タヌキの異変 前
聖獣と呼ばれるものの召喚が行われたことは、綿毛を介してすぐ『魔王』側にも伝わった。
受信能力の関係上、それを視覚でも理解できるのはウツギだけ。
異常を聞きつけた部下から受信端末の水晶を受け取った彼は、綿毛の向こうにウングラとはまた違った半人半獣の女が異国風の衣装をまとってあの地下室に降り立ったのを見ただけで、その召喚が成功したことを理解した。
この世界に、あのようなものは、いない。
また綿毛を介した視界を得ることができずとも音声はわかるため、会議室に呼び出された四辺境伯ならびに五貴族は交代でそれを聞いた。
「……これはどうしたものかねぇ」
代表するようにアーリーン=バーサがいうのに、それぞれがうなずいた。
「あの声の主、……これは私の勘みたいなものだけどね、あきらかに対処に慣れてるね」
言葉にしない所を、しかし周囲は正確に理解した。
召喚されたものは、召喚にではなく、ああいう自覚のない慇懃無礼な相手をあしらうのに慣れている。
うまいこといなしてしまう、と。
きっとあの国の人間は、いなされたことすらわからないまま、聖獣は「それなりの仕事」だけで切り上げる可能性は高い。
これは正体不明の、向こう曰くの聖獣を相手どらなくてはならない『魔王』側から見れば助かるものではあるのだが、たったひとつ気がかりなことがある。
あの聖獣が、「タヌキ」の言葉に激しく反応していたことを除けば、だ。
そのとき、『魔王』は自分の隣にいるタヌキの様子に気づいた。
だまりこんで、俯いている。
タヌキは毛皮に覆われているのだが、この場合やはり該当する言葉は「顔色が悪い」だろう。
「あの、タヌキ様」
深刻な顔をして考え込んでいたタヌキが、『魔王』の声に顔を上げる。
「……ちょっと、気になることがあるんだ。ウツギ、その聖獣、どんな格好してた?」
「そうですね、ちょっとこちらの服装に当てはまるものはないので、黒板を貸してください」
書記として控えていたシリルから黒板を借り受けて、ウツギは石筆を走らせた。
書類は羊皮紙に書くのだが、後から清書するとなれば下書き、あるいは速記として黒板や石板を使うのはよくある。
簡単に書いたり消したりできる性質はメモにもよく使われる。
ウツギが手早く描いてみせたのは、ツーピースの服装の女性。
服装の内容は、上着の袖が片口から広く裾はくるぶしに届くほど長いものに薄いコート、靴下にサンダルをあわせ、獣面にヴェールといったもの。
面の影やその背後に耳や尾があるのを見てとったのはさすがの観察眼といえた。
「こりゃ獣人か?」
まずその特徴に目をやったのはレオンシオだった。
彼らウングラは半人半獣とよべる二つのパターンの姿をしている。
一方はレオンシオのような上半身は人、下半身が獣のケンタウルスのようなタイプで、彼自身の半身はグリフォンである。
もう一方はまさしく獣人としての、直立した獣の姿と人の手の器用さを併せ持つタイプ。
この後者の方ではないかと。
だがその手、長い袖の影から見えた手は完全の人のものであったとウツギは証言する。
「こいつは……キツネの変化だ」
大きく息吸い込んで意を決したとばかりにタヌキはいった。
「タヌキ殿の変身と同じ、と?」
「そう、完全にニンゲンに化けることもできるけど、自分はニンゲンじゃないってことも主張するときには残した方がわかりやすいだろ?」
その上で、わかりやすい場所が耳と尾だから、そこを残しているのだとタヌキはいう。
化けられる動物種は限られており、その枠組みの中で同じ形や色など特徴が重なるものはないから、どの種であるかも合せて主張できるのだと。
「それにその服、巫女の格好。向こうで神様に仕える女の子が着るヤツだ。このキツネ、向こうの豊穣の神様に仕えるお使い姫、つまり神使だ。……そこらへんで嘘つくやつはキツネにはいねぇ」
一気に、まくし立てているのと変わらないほどの早さの説明だった。
「その、知り合いですとか?」
コアの問いかけに、タヌキの背筋がぴんと伸びた。
悪いことを咎められたと、実にわかりやすく教えている。
「……まだ、わかんねぇ。声は似てる気がする。でも、面でくぐもってよく聞こえなかったし」
それもまた早口の説明。
なぜそんなに劇的な反応になるのか。
今までのタヌキからしたら、いっそ混乱を疑うレベル。
「わかりました」
だからこそというべきか、『魔王』の一言がそれを止めた。
「今はわからないということがわかりました」
「お、おう」
「ウツギ殿、分析と、続けての監視をお願いします」
「わかりました」
続けて別の方面に話を振ることで、タヌキに息を継がせる。
小さくタヌキが息を吐いたが、まだ頭の毛が逆立っていることに『魔王』は気づいてしまった。
今まで四辺境伯領のどの魔獣を相手にしたときも、上位五貴族を相手取ったときも、余裕しゃくしゃくという様子だったタヌキが。
そこでタヌキの言葉を拾うと、『豊穣の神の使い』であると。
そうとうの相手なのだろうと、そのことからわかってしまう。
これはタヌキの認識からしてもそうならざるをえない強敵であるのだと。
あのときタヌキがいったのは「知り合いだったら」だと、『魔王』は思っていた。
だが、この反応……。
逆だったのではないかと、思い直す。
「知り合いじゃなかったら」。
知り合いのキツネだったら、説得できないということだったのでは……。
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