遠景:千鶴子のはなし
はっと気づいた時、八木千鶴子は白いベッドの上にいた。
ここはどこ?
彼女の最期の記憶は、修学旅行の途中のバスの中のもの。
何が起きたのかと彼女は体を起こして周囲を見回した。
横には引き出す机のついたサイドチェスト。
よくある病院の備品だろう。
ベッドはカーテンで囲われて、半個室のようになっているが幸い彼女のベッドは窓際だったおかげで、カーテン越しに明るい昼の光が入ってきている。
修学旅行の最中に、体調不良でも起こして倒れたのか。
でもあの朝、特に体調が悪かった覚えは彼女にはなかった。
右手に繋がれた点滴がなんのためのものかはわからなかったが、ひとまず付けたままで千鶴子は窓へと近寄った。
足はしっかり立ちあがれる。
貧血を起こしもしなかったし、足を怪我した様子も無い。
そのほかも怪我をした場所はなさそうで、痛みといえばそれこそ点滴の針周辺くらいのもの。
そっと左手でカーテンを開けてみたけれど、常緑樹が庭に配されているためか、窓ガラス越しでは季節が読み切れない。
だが日光の強さを鑑みると、夏にかなり近いように千鶴子には思えた。
彼女には憂鬱な季節だ。
暑くてやたらと汗をかくし、道着だって分厚いのを毎日洗わないと。
だけど……修学旅行があったのは……。
千鶴子の心臓が跳ねあがる。
私、どれだけ眠っていたの?
しかしベッドから立ちあがったとき、身体は普通に動いた。
これは彼女の知識にある、「しばらく動いていない体からは筋肉が落ちて、自分が考える用には動けなくなる」というものに反する。
だからこの齟齬に、彼女は軽く混乱した。
「う……」
小さなうめき声とともに、近くからベッドがきしむ音がして、千鶴子は気をとりなおした。
自分のようにだれか目を覚ましたのかと。
彼女は自分に与えられたカーテンの壁の中から、そっと足を踏み出した。
カーテンで区切られた四つのうち、音のしたところを覗きこむと、自分と同じような状態のクラスメートを見つけた。
……千鶴子はそれがクラスメートであること、それがわかったこと、そして名前を思い出せたことにほっとした。
「光谷さん?」
声もいつも通りに出すことができたし、かすれてもいない。
呼びかけられた少女は、横たわったままで何度かまばたきをした後、千鶴子の方へと目を向けた。
「……八木さん」
少女、光谷朱花の声も、やはりほとんどかすれてはおらず、普通に目を覚ましたあとのようなものだった。
体を起こした朱花と。そのベッドの横の椅子に腰かけて千鶴子は話をしてみた。
だが朱花もまた似たような、修学旅行のバスからの記憶が無い。
そして彼女の動きから、筋力も損なわれていないと千鶴子は判断した。
二人の少女は、そっと隣のカーテンの中を覗きこんでみた。
そこには同じく同級生の姿があった。伊吹諷がいた。
もうひとつのカーテンの中も同様に、同級生の蔭山万美の姿がある。
「……」
「……」
一体何人がここにいるの?
私たち、何日眠っていたの?
千鶴子たちの疑問は、話し声を聞きつけて訪れた看護師たちの説明によって一時間後に解決することになったが、何日眠っていたどころの話ではなかった。(何日か眠っていただけであってほしかった!)
説明によれば、千鶴子たち三十三人はとある山中で気を失った状態で発見されたらしい。
からっぽのバスを残して行方不明になってから、二カ月近くのちの発見。
世間は神隠しであるとか、テロリストによる誘拐だとかで大騒ぎになっていたのだが、行方不明者全員の保護により、解決も近づくだろうと言われている……。
その内容に、千鶴子たちは顔を見合わせる。
解決も何も……彼女たちは何もおぼえていない。
警察に訊かれたとしても、何も答えられない。
だが看護師の話に、千鶴子はいわくいいがたい違和感を覚えた。
三十三人?
いや数は合っている。
三十人の生徒、担任の先生、これで三十一人。
バスが空っぽというなら、運転手さんと同行のガイドさんが残り二人にあたるはず。
これで数はあう。
しかし彼女の中のなにかが、そうだろうかと疑問を呈する。
三十人が正しい数なんじゃないかと。
いや、そんなことはありえない。
だって三十三人だと、聞いたばかりだし、計算も合ってるし……。
千鶴子はふと、となりの朱花を見た。真っ青になっている。
彼女の視線に気づいた朱花は、彼女の方を見返したのだが、混乱はあきらかだ。
それも多大な困惑の入り混じったもの。
―――こわい、でも私はなんでこわいと思っているの?
自分と同じであれば、こうであろうと千鶴子は見当をつける。
残りの万美と諷も同じ顔をしている。
では、三十人が正しい数だとしたら、残りの三人は……?
口には出さずとも全員が同じ考えであると千鶴子は思った。
その後、検査を幾つか終えると彼女たちは帰宅を許された。
マスコミが追いかけてくるからという理由だろう、それぞれの保護者が来るまで病院に留められ、裏口からこっそりと帰された。
彼女にとっての数日ぶりの家は、数十日分よそよそしかった。
しかしながら、不思議なくらい千鶴子たちの周囲は無風だった。
彼女にとっては実感のないものであっても、三十三人もの人間がかなりの帰還行方不明になった、しかもそれがどうやって行われたのかもわからないという事件。
その上で取材対象になる人間は、行方不明者三十三人の周囲を考えるなら百人を超える。
どれか一人は取材に応じるだろうと思うマスコミがいてもおかしくはない。
だが家の前でも、学校の周辺でも、見慣れぬ人物を見かけることも近づいてくることもなかった。
まるで何事も無かったかのように、学生生活は再開された。
さすがに学習は何事も無かったようにとはいかず、先生方による補習が重ねて行われた。
なにしろ二カ月近くだ。
その分の内容の履修には、その期間以上の時間がかかるだろう。
しかし……その期間に対するもの以上に、彼女に不安を与えたのはそれを説明する担任教師その人だった。
彼は修学旅行以前と変わらず、熱心で親切な教師で、登校した生徒一人一人にいたわりの言葉をかけた。
だが、どこか……言葉にできない「どうして」という疑問点を覚える。
その「どうして」の先がわからない、不安。
結局その原因は、彼女が卒業を迎えるまで、否、卒業をした後もわからないままだった。
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