休戦
小さなうめき声とともにタヌキも縮んでいく。
元の通りの、ヒトが抱えられるほどの獣の大きさに。
「うう」
再びしょんぼりと腹這いになったタヌキ。
「あ、待ってくれ!」
だが慌てて身を起こして、タヌキは両腕をぶんぶんと振る。
我に返った兵士たちが武器を構えるのをそれで止める。
「キツネは敵じゃないんだ!」
「面倒な茶番ではあったが、仕方あるまい。これでようやく縁切りだ」
わざとらしいまでに伸びをするそのキツネの様子にやはり兵士たちはわけがわからないでいた。
□□□
混乱の中で、獣の面を付けた女の姿のキツネは食堂へと招かれた。
ひとつには獣同士の大乱闘であの部屋中に埃が舞って話どころではなかったからだったが、もうひとつにはキツネの姿を兵士たちに見せるという名目で包囲するためであった。
だが十重二十重に兵士たちに囲まれても、キツネには焦った様子もなく、悠々と出された粉茶の茶碗を口に運んで一息。
そして話を切り出した。
「私の仕事は、あるべきものをあるべき場所へ戻すこと。そのうちのひとつとして、ニンゲンの国がこちらへと送り込んだ高校生三十人を引き取らせてもらう」
もしやまたバーサーク処置で「使う」つもりかと気色ばむ周囲にキツネはため息をついた。
「かの高校生たちを家に帰すために私は来た。攫われてこの世界に連れてこられた子どもを、もしや帰さないとはいうまいな」
その言葉に誰より先に『魔王』が反応した。
元より彼は一度キツネと話したことがある。
それゆえに話しかけることができたといってもいいだろう。
「コーコーセーを、帰す……では、あなたには異界を渡る力が、あるのですか?」
「ある。正確には我が主の力をお借りしてのものだが」
そこでキツネは面の下で苦笑した。
「あやつらは神の力で私や高校生たちを召喚したなどといっていたが、大間違いだ。己らの神に逃げられた穴から手を伸ばし、やみくもに振り回したそれに捕まってしまったのが高校生たち。向こうの世界風にいうなら神隠しに遭ったようなものだが、まぁあやつらめ、とんだ迷惑をかけてくれたものだ」
面をずらしてまた一口と粉茶を飲む。
キツネの語り口にはよどみも迷いもなく、また態度も彼女が心から憤っているのがわかるものだった。
そこへおそるおそるといったていで、タヌキが進み出た。
毛皮はまだぼろぼろで、耳も尻尾もへたれていて、少なくともあの乱闘は殺し合いとしては茶番でも、喧嘩としては本気だったのだと教えている。
少なくとも、キツネの攻撃は本気だった。
しかしそれを一瞥することもなく、攻撃した本人は話を進める。
「高校生たちとともにいた大人たちは助けられなかったが、まだ高校生たちは間に合ってよかった」
これで子どもたちを家に帰せる……。
またしてものため息と、それでもあきらかに安堵している様子は、やはりこのキツネは的ではないと思わせるものだった。
だがその前段に、決して聞き逃してはならない一言を『魔王』は聞き取った。
「では、……あの国には神は」
「先もいったように、いない。逃亡の末、我が主のもとで休んでおられる。しかしまろうど様のお眠りは安らぎとは程遠く……このままでは、との我が主のお見立てだ」
タヌキの推論は正しかった。
その上で「このままでは」。
その疑問点が『魔王』の顔に出ていたのだろうか、キツネは憐みのような声になった。
「あの者たちはなんらかの契約のもと、まろうど様の力を酷使していたと見ている。我らの世界において、神を信じることは神の力、生命力になるが、それはどうやらこちらでも同じらしい。だがまろうど様の御様子は、あれだけの規模の信者を有する方とは思えぬほどの弱りようだった。そこからの推論ではあるのだが」
今一つ『魔王』には飲みこめない。
「あのさ、その、ひとつ訊いていいか?」
そっとタヌキがいったのに、キツネはひややかな目を向けたが止めることはなかった。
「まろうど様が来た」
「いらっしゃった」
「いらっしゃったのはいつだ?」
キツネの返事に寄れば数カ月前。
その日付は、まさに最初の『勇者』が訪れ、タヌキがこの世界に現れた日。
「なんだ、そうではないかと思っていたが、やはりそうか」
コーコーセーたちとタヌキはほぼ同じ。
ただコーコーセーたちは捕まり、タヌキは落とし穴に落ちたようなものという違いがある。
そしてタヌキが現れたのが『魔王』の前だったというのは
「契約違反が発生した場所だからってことか?」
「断定はできん。だが否定もできん」
つまりニンゲンが妙な欲を出さなければ、累代のように『勇者』に殺されていたということになる……。
「それも断定はできんが、否定はしない。まろうど様の御様子からすると、その違反の生じた契約とやらもこれ以上は持たない可能性もあるが」
それでも、今代は間違いなく……。
誰からともなくため息がもれた。
今があるのはニンゲンの欲のため。
欲を出さなければ、まろうど様が力尽きるより先に、この国でニンゲンたちに対抗しうるような力を持つ種族はいなくなっていただろう。
後は神の力を借りずともということになりかねない。
ぞっとするのも、その後にため息が出るのも仕方ない事だろう。
雰囲気を変えるように、一度『魔王』が息を整えた。
そして切り出すのは、キツネがあちらの国でもこちらでも気にしていたコーコーセーたちのこと。
「ひとまずコーコーセーたちにはすぐ会せられます。全員治療も療養も済んだと報告を受けていますから、家にもすぐ帰れるようにできます。ですが、こちらの世界でのことは……」
コーコーセーたちがこちらへと渡ってから日数がかなりたっている。
しまも魔法を使えるようにされている。
その上、犠牲者が出てしまっている……。
「案ずるな。すでに手は回してある。それから、穴に関してもすでに人は通れぬように処置が行われた」
どうやら『魔王』にも想像がつかなかったのだが、キツネはタヌキのような単独ではなく、彼女の主を中心とした組織だったバックアップを受けているようだった。
読んでいただきありがとうございます。




