは、疑念による苦しみから解放されたものとして保つということだ。

大人となっても、老年に達しても……。


 そんな風に、初代の……勇者と聖女に従って、かの魔王を討ったあとにこの教団を立ち上げた男が定めた。

その男は深く聖女と彼女の信じた女神に帰依したからこそ、女神を奉ずる教団をたちあげたのだが、それまでの己の人生を悔い改めたとはいえ、悪事を働いていたのは消せないと教団内で「悪」の立場に立ち続けることを選んだ。

小さなうちはその男ひとり。

教団が大きくなり、時が過ぎれば一人二人と男を手伝う……教団を守るため『俗人』に身をやつすものは増えた。

国家となった今では、ちょっとした騎士団ほどもいるだろう。

彼はそれを率いるものとして、また部下たちは信徒たちの心の守りとして、誇りをもって疑っている……。


「それともうひとつ。こればかりはあなたにしか頼めないのですが、……治癒術の効果が薄れているような感覚があります」


 安堵の表情も一転、ため息とともに教女は声を潜めた。

魔法による回復などの治癒術は、この国にとって大きな、根幹産業とでもいうべきものになっている。

そもこの国が成立したのには、他の宗教の神々がすでにこの世界を遠ざかり、影響を与えることができない状況がある。

神の名のもとに治癒術を行使できた聖女である少女を守護したもうた女神だけが、この世に残ってヒトビトを守り、癒してくれている……。

それはこの教団、ひいては国家においてなによりも大きなアドバンテージだった。

その治癒術の効き目がわるくなっていることは、この優位性を根本から揺るがすものとなりうる……。

『俗人』、疑うものとしての職務が、彼の思考をそこまで走らせた。


「それは……難しい問題ですな。人も遣って調べましょう。教女さまは御心を安らかにお過ごしを」

「……ええ、ありがとうございます」


 細い息を吐く教女はおそらくこの後、このことを忘れずにはいるだろうが、本当に心穏やかに過ごすだろう。

そうあれと望まれているために。


 白い後姿が消えると、彼はすぐ控えている部下を呼んだ。


「聞いたな? 調べよ」

「どの範囲まででしょう?」

「教都に限らぬ。この国だけにも留まらぬすべての聖堂において調べよ」

「はい」


 部下もことがことだ。繰り返し念入りに調べることだろう。

実際に現象しているとなれば、それが発生している範囲を調べた上で、原因を探さねばならないが……信じることを善しとする信徒たちが教えからはずれたことをするとも思えず、原因の調査が難航するのは男の目からもあきらかだった。

読んでいただきありがとうございます。

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