との遭遇
はるか下に海岸線を通り過ぎて、ゆるやかにタヌキは速度を落としていった。
それと同時にタヌキの外側が変わっていくのが『魔王』には見えた。
変わっていくのはわかるのだが、その違いは『魔王』にはわからない。
「あ、まずい」
呟きの短さの中に、『魔王』はたしかに緊張を聞き取った。
「タヌキ様?」
「……『魔王』、接敵する! 口閉じて腹に力入れろ!」
それが何かについては語られないまま、身体にかかる圧力が強くなる。
ぐぅん、とそれまでまっすぐ進むだけだった機体が大きく動きを変える。
元々ベルトで席に縛られているようなものだったが、さらに背もたれに押し付けられる。
気絶すると言われた理由を理解できた、そう『魔王』が思った次の瞬間、透明な殻越しに巨大な鳥が見えた。
敵。
判断するより先に機体が大きく傾いて、鳥が見えなくなった。
見えなくなるどころではない。ぎゅいんぎゅいんと、回転している。
何が起きているか、『魔王』にはわからない。
樽に詰め込まれ、嵐の海に放りだされればこんな感じかもしれないが、そう考える余裕もない。
もうどちらが上か下かもわからない。
気を抜いたらそのまま気絶してしまいそうで、『魔王』はただただ意識がなくならないよう、正面に視線を向け、睨み付けるように見つめていた。
その視界に再度、鳥が入ってくる。
「あ」
口を閉じていなければならなかったのに、『魔王』は声とともに開いてしまった。
正面に現れたその鳥と目が合う。
猛禽だ!
そう思ったとたん、今までで最大の圧力が『魔王』を襲った。
そのまま、機体はすぅっと機首を下にして地面へとまっさかさまに落ちていく。
自由落下の気持ち悪さに、『魔王』は目を閉じた。
冷たい雲を突き抜けたその先、はるか下に地面が見えた。
ぐんぐんとそれが近くなるのも、見えてしまった。
ぶつ、かる。
だが再び別方向の衝撃がかかり、『魔王』の眼前には地面ではなく空が広がる。
耳に聞こえるのは、意味をなさない……いや、『魔王』にはわからない轟音ばかりだ。
タヌキが声を発さない事で、今彼が必死で動いていることがわかる。
『魔王』にできることは、意識を保って次の事態に備えることだけ。
衝撃に頭がぐらつき、ガラスが頭から離れそうになるのをマントと毛布の隙間から手をだし……頭ごと抱え込んで、半分身を丸くする。
がつんがつんと揺れるたびに少し落下する。
あの大きな猛禽が攻撃を続けているのは明白だ。
それと中に『魔王』がいるために、タヌキが反撃できないのも。
一旦逃走しようにも、おそらく同様の理由で上手く変化できないのだろう。
かといって『魔王』を放りだすわけにはいかない。
タヌキはただひたすら、耐えて離脱を狙うしかない。
「ぐ」
息が詰まるようなタヌキの声とともに、『魔王』は外に放り出された。
外気が顔に当たり、抑えていたはずの黒いガラスも吹き飛ぶ。
だが身動きができないことは変わりはなく、椅子の背もたれの間隔もまだある。
変身の一部が解けたか、一部をもがれたか。
ベルトに固定されたまま『魔王』は落ちていく……。
ぶつかるような衝撃に、一瞬『魔王』の域が止まる。
ベルトにつり下がったような状態で我に返るが、痛みで必死に息を継ぐことしかできない。
それもまた一瞬で、吊り下げられたその元が消失したかのように、また落ちる、落ちる。
そして再度衝撃とともに落下が止まり、また落下する。
恐怖と痛みで『魔王』はもうまともに思考することもできない。
ただ、タヌキごとあの猛禽に弄ばれていることしか。
落ちるたびに地面が近くなり、それに反比例するように『魔王』の気が遠くなる……。
気が付くと『魔王』は草原にうつ伏せに倒れていた。
生きて、いる。
傷みを堪えて息を整えながら、『魔王』は地面に手をついて、そろそろと起きあがろうとした。
背中から、柔らかなものが転がり落ちる。
「!」
慌てて『魔王』はそちらへ手を伸ばし、受け止めた。
「た、タヌキ様」
ぐんにゃりと脱力しきった体はしかし温かく、手のひらに鼓動が伝わる。
痛みをこらえながら『魔王』はその体をさらに調べてみた。
濡れた感触は無いから出血はしていないようではあるのだが。
「少し小突いただけだ。コータはこの程度で死ぬようなものではない」
「……っ」
ひゅっと息を呑んで『魔王』はタヌキを抱きしめるようにして声のした方向からかばった。
その様子に、声の主から「ほう?」といぶかしげな声を続けた。
「タヌキ様……コータ様の名を、どうして」
『魔王』が振り返った先にいたのは、いかにも異国風……見たことも無いほど遠くの、そんな国の服装だろう女に見えた。
口を尖らせた獣の面をかぶっているため、その表情は見えない。
逃げようとした『魔王』だったが、目を覚ましたばかりの上に、体のベルトで固定していた箇所が何度もの衝撃でぶつけたように痛んで上手く動くことができず、立ちあがることもできない。
女は一歩進んで、まじまじと『魔王』を見つめた。
「その男を知っているだけだ」
低い声にはなんの感情も含まれていないように聞こえる。
「あなたは……キツネ、ですか?」
「そうだ。……ああ、そこの男から聞いたか」
そのまま女はさらに前に進み、細い指先が動けない『魔王』の額に触れた。
するすると、その指先が額に何かを描く。
「立てるか?」
そして差し出された手に、『魔王』は怯む。
「案ずるな。獲って喰いなどしない。ここにいればニンゲンどもが来るぞ。お前には少し訊きたいことがある」
「……」
「そいつは置いておけ。このくらい切り抜けられぬ魔獣様とやらではないだろう?」
敵の言うことである。
なにもされない保証はない。
だが。
「何があった! 勝手に動くな!」
「斥候だ。もういない」
遠くからのニンゲンらしい声に女は何事も無かったかのように応えた。
だがここにいては、遅かれ早かれニンゲンに見つかるだろう。
行くしかない。
『魔王』はそっとタヌキを降ろし、痛む体で無理やり立ちあがって荷物を拾い上げた。
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