問い
薄い金色の目に射すくめられたタヌキは、まさに蛇に睨まれた蛙。
「おい、康太」
ぼそりとキツネが久しく誰も呼ばなかった発音でタヌキの名を呼んだ。
「き、キナリ……」
タヌキもタヌキで、この世界では誰も呼ばない名を呼びかえした。
「お前がこの世界でなにをやったか、大体のところは知っている。とんでもないことをしてくれたな」
「いや、その」
「化けること自体はかまわん。あれは爪と牙同然の、我々のような生き物の武器だ。だが化けたものがまずい」
すぅっとキツネの目が細められ、指を折って数える。
「巨大な貝やスライムまではよかろう。巨大化もまだかまわん。だが駆逐艦、ジェット戦闘機、バス、列車……こちらの文明レベルを考えるなら、オーパーツもいいところだ。特に兵器など」
キツネは深々とため息をつく。
どうするつもりだ、あんな概念など教えてしまって、と。
まるごと鉄で作った船も、水に浮く。
それどころか鉄の塊が空を飛ぶことができる。
さて、それを「できる」と理解してしまったらどうなるか。
……戦争の破壊力が上がる。
さすがにそこに至るまでは一足飛びとはいくまい。
それを作るだけの材料を揃えるだけの採掘能力から、まだこの世界には足りない。
工業機械、そして重機だってまだ生まれていない。
ここにあるのはまだそれの「遠い先祖」とでも呼べそうなもの。
動力だって当然人力や馬力がせいぜいで、固定されたものであれば水車風車はあれど、エンジンは生まれていない。
だが、「可能性」ではなく「可能である」ことを知れば……人間とは、可能性だけで星に手を届かせたような生き物であることを、キツネもタヌキも知っている。
「……そこまで見せたなら、もういっそとは思わなかったのか?」
「いっそ?」
「空の上から焼いてやればよかったのではないか? そうすればあとくされも無かったろうに」
「それは駄目だ!」
終始押されっぱなしだったタヌキが大きな声をあげた。
大きく首を振り、語調を強める。
その強い否定は、どこか怯えているようにも見えるだろう。
それぐらいの拒絶だった。
「それは、絶対に駄目なんだ」
「それでも、それさえすればこの国の者たちの被る害は格段に減る。それはお前もわかっているはずだ」
キツネが言っているのは、つまり爆撃機による都市攻撃。
タヌキは石ころでも爆発物に変えられる。
そしてタヌキの変じたジェット戦闘機に対し、あの国は対空戦力を持たないのだから、制空権は最初からこちらにある。
そんな状況なのだから、都市どころか国ごと焼き払うこともできる。
効率的に、そして一方的に、……完全に、勝利できる。
キツネは、なぜそうできるのにやらないのかと訊いている……。
「先にも言ったが、お前の化けたものを見れば、この世界は遅かれ早かれあの答えにたどりつく。ならば使ってしまえばよかろうに」
「……たしかにいつかはたどり着いてしまうかもしれない。だけど俺がやれば、「いつか」だったものが「今」になる。それは駄目だ」
「この国の九十五年の苦難と痛みを見てもか?」
「あの国は、たしかにこっちに酷いことをしてる。だけどそれは、俺がしていいものじゃない」
タヌキは糸をたぐるように、言葉を探し、選び、並べた。
空から落ちてくる火。
それが何を燃やしたかを、何十年と前にタヌキは見た。
空と地を焼くその赤を、橙を、どうして忘れられようか。
その火が収まったあとの光景まで見た獣に、あれと同じことはできない。
そして、大事なことは、とタヌキは続ける。
「『魔王』たちの苦しみは『魔王』たちのものだ。俺が代理でございって代弁していいものじゃない」
キツネはその言葉を静かに聞いていた。
茶々を入れるでもなく、口をつぐみ、じっと。
ゆったりとキツネの口元に笑みが浮かんだのを、タヌキは気づかないまま。
「じゃあ俺がしてるのはなんだっていわれると、弱いんだけどさ」
「……まぁ、いいだろう」
タヌキの言葉に、キツネは呟くようにいった。
呆れたように、それから安心したように。
「兵器に化けられるのをいいことに、人間と同じ過ちに手を染めていたらどうしてくれようかと思っていた」
そしてその口元が幽かに笑う。
その姿に、タヌキも肩の力が抜ける。
「しねぇ。絶対しねぇ」
「もしやったなら、……わかるな?」
「ひ、」
内容は物騒ながら、その語調は穏やかなものだった。
冗談なのだと、それでわかるように。
「……ようやく、私と正面から話したな。百と二回目でようやくだ」
「あ」
「ことあるごとに顔を出すくせに言い逃げなぞされるのは迷惑だ。反省しろ」
「その、点は……」
「あとはさっきいったとおりだ。それと、父はとうに回復しているし、お前とのリベンジマッチを希望している。よもや逃げようなどとは思うな」
「……うん」
「その後ならば、お前ともう一度くらいなら、ゆっくり話をしてやってもいい」
「……うん」
肩の荷が下りたとばかりにキツネは微笑み、つられたようにタヌキも力の抜けた顔になった。
タヌキとキツネが話し合いをしている間に、コーコーセーたちも準備が終わっていた。
とはいえ、机を隅に寄せた食堂に集まった彼ら彼女らには荷物らしい荷物がない。
それぞれ、ずた袋のようなもの一つに収まってしまっている。
そんな彼らの前へと進み出たキツネは、獣面をかぶりなおし黄金の稲穂を手にした厳かで静かな様子で、まさに神の使いにふさわしい様相となっていた。
「これからお前たちを元の世界に送る。しばらく眠るような心地になるだろうが、世界を超える際の乗り物酔いのようなものを防ぐためだ。目を覚ましたらもう日本に帰れている」
対するコーコーセーたちも神妙な顔で話を聞いていた。
それでも不安は消えないらしく、仲の良いもの同士で手を取り合ったり、隣り合ったりして緊張をほぐそうとしている。
何をどうするかわからないから、というのもあるだろう。
「では、帰るぞ」
そんな彼らに、キツネは柔らかな声で呼びかけた。
右手の黄金の稲穂が振られると、その粒が触れ合う音とともに少年たちは消えた。
「……私も、一度戻る」
稲穂を振る手をキツネは止めて、小さな声で呟くようにいった。
「こちらにはもう一つ仕事が残っている」
それだけいうと、再びしゃらりと稲穂が振られ、キツネの姿もまた消えた。
読んでいただきありがとうございます。
タヌキもキツネも、空襲を経験しています。




