遠景:女神からの賜りものへの疑い
己の呼び名を『ミョウブ』であると定めさせたキツネは、丁重に聖堂の一角にある一室に案内された。
食事の好みを尋ねられたが、そっけなく「要らん」とだけ返し、さすが聖獣であるといわれたが……必要ないわけではない。
窓の無い、織物で壁の四方を飾った、寝台とランプや小物を置けるサイドテーブルがあるだけの部屋だった。
日本でいうなら十畳ほどもある部屋だが、窓が無い事で妙な圧迫感がある。
見目だけ広く、豪奢な牢獄のような雰囲気がある。
丁重な扱いではあるだろうが、充分な扱いとはいえないような、そんな待遇だといえる。
キツネはそわそわと耳を動かしたあと、ベッドに腰掛けて一息ついた。
そして周りを見回して、何かを確認するような様子を見せる。
だが、すぐに何かに納得したようにうなずくと、キツネは仮面のままベッドに潜りこんでランプを消した。
キツネが眠り込んだように見えてから、さらに十分な時間を置いて、壁の向こうで気配が動いた。
小さなため息がいくつも生まれ、間をおかずその隣の部屋からそのため息の数の人間が退出した。
老若男女交えた彼らは階段を降り……『聖獣』から二フロアも離れてからようやく緊張を解いた。
彼らは『聖獣』を監視するために隣室に配された者たちだった。
何か自分たちに不利になることしていないか、とまではいかないが、彼らにとっては突然現れた存在である。
警戒も当然だろう。特に、彼らの役目からすれば。
だが彼らの緊張に反して、獣の耳と尾を持つ女は特に怪しい動きをすることもなく、寝床に入ってしまった。
面を外さないというのはいささか不気味ではあったが、もしかするとあの面の下には顔が無いであるとか、面が顔そのものであるとか―――女神よりつかわされたならば、そのような存在である可能性もある―――そう考えれば、納得もできた。
そんなことも含めて、彼らは彼らを部屋に配した者、教女補佐へと伝えた。
ふむ、と教女補佐は首を傾げた。
彼と彼の部下たちは『俗人』という役職で、この国の中心部に存在する。
神を奉じ、その存在に奉仕する教えを中心とする国であるとはいえ、人の国である以上教えの外でも政は動くので、「俗に通じる者」として彼らは教えと政のバランスを取るものとされている。
信じ、伝えることだけを己の業とする教女より、よほど忙しい。
そして彼らは信じることを良しとする人々のなかで数少ない、疑うことが許されたものたちでもある。
彼らの疑いはこの国を守るためのものとして、『封印行』制定直後から許されているもの。
彼らは今回もその許しにもとづいて、『聖獣』を疑うという仕事をした。
だがこの国にとって喜ばしい事に、『聖獣』に対する彼らの疑惑は腹された。
その報告を上げる『俗人』たちの顔は晴れやかだった。
彼らは時には教えでさえも疑わなければならない。
それは不敬を問われないとはいえ、心理的な負担はいかばかりか。
しかも今回疑わねばならない相手は偉大なる女神の御業であると語り継がれるであろう、召喚された『聖獣』。
その重責からの解放。。
しかし彼らの上長である教女補佐の顔は厳しいままだった。
「……ひとまず、動きは無いのだな?」
「はい」
「何人残した」
「二人を。三時間後に交代します」
「よろしい。番を外れたら必ず休憩をとるように。……近くに居続ければ、どのような影響があるかわからない」
「はい」
教女補佐の男は深い溜息を吐いた。
彼は『俗人』たちをまとめる者として『教女』に逆らうことすらもできる、この教会のストッパー役である。
彼はそも、異世界の生まれである者たちも、それを使うことも疑いの目で見ていた。
女神の御業であるとはいえ、得体のしれない者たち。
逆らわぬよう、そして実力を測るために年長の者たちを焼いたのは彼だった。
心にくさびを打ち込むことで、コーコーセーたちを抑制できたと考えている。
それゆえに、今回も彼は『聖獣』を見張ることにしtなおだった。
今のところ疑いは杞憂で済んでいるが……。
「決して目を離さないように。どれだけ麗しい姿をしていようとも、獣にすぎん」
「はい」
獣であればこそ、檻や首輪は必要であると彼は考えていた。
女神より下されたものであるなら、きちんと飼いならすことこそがその御心に添うものであると。
だが、彼は知らなかったのだ。
かの魔王の魔獣と同等であるということが、どれほど厄介であるという事かを。
少し時はさかのぼる。
キツネは寝台で横になると、上掛けのなかに用意されていた毛布をひそかにたぐりよせた。
くるりと丸めて、そっと場所を入れ替えると、彼女は壁際の隙間から豆粒になって落ちた。
床に落ちるなり、今度は蜘蛛に変わり、人の気配の方へと走って壁掛けと壁の隙間に入り込んだ。
壁掛けで誤魔化してはいるが、壁には広めの隙間があいている。
それはもちろん、この部屋にいる者を観察するためだったのだが、小さな蜘蛛であれば楽に通り抜けることができた。
「……」
息をつめ、ただ隣室の様子に集中する人間たちは、小さな蜘蛛に気づきもしない。
ややあって立ちあがり、部屋を出る最後尾の一人の踵に、そっと蜘蛛がしがみついても気づかない。
踵から降りると、キツネはタヌキとは違い、スライムではなく蜘蛛のままで建物の中を移動しはじめた。
読んでいただきありがとうございます。
勇者パーティーに○○師がまざってたみたいで。




