『浮かずの大魚』 2
深い深い湖の底から、浮かび上がるものがいる。
久しくなかった大きな獲物、これぐらい大きくても自分には噛みつけるだけの牙がある。
噛みついて抉って、沈めて喰らう。
まっすぐに、水面の光を遮る影目がけて水を掻いたとき、何かを降らせながら影が動き始めた。
本能的に追おうとしたそれは、尾で降ってきたものを払おうとした。
石ころだ。そう判断して。
キュゴッ!
耳慣れない音と、痛み。
一つの音が契機となったように、同じ音が連続して、次いで痛みが身体を襲う。
それが覚えている限りで、自分には鉄の槍も何も、こんな風に痛みを与えてきたことなんてなかったのに!
怒りも戸惑いもごちゃまぜになって、それ……湖の巨大魚はその場で一回りした。
痛みを振り払おうとしたのだ。
しばらくすると降ってきたものは無くなり、新しい痛みはなくなった。
そのころには甲冑の如き大魚の身体はところどころ抉れさえしていて、いかに攻撃が激しかったかを物語っていた。
敵の武器を、大したものではないと判断してしまったがために。
耐えがたい痛みに身をよじりながら、巨大魚はその場を逃げ出そうとした。
一旦隠れて……寝ていれば、このくらい治る。
「いや、逃がさねぇよ」
その言葉を、大魚は理解できなかった。
「魚雷装填よし。……てっ!」
いつのまにかこちらに向き直っていたものから、自分に向けて放たれた【長槍】を。
魚雷。
それは重く太い、水中において恐ろしい威力を発揮する武器である。
そして酸素魚雷と呼ばれるものの特徴は、それまでのものより格段に長い射程、そして破壊力。
直撃すれば潜水艦をへし折り、戦艦には大穴を開ける【長槍】だ。
たとえばそれが鉄の船などではなく、甲冑を纏ったようなけた外れに大きな魚であったとしても、魚雷という長槍は容赦なく貫くだろう。
タヌキはこの酸素魚雷へと、道で拾った太い枝を化けさせた。
まっすぐ……痛みに混乱しながらひたすら距離を取ろうとする巨大魚を、九三式酸素魚雷はそれに倍する速度で追った。
広い方へ深い方へと逃げようとしたのが災いしたか、魚雷は過たず巨大魚に突き刺さる。
標的に刺さってなお、タヌキの化け術は解けることなく、本物の魚雷として炸裂した。
爆発そのものばかりではなく、それが生み出した衝撃波が巨大魚をずたずたにする。
……いた、いた、い? いたい! 痛いっ!
わたし、ケガしたの? ああ、くすり。
あこうに、キズグスリを、もらわないと……。
吹き飛ばされるその痛みに、その瞬間に固い封をこじあけてほんの少しだけ生まれた思考をも、すぐにあぶくのように消えてしまった。
硬く黒い【甲冑】の中、肉と骨を晒しながら。
水中で何が起きているかを、岸辺にいる者が知るのは難しい。
だが何度も上がった水柱と、一際大きな最後の二度の水柱、そして轟音が何かただならぬことが水中で起きているということを、『魔王』とコアばかりではなく、エルア領の者たちに教えた。
そして駆逐艦まめだは、水上にて健在。
「もういいぞ。魚は沈んでった」
堂々と胸を張っているような声で、駆逐艦まめだ、もといタヌキが告げたのに、次々と集まっていた周囲の者たちが湖の中へと飛び込んでいく。
沈んでいく巨大な影を追いかけて、底へ底へと。
それに対してゆらゆらと浮いていた鉄の船は、岸辺へと戻ってくる。
「コータ様、ご無事ですか?」
「あいつ、俺に噛みつこうとしたけど、そこに爆雷ぶちこんでやった! 魚雷二本でとどめだ」
「そ、そういう武器ですか……」
『魔王』はなんとか、自分の知識で追いつこうとしたがやはりどうにもわからない。
考えているうちに、タヌキは獣の姿に戻って『魔王』を見上げていた。
「要するに、近寄られ過ぎたら泳ぎの達人でもやべぇから、大きくて硬くて噛みつけないモノになった上で、上から痛いのをぶつけて、逃げた所に後ろから刺した」
さらに噛み砕いた説明でがあるのだが、やはり理解のおよぶところではない。
「なぁなぁ、また解剖頼まないといけないんじゃないか?」
「あ、はい。コア殿、あの魚を解剖していただけませんか?」
呼びかけられて、ようやくコアは我に返ったようだった。
「解剖を? おろすとか、そういうことではなく?」
不思議そうなコアに、『魔王』は深呼吸をしてから続ける。
「いいえ。北の眠らずの雪熊を倒した折にもお願いしたのですが、四方の獣はあまりにも生物としておかしいのです。それを調べなくてはと」
「わかった。生き返るようなことがあっても困る。陸に引き上げて、腐敗が始まらぬうちに調べよう」
読んでいただきありがとうございます。
下から来るぞ!というわけで爆雷ばらまけばよくね?というタヌキの作戦でした。
駆逐艦まめだ、だいたい島風の半分サイズです。




