番外編:タヌキ、種に水を撒く
丸洗いされ、ふかふかになったタヌキを膝の上で布にくるみながら、『魔王』はうながされるより先に次を語った。
「三番目には、東のサントウ家の、折れずの毒樹はどうでしょうか?」
「お、やる気だな!」
モフりと尻尾が振られる。
「はい。東のサントウ家の領はかつて様々な薬草の生産地でした。半人半樹の樹人と呼ばれる人々が育てる植物は、信じられないほど質が良かったと聞きます」
だがそれも昔の話。
他の地と同じく、魔獣の跋扈は豊かな花園や田畑、森林を荒れた土地に変えた。
熊や魚と違いその魔獣は動かないのだが、その周囲に根や枝を広げていく。
毒樹というだけあって根にも枝にも葉にも花にも、樹のすべてに毒が満ちている。
夾竹桃のように。
花や葉が地面に落ちて腐れば、そこから毒が地に溶ける。
枝などを燃やせば、毒は煙にまぎれてさらに広い範囲を汚染する。
実際、ヘルバの民は一年目にその毒による逆襲を受けた。
枝による触手のような動きの攻撃をかいくぐり、その枝を切り落としたまでは良かった。
あるいは、根の先端を焼き切ろうしとしたまでは良かった。
燃え上がり、生まれた煙の毒にその場にいた多くの者たちが呑まれるまでは。
退くことのできた者たちにはすぐに解毒処置がほどこされたが、完全な解毒はできず、耐えきれなかった者たちは、退くことが叶わなかった者たちとともに犠牲になった。
「解毒薬、無いのか……」
「はい。薬草を扱うヘルバにわからなかったということは、すくなくともこの国でできるものでは太刀打ちできないということです」
うーん……タヌキは唸るが、猫のような体勢のこともあって喉を鳴らしているようでもある。
「薬があるなら、それを頼りに強引にってのもあっけど」
どうやら、どうやって毒樹を倒すかに頭を悩ませているらしい。
雪熊、巨大魚の時とはまた違う相手ゆえに、それまでのような即決ができないようだった。
鼻をひくひく、耳をぱたぱたさせながら、タヌキは考え込んでいる。
「うーん……どうにか、できっかなぁ」
少しの沈黙ののち、耳をぱっと上げてタヌキは言った。
「『魔王』、お前はもう寝てろ。俺はちょっと出てくる」
膝の上から飛び降りて、タヌキはそこから『魔王』を見上げた。
「コータ様、どこへ?」
「うん、ちょっとな」
そのまま、とことこと部屋を出て行ってしまった。
行く先はといえば。
「よぅ、どうだ。具合は」
「あ、タヌキ様」
今は元侍従となった、シリル・ガーネット・アンカーソン。
未来の宰相はベッドの上で本を広げていた。
いや、冊子と呼んだ方が正しいかもしれない。
紙の束をぐっと、一辺で綴ったものであったから。
「動くのに支障はありません」
「よしよし。勉強も頑張ってるみたいだな」
「同じ下位五貴族の、ワイズマン家の御隠居様が教えてくださることになりました」
さすがに現役世代と接触するとなると、義父が煩いのだろうというのがそこからうかがえて、タヌキはただ頷くだけだ。
「で、そこにあるのは?」
「御隠居様からの課題です。この数字をまずわかるようになれと。わからなくなったら、教えてくださるそうです。これは……ここ数年の、ワイズマン家の帳簿の写しです」
「おお、いい先生だな! 本物以上の教科書なんて、なかなかあるもんじゃねぇ。ご隠居さん、お前に本物の実力を授けようとしてくれてるぞ」
「……ありがたいことです」
「おう。これでお前に期待してる奴がまた増えたってわけだ。そんでな。ご隠居さんから一通り教わったら、次にしてほしい事があるんだ」
タヌキが伸びあがって、シリルの耳元に口を寄せた。
あと一週間もすれば、北と南から辺境領の兵士たちがやってくる。
彼らに居室や必要な物を用意してほしい、と。
「それは……」
「おう。助けが来るんだ。来れるようになったんだ」
タヌキは大きく頷いてみせた。
「ないしょだぞ。お前が腕を振るうチャンスだ」
「はい!」
兵站は戦場ばかりのことではない。
兵を抱えるだけでも発生する。
それをこなしてみせろと、タヌキはシリルに言っている。
「イリイーン領とエルア領であれば、環境を整えなくてはなりませんね。兵舎については、先代様の造られたそのための建物がありますから、そちらを改良する形にしましょう」
「できれば、ごちそうじゃなくてもうんまい物を用意してほしいんだ。向こうでもごちそうになったから」
一匹と一人は話し合う。
予算、その予算を使う先、空間、考えなくてはならないことはたくさんある。
「無茶言ってごめんな」
「いいえ、がんばります!」
「おう。『魔王』をびっくりさせてやろうぜ」
内政をしっかりと整え、固めていくことを任される。
それは信頼されているからだと、捨て駒にされた少年にとっては、それは眩しいまでの信任であったといってよかった。
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